二拠点生活への第一歩は、再スタートの幸せな一歩
<ここまでのまとめ>
前々回と前回→https://note.com/asamitou/n/nfbcc6681e3ee
<今回も前回からの引き続きです>
さっそく週末に約束し、近くで待ち合わせると、「あわよくば」みたいな雰囲気を全身からただよわせた人が物件を案内してくれた。ちっともおしゃれでもかっこよくもない、明らかに古い建物だったけれど、意外にも、五年ほど前まで、使っていた人がいたらしい。その方が多少のリフォームをしたそうで、中は外見よりはずいぶんましで、住めそうな感じだった。ただ、床板などはもうどうしようもないところもある。ひととおり見せてもらって、小さくてすごく懐かしい感じの事務所に行き、値段を聞いた。
破格のお値段だった。正直びっくりしたくらい。内覧の日までに謎の準備のよさを発揮してお金に関しては何パターンか計算して臨んだのだが、そのどれにも当てはまらない安さだった。案内してくれた人は、昔はもうちょっと賑やかだったのだと教えてくれ、でもとてもいいところだと強調していた。とにかく静かだというのが売りだった。近くにめぼしい観光スポットもなく、地域(区画)の設備的にもあんまり充実しているとはいいがたい。別荘がほしいと考える人なら、あえてこんなところを選ばなくても、一時間くらい離れたところにもっとよさそうなエリアがある。だから安いのだろうと思ったけれど、それでも事故物件では? と不安になったので、数日以内にお返事しますと伝えて帰宅してから、ネットで改めてこのへんの物件価格を調べた。
事前に調べたときは見つけられなくて諦めたのだが、今回は気になって、近隣の地名も入れて検索した。すると、ちょっと離れたところで、これまたえらく寂れてたぶん建て直さないとだめだね、みたいな物件が出てきて、こちらも格安だった。範囲を広げて検索しても三つ程度しかヒットしなかったけど、なんなら今日紹介されたのはちょっと高いくらいだ。
土地の広さとか設備とか、家の前の道路(もちろん、未舗装)とか、もろもろ考えてあれこれ調べて、結局買うことにした。とにかく安いのがありがたい。
買いますと返事をしてからも、うつ病はどこにいったんだろうという勤勉さで、着々と手続きを進めた。土地と建物(建物は実質、ただみたいなものだった)はローンなしで買い、リフォームはローンを組むことにしたのだが、建築会社を決め、いざ、というところでつまづいた。
うつ病履歴があるとひとりではローンが組めないのだ(今は変わっているかもしれない)。
親御さんやご兄弟など保証する人が必要です、ときっぱり言われた。
まあ、ある日突然死ぬかもしれないから、貸す側としてはリスクが大きいのだろうとは思うけれど、なんだかしみじみした。この病はすごく大変なだけじゃなくて、社会的な信用もなくすんだな、と。
さすがに即金では払えないし、かといって、今更諦める気もなかった。せっかく小説だって執筆再開したのだ、どうしても山奥で暮らせる場所がほしい。
悩んだあげく、結局は両親に、うつ病をわずらっていた、ということを打ち明けた。なのでひとりでローンが組めないが、このような計算をしており、この程度の期間で返済が済む計画は立ててある。保証人として名前だけ貸してほしいと、仲のよくない親に頭を下げて、最初は反対をされ(気持ちはわかる)、数日粘って、結局承諾してもらった。
今思うと、なにも頭を下げなくても、費用は判明したのだから、数年頑張って貯蓄してからリフォームに着手する、という方法もあった。でもあのときは、なにがなんでも「今」やらなければ、という一心だった。そもそも、小説家になったからって山奥の家は必須ではない。今までどおり、犬たちとはキャンプやペンションに行くのでも、なんとかはなる。
だけどその選択肢は、当時まったく頭に浮かばなかった。ただどうしても、あそこで暮らしたいとだけ考えていた。結果的に、よかったと思う。物事には勢いが大事なときもきっとあって、もしあそこで諦めていたら、今も放置しているか、手放していたかもしれないから。
もろもろの打ち合わせをし、必要なことを決める煩雑な期間を経て、無事にリフォームの工事がスタートしてからは、二回、見にいった。もちろん車には犬を積んで。早朝に高速を走って山道を抜けていくのはとても楽しく、秋の山はうきうきする寒さだった。寒いのが大好きな犬たちは興奮して嬉しそうだった。帰りに遊んで帰ろうね、と約束して、工事中の家を眺める。工事の人は進行具合など説明してくれるついでに、敷地内に生えているきのこがおいしいことを教えてくれた。「鍋とかね、汁物に入れるとおいしんだよ」。当時の私は野生きのこは見る専門だったので、「へえ」と思うだけだったが、この情報はあとで役に立つことになる。
それから、うろうろと周囲を見て歩いてはじめて、敷地の端に生えているのが山椒の木だと気がついた。買おうと思って内見に来たときは全然気がつかなかったが、嬉しいおまけだった。山椒は大好物。アゲハの幼虫も大好きだ。来年の春が楽しみで、帰りには通りすがりに見つけた東屋で、作ってきたおにぎりを食べた。綺麗な山の連なる秋の景色を眺めながら、ずっと昔のことを思い出した。
子供の頃、私は親の都合で東北から東京の端っこへと引越したのだけれど、最初、東京はすごくしんどい場所だった。電車はありえないほど混んでいるし、家のすぐそばの道路でさえ、車が信じられないくらい通る。空気はくさくて、見回してもどこにも山が見えない。でも、この引越しがわけありなことを、私は知っていた。いくつかの、あまりよくない事情があって、父は職を変えて東京を選んだのだ。だから帰ることはできないし、私も帰りたいとは思っていなかった。どんなにしんどくても、ここで生きていかないとならない、とわかっていたからこそ、よけいに、今までと全然異なる環境がつらく感じられたのだ。
ちょうどあのときと反対だ、と、東屋でやたらおいしく感じるおにぎりを食べながら思った。不可抗力の、喜びのない第一歩で不安だった小学生の私は、社会的信用をなくす病気を患ったけれど、楽しいと思える一歩を踏み出している。
表面上の生活は変わらなくて、帰ったらまた出社しなきゃならないけれど、犬を撫で、ロングリードで走りたい組(走りたくない犬もいたのです)を走らせて車に戻って、東京へと帰る道中も、全然つらくなかった。