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共感・批判は関心がある事の裏返し、0からは何も生まれないと思う

先日私が書いた記事をkage21さんが引用して記事を書いてくださっていたので、私もkage21さんの記事を引用して記事を1つ。

快く引用の許可をしていただいてありがとうございます!

こちらがその記事になります。皆さまも是非kage21さんの記事を読んでみてください(少しだけ宣伝)。


何かを発言するという事は自分の考え方や想いを話していることになるので、共感もあれば拒絶も当然あります。

共感や賛同をされて気分が悪い人は多分いないですよね?私だってそうなのですから。分かってくれる人がいるんだなぁって嬉しく思います。

それに対して批判や否定などは嫌な気持ちになる場合もありますよね。自分はこう思っているのだけど、という感じならそういう意見もあるのか!と気付かされる事も多くありますが、誹謗中傷に近いものも数あるうちにはあるので、その場合は誰でも傷付くんじゃないかな?と思います。人間の心は繊細で儚くて脆いですよ。。だからこそ人間であり、それが良い部分かなとも思っています。


どんなテーマで話をしても興味がある人・ない人は必ずいます。

何が嫌いなのかは分からないけど、とりあえず拒絶して話をしない人も必ずいます。

それぞれの人生の中で嫌な思いをしていたり、自分には関係ない事って思う話からは離れたい気持ちがあるのだろうなとは思うのです。

あえて面倒な事や興味が無い事に関わらなくても生きていけるのならそれが1番良いですから。正直な話、私でもそう思いますので。

反対や拒絶の意見に過剰に反応してしまうとkage21さんは記事の中でお書きになっていましたが、それもよく分かります。

賛成・共感に対しては「でしょ!」「ね!」とそれ以外に言う事があまり無いですよね。その意見や想いが全てなのですから。何か付け足す必要はないので。

反対・拒絶に対しては「分かってくれないの?」「自分の意見はおかしいのかな?」とどこかマイナスに捉えますよね。自分の言いたいことや想いを分かってもらうためには、何かまた付け足して話をしたくなりますし。


批判や拒絶が怖いのは当然だと思います。だって自分が傷付く可能性が高いから。でももっと怖いのは、「無関心」なのかなと最近は思っています。

無関心は批判や拒絶と違って相手から直接傷付けられる事は無いけど、興味や関心が無いという事はある意味その考え方や存在すらも無かった事にされてしまうような気が私にはするからです。


この時代は誰でも簡単に声を上げる事が出来る時代になりましたので、多くの意見や考え方が散見しています。数多ある中で、自分の声が埋もれてしまう事も多いような気はします。このnoteですらこれだけたくさんの記事があるので、埋もれてしまう事も多いですがその1つ1つが誰かの声である訳です。

最初は誰にも気付いてもらえない事も多いですけど、その声の数が多くなればなるほど、気付かれることも多くなります。

その中で嫌な思いをすることの方が多くなるとは思いますが、声を上げなくて後悔する方が私にとっては嫌だなと思ったのでこんな感じでやっています。


kage21さんの記事を引用させていただきましたが、私だってとても偉そうなことは言えないです。。

多様性の社会は良い事だと常々言ってはいますが、私の主張だって多様性の中からすれば良い・悪いどちらにでも受け取ることが出来ますし、私自身もあれこれ文句を付けているので多様性を完全に受け入れられている訳ではないという事になりますからね。。

もがきながらでも、前へ進むことが大事なのかなとは思います。


何か話が大きくずれそうな気がするので、この辺にしておきます。

文章のまとめ方が下手なので、大目に見てください。。


最後にkage21さんへ

未完成のパズルみたいな文だから素敵なのだと思います。

完成図があるかは誰にも分からないですけど、完成しないという未完全さも魅力の1つですよ。

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