どうしてイタリア語レッスンをしているの?
こんばんは。4月が始まりました。みなさんはどんなスタートを切りましたか?🌸
4年ぶりの日本の春、ある意味新生活を迎えることになりました。
4月から始めたわけではありませんでしたが、こちらをよんでいただいている方はご存知の通り、最近オンラインでの歌のレッスン、そしてイタリア語のレッスンを本格的に始めました。
おかげさまで無料体験のお問い合わせや、その後のレッスンをうけていただくことが増えてきています。ありがとうございます😊
これまでも個人的にご依頼いただいていた方々には行っていたのですが、こうして募集をしてみると、そもそも「どうして(歌手なのに)イタリア語も教えているの?」と聞かれることがあったので、今日は私のイタリア語への想いを書きたいと思います。
はじまり
イタリアはまだまだツテ社会といいますか、特に手に職形のお仕事や物件探しなどをする場合、募集側の知人などを通して"良い人"を探すことが多いです。
イタリア長期滞在をはじめて1年経つ頃には、"助けてもらったことがきっかけのイタリア人の友人"がたくさんできました。
語学講師、銀行員、医師、薬剤師、音楽家、飲食関係、元大家、弁護士、バリスタ、デザイナーなどなど…職種もさまざま。情に厚いひとたちとのご縁に恵まれて、その後も友人として付き合いがつづくことがほとんどでした。
そのうちに"日本人と働くことになったんだけど!"と助っ人として伺うことが何度や"誰か働ける人はいない?"ということで、日本人を紹介したり、イタリア在住の日本人との出会いも増えていきました。
"人柄がわかる"イタリア語
今度は逆に、日本人の友人から情報を聞かれることや問題解決のため等で間に入る機会が増えました。
運良くその日のうちに解決に進むことが多く、その時に勉強の仕方や使っていた言い回しについて聞かれるうちに、レッスンをしたいという話に進むことが何度か重なりました。
その時によく言っていただいたのが
"麻美さんのイタリア語で人柄がわかる"というもの。
実は素敵だな。と思う人の言い回しを密かに集めてきたのですごく嬉しかったのを覚えています。そうやって教えてもらってきた"嬉しい言葉の使い方"を誰かにも伝えたいな。という想いが出てきたのはこの頃かと思います。
(適切だと思える時には崩した言葉を選ぶこともあります😂)
また、言葉の選び方だけでなくそのあり方が国のあり方をあらわすなぁと感じることも多く、それはオペラや歴史の理解を深める助けになっているなと感じます。
何語であっても、言い方ってだいじ
そうして、母語で暮らしていた時にも度々思っていた"言い方が、言いたいこと以上に大切な時がある"ことを実感することがイタリアでも増えてゆきました。
特にイタリア語を習っていたB先生と再会して、接続法の使い方がなっていないと強く叱られた時。
「イタリア人でも接続法はまちがえる。でも、麻美が間違えるのはわたしは許せない。舞台でいつも表に立つ人間をめざすなら。きちんと話せない人の歌を誰が聞きたいの?」
そう言って、もう仕事ではないのに、ずっとオリジナルの問題を作ってくれました。
使わなくても生きていけてしまう文法、それでも秒で答えられないとその度怒られて悔しくて悔しくて泣いたけれど、これが役に立つことはわかっていたし、実際に条件法と接続法がきちんと使えることで信用を得ることができたケースはたくさんありました。
彼女には感謝しかありません。
実際に使ってみると仕事だけでなく、生活の中で手続きなどに使うことも多いです。
多少の間違いは外国人である分大目に見てもらえることがほとんどですが、やはりきちんと話すとリスペクトを感じてくださるようで、"お客様は神様"ではなく"働く人も人間だ"という考えが根付いている国でも、気持ちよく動いてもらえいやすいです。
(個人的にはもともと対応や態度が悪い、というようなことにはあまり当たりませんでしたが、少し大変なことをお願いした場合にも親身に進めてくれたりすることがありました。)
"3ヶ月目の危機"は語学留学にも起こりうる
ビザを取らずに済む3ヶ月の語学留学をする方も多いですが、2-6ヶ月の時点で泣きたくなってしまう日本人は少なくありません。それまでレッスンしていた方のお友達やイタリア人の友人からそのお友達や同僚の方をご紹介いただくようになりました。
3ヶ月というと、語学学校で毎日4時間、2時間文法・2時間会話実践の勉強をすると大まかな文法が半分ほど終わる時期。
思い描いていたより進んでいる実感がない・思うように口から出てこない・日本で習っていた時と違って日本人慣れしていない先生のレッスンのリズムにまだ慣れないなどなど、色々な想いがあるようですが、私にはそのどれもよくわかるもので、また逆にそういうことがあるのはちっともおかしなことではないと思います。
でも、現地に来て限られた時間の中で何かを成そうという向上心の高い人ほど、そういう思いを抱くことがあるような気がしています。
私自身もイタリアでほぼゼロからイタリア語を始めたようなものですが、それから数ヶ月の頃、日本語の文法書を読み返して「イタリア語文法ってこんなにシンプルだったっけ…!」と感動しました。
逆に現地で暮らす人から教わるからこそわかることや和伊・伊和辞典に対する違和感も感じるようになったりして、やはりイタリア人から教わることや現地にいくことの良い点も無限にある感じています。
でも、間違いをおそれずにリラックスして学んでほしい
その両面を見たり感じた上で、私は「大丈夫だよ!コツコツやっていこう!」といいたいのです。そうしてほっとしてまたグッと自分の力を発揮した人を何人も見てきたから。
日本にいる外国人の方に「日本語じょうずですね!」と感動したことがない人っているでしょうか。
空港で撮影されるテレビ番組、街を聞かれて、友達の友達…などなど、きっと誰もが一度はそう思ったことがあるはず。
でもよーーーーーく考えると、きっとそんなに難しいことを言っていなかったこともあるような…?
学習の目的にもよりますし、成し遂げようとしていることによって求められるレベルは違います。
でも最初は難しいことを言うよりも、自分のレベルに合わせてその人らしく挑戦してくれていること、"自分たちの文化を取り入れようとしてくれている気持ち"がなによりも嬉しかったりしますよね♪
それはイタリア語にもまた言えること。
歌にしても語学学習にしても、人を応援していたい
日本での生活、イタリアの生活、いつでも応援してくれる人がいます。
そして今フランスを目指しているところ(状況的には手続きが進められる時をまっているところです。)ですが、いつの日もたくさんの人に支えていただいています。
趣味の方のちょっとした楽しみでも、これからイタリアにいく!🔥と燃えている人とも、「私の知ってるイタリア」を分け合いたい。そして人生の彩りが少しでも増えたと感じていただけたらとっても嬉しいです。
特に今はイタリアを心配したり、イタリアに行けるかな?と不安な方も少なくないかと思いますが、それでも興味があることを深めていったり、やれることをやることでこの時期を有意義にすごすお手伝いをできたら幸いです😊
少し長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。良い夜をお過ごしください♬
本日のBGM