国葬に対して僕の想いを書いた
あの時と同じような状態になってしまったのは
「本当の声」を聞く事が出来ていないからなのかもしれない。
オリンピックの時もそうだったが、国葬の事でも国民の間で分断が起きてしまっている状態になっている。
国葬を是とする者には是とする者なりの意見と想いがある。
国葬を非とする者には非とする者なりの意見と想いがある。
人間だもの、両方の意見や想いがあるのは当然だし、その事自体は大きな問題だと僕は思っていない。
1番の問題は民主主義があっての国葬。
国民の想いがあっての国葬。
僕はそう思っている。
僕なりに今問題となっている事に対して想いを書いた。
「多額の税金が使われる事へ疑問を呈する声ついて」
この国の税金の使い方はいつもこんな感じ。違う使い方や費用を考えたらという事はよくある。今に始まった事じゃない。
ただ国民が特に困難の時代に直面している中で、多額の税金を国民の声を聞かず勝手に使おうとしている事が反発の原因だと僕は考える。
「色々な疑惑がある人へ哀悼の意を表したくないと考える事に対して」
憎しみや恨みがある人の死に対して哀悼の意を表する事が嫌なのは少し分かる気がする。僕にもそんな人がいるから。幼かった僕に恐怖心と不安感、命の危機感を与え、僕にトラウマを植え付けて死んでいった人がいる。僕は今でもその人の記憶が時々蘇って来て不安な気持ちになる。それでも僕は時が来ればその人に線香をあげてその人の死を悼む。複雑な気持ちを持ちながらも静かに僕はその人の死を悼む。どんなに憎くてもその人だって1人の人間なのだから僕はどんな感情を持っていたとしても死を悼む。哀悼の意を表するのが嫌なら嫌でも良い。せめてその人がもうこの世界にはいないという事実だけは感じて欲しいと思っている。
「とある議員の発言に対して」
あの発言だと民主主義はすでにこの国には無いと言っているようなもの。
いつから国会議員の考え方=民主主義の声と考えるようになったのだろう?あくまで国民の代表という立場であって、自分たちの声や考え方が全て正しいという訳ではない事をもう1回考えて欲しいと思っている。
ここまで来てしまったのだから今更中止にするのはもう出来ないと僕は思う。どうなるのか僕には分からないけど、これ以上国民の気持ちや想いを大きく分断させるような事は起こさないで欲しいと願う。
国民が主役の民主主義国家なのだから。
国会議員はその国民を支える立場であるはずなのだから。
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