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たびけん ~ 日本の素敵な建築を知りたい/守りたい人たちの旅の記録 ~9

エピソード9 Heaven Sent

エピソード8からの続き】

「僕が調べた範囲では、鏝絵が全国版のメディアに初めて載ったのは、1982年に発売された雑誌『銀花 第四十九号』だ。大分の写真家・藤田洋三さんが、撮り続けていた写真を東京の編集部に持ち込んだことで特集が決まった。藤田さんは1970年代から鏝絵の価値に気がつき、安心院などの鏝絵を撮影していた人。藤田さんは撮影するだけでなく、鏝絵を保存するための活動も行って、鏝絵の価値を伝えようとし続けていた」

鏝絵は1982年に「銀花」で取り上げられるまで、道端の花のような存在だったのかもしれません。美しくても、ほとんどの人の視界に入らないし、気にしていた人がいても、さして価値があるとは思わない。その後も大多数の人にとって”道端の花”であることは変わらなかったでしょうが、掲載誌を手にして見方が変わった人はいるはずです。

鏝絵が掲載された1980年代の「銀花」49号と64号

雑誌「銀花」は、3年後にまた鏝絵を取り上げます。目の前にあるこの鏝絵蔵が掲載されたんです。
「1985年に発売された『銀花 第六十四号』では、藤森照信さんが“相棒”カメラマンの増田彰久さんとこの長岡の鏝絵蔵を訪れて記事にしている。藤森さんと増田さんは建築関係の本を何冊も一緒に出しているから知ってるよね?」
「藤森さんと増田さんの『建築探偵』シリーズはもちろん持ってます」
「藤田さんは1996年に『消えゆく左官職人の技 鏝絵』という本を出した。僕はこの本を手に各地の鏝絵を見て回ったんだ。僕が鏝絵を知った頃、関連書籍は数冊しかなかった。藤田さんは2001年にも『鏝絵放浪記』という本を出している」

「雑誌に藤田さんの鏝絵写真が初めて載り、全国に紹介されたのが1982年、入江長八美術館がオープンしたのが1984年、藤田さんの鏝絵本が出たのが1996年。なんか、動きがゆったりですね。この間、“鏝絵ブーム”のようなものはなかったんですか?」
「ブームにはならなかったと思う。ずっと“知る人ぞ知る”状態が続いているんだ。雑誌に出た、美術館ができた、本が出たからといって、世の中が必ず大きな反応をするわけじゃないからね。少し前に伊豆長八美術館は40年で420万人の来館者があったというニュースを見た。年間10万人強ということになるね。鉄道も高速道路もつながっていない場所に、それだけの人が来たのは本当にすごいと思う。しかし10万人って、人気のユニバーサル・スタジオ・ジャパンの2〜3日分の入場者数なんだ」
「ユニバは入場者数日本一、世界でも3位という話ですから、さすがに比較対象としては…」
「じゃあ、古い日本を扱っているということで、大分県豊後高田市の『昭和の町』で考えてみようか。知ってる?」

豊後高田市の「昭和の町」名物ボンネットトラック

「聞いたことはありますが、遠くてなかなか行けません」
「昭和の町は、寂れて建物が更新されなかった商店街の古い町並みを逆手に取り、2001年にオープンした。東京、愛知、大阪の三大都市から遠く離れているけれど、オープンから2年で年間20万人を呼び込むようになり、2019年=令和元年には年間40万人を突破した。昭和ブームの後押しがあっただろうし、交通事情の違い、ジャンルの違いもあるから単純に比較はできないけどね」
「昭和のものって、なんかエモさがあるんですよね」

豊後高田市の「昭和の町」の町並み

「美術館で比較するなら、冬季は観光客がめっきり減る青森県の青森県立美術館は、年間26万人の来場者がある。データで見ても世間的に鏝絵の注目度はまだまだ低いんだ。前に長岡の人と話していたら、新潟県どころか、地元ですら鏝絵蔵を知らない人がけっこういるそうだよ」

青森県立美術館の人気作品「あおもり犬」

鏝絵はこんなに素晴らしいのに、まだその魅力は知れ渡っておらず、存在すら知らない人が多くいる。確かに、普通の学生である私や私の周りに、全く情報は届いていませんでした。
 
「今のように自治体が鏝絵を保存したり観光資源にしようと取り組むようになったのは、いつからですか?」
「全国で初めて自治体として鏝絵の保存運動を始めたのは、旧安心院町だ。1996年に『大分の鏝絵習俗』として文化庁から『記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財』に選ばれている。通称『国選択無形民俗文化財』ね」

安心院の保存鏝絵

「ほかに取り組んでいる町はあるんですか?」
「まさにここがそう。長岡市は2018年にサフラン酒本舗の土地や建物を取得して整備を始めた」
「令和になる前の年。つい最近なんですね」
「鏝絵には100年を超える歴史があるけど、作品の価値が広く知られていくのはこれからだと思う。芸術家ではなく、職人が残したアート作品なんだという認識もまだ広まっていない」
 
話を聞きながら、気になっていました。なんだか先輩の熱量がいつもと違うんです。
だから、そのこともぶつけてみました。
 
「なんだか鏝絵にすごく入れ込んでないですか?」
 
先輩は一瞬、不意を突かれたような表情を見せ、晴れた空を少しばかり見上げると、何かが整ったのでしょう。
 
「そうだね。僕は小さい時から、佐官職人の仕事を見るのが好きなんだ」
 
と照れと優しさが入り混じった笑顔を見せながら答えてくれました。
そっか、先輩の実家は建設会社だったっけ。
 
「さっきも言ったけど、鏝絵って芸術家やアーティストが残したものじゃない。普段は蔵を作り、壁を塗る左官職人が作った芸術作品なんだ。大事なことだからもう一度言う。芸術家ではなく、左官職人が残した芸術的な作品。しかも依頼主へのお礼として作られたものも多いんだ。アート作品として売買しお金儲けしようという気持ちや、名声を得たいという欲望から生まれたものではなく、ね。ここはとても大切な点」

安心院の鏝絵

鏝絵は、芸術家ではなく左官職人が残した芸術作品。
しかもお金儲けのためではなく、職人がお礼の気持ちを込めて渡したもの。

古き良き日本の依頼主と職人の関係を、時代を超えて伝えるもの、とも言えるのかもしれません。
 
「明治から昭和初期までの60年、70年の間に日本の各地に広がって、それぞれの地域の左官が、依頼主のために様々な作品を残した。そういう成り立ちも含めて、鏝絵は本当に日本独特の文化だ。僕は日本にはこんな素晴らしい作品があること、素晴らしい左官職人がいて、素敵な風習があったことを、国内も海外の人にももっと知って欲しい。ドラマ性も含めてうまく情報を広めれば、日本各地の鏝絵を見にもっと人が来ると思う」

やはりいつもより熱が入ってます。間違いなく
 
「さ、帰ろう。駅まで送っていくよ」
「先輩は帰らないんですか?」
「僕はまだ調べることがあるから」
 
帰りの車で、先輩は
「磯崎さんの企画が実現して大分に行くことになったら、こうしたことを踏まえて鏝絵と自治体の取り組みを見て欲しい。磯崎さんはわかった上で企画を出していると思うけれど、気がつくことがあったらサポートして欲しい」
と私に見学時のポイントを伝えつつ依頼し、そしてこう付け加えました。
 
「もし向こうで藤田洋三さんに話を聞くことができれば、学ぶことは多いと思う」
 
藤田さんかぁ、会えたらいいなぁと思いながら、私は先輩に関してぼんやり聞いていた話を思い出していました。
実は私もたびけん部の友人も、丹波先輩がどういう仕事をしているのか、よく知らないのですが、先輩は日本のあちこちに行っては、地元の人が気づいていない“観光資源”を掘り起こし、どう磨いて観光客を呼ぶかを現地の人と話し合っている、そんな話を聞いたことがあったのです。
 
ちょうど「なんで観光地にしないんだろう」と気になっていたニュースがあったので、試しに聞いてみました。
丹下健三さん設計の旧香川県立体育館の解体に関する報道です。
 
「旧香川県立体育館を解体するって、どう思います?」
「Is値が0.54だったかな。0.6未満だから倒壊や崩壊の危険性はあるけど、危険性低い寄り。危険性が気になるなら、柵を作って原爆ドームのように近寄れなくすればいい。解体で話題になったことで初めて知った人や、見ておきたい人は確実に増えたから、観光客を呼ぶチャンスなんだよ。『壊す壊す詐欺』を続けて引っ張って、結局残すのも手だね」

そう冗談めかして言った後、急に声のトーンと表情が変わり

「丹下さんの建築は、この先、どれほどの価値を持つことになるか想像がつかない。少なくとも、価値がゼロになることはあり得ない建築家なんだ。10億とかかけて観光資源を壊す意味がわからない」

と、自治体の姿勢を批判しつつ、完全に“誘客”目線で語っていました。
私もせっかく残っている丹波さんの建築を壊す意味はわかりません。
さらに、「ちなみに、さっき原爆ドームを例に出したけど、原爆で廃墟化した『広島県産業奨励館』を、『原爆ドーム』として世界的な象徴にしたのも丹下さんだよ」とも。

建築やそれに付随するものは観光資源になり得て、その地方に“財”をもたらすかもしれない―。今日、再認識しました。
そして、私ももっと日本の魅力的なモノを知っていかねば!と決意を新たにしたのです。
 
決意に基づき、私は長岡からすぐには東京に戻らず、新潟駅に降り立って、万代シテイバスセンターへ向かいます。
 
次なる目的地は―—
 
バスセンター内の角にある万代そば。
まずは新潟名物にまでなったカレーをしっかり知っておくのです。

新潟名物 万代シティバスセンターのカレー

めちゃくちゃ並んでて、心が折れそうになりましたが。 


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