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二拠点山の中暮らしをはじめたわけ(2)

 なにもかもが味気なくなってしまったことは寂しかったが、これは改善のしようがなかった。
 これまで好きだったことに今までのようにハッピーになれないのはもちろん、新しいなにかをやろうという気力も湧いてこない。日常のちょっとしたことさえ、しよう、という意欲自体が、この頃はなかった。世に溢れるうつ病の体験記のとおり、この病気はそういうものなのだ。
 といって、じゃあ全部灰色でずっと悲しく死にたいだけか、といえば、そうでもない。人と挨拶するときに笑顔にはなれるし、犬の仕草は可愛いなあ、いとしいなあと思う。電車で泣いている赤ちゃんに遭遇したら、お母さんごと抱きしめてあげたくもなる。えいやっと料理できて、いい感じに出来上がったときは達成感もあった。
 ただその、ふわっと心地いいのが長続きしなくて、波形でいうなら、波のかたちが小さいイメージ、と言ったらわかりやすいだろうか。
 復職してすぐの頃は、一生このままかもしれない、と感じていた。少しずつ仕事に行く生活に慣れ、薬も切って、表面上は治ったことになった私は、もう以前の私と地続きじゃない。記憶は不鮮明だし、日々微妙にどこかの具合が悪い身体は借りものみたいだった。
 母の友人が、よかったら泊まりがけで遊びに来ないかと誘ってくれたのは、復職してから四か月くらいした春のことだった。実をいうとこれも微妙に記憶が曖昧だったのだが、この前写真データを整理したときに、日付が残っていたので、「そうか、春だったんだな」とわかった。暑かったか寒かったかは覚えてない。
 当時母と仲良くしてくれていたその方は、以前わんこちゃんのことでご縁があって、私の飼っている犬も一緒に遊びにきてくれていい、というので、ありがたく伺った。住所をナビに入れても出ないような、僻地にある別荘だ。
 はるか昔に、このあたりも別荘地として売り出したいと目論んだ不動産会社が開発しかけたけど、全然売れなくてほとんどが森と荒地と廃屋、という、一応は別荘地の中にある母の友人の別荘は、建物はこぢんまりだけれど庭が広くて、なにより周囲には人がいないので、大型犬を連れて散歩するのにも気兼ねがいらないところだった。最寄りのスーパーは車で40分だし、病院もそれくらい離れてるし、コンビニでさえ車で10分はかかる(それでもコンビニがあるだけ、僻地としてはマシなほうだ)。さほど遠くないところにキャンプ場があって、夏はそこそこ車や人も見かけるというが、オフシーズンの春は本当に静かだった。
 当時私の犬は四頭いたのだけど、うち一頭が、困ったことに典型的なリアクティブ&センシティブな子で、人も犬も音も苦手な超絶臆病だったので、それまでもよくキャンプだとか誰もいない山の中散歩だとかにでかけていた私にとって、天国みたいな寂れた土地だった。
 落ち着けていいですね、と言った私に、母の友人は、お世話になっている管理人さんが管理している場所で買い手を探している区画があり、古いけどしっかりした建物っぽいので、そこなど買ってはどうか、という趣旨のことを、たいへんおっとりと言った。ちょっと変わっているけれど上品なマダムなのだ。たぶん、わんこさんのことで知り合わなかったら、絶対母や私とは友達にならなかったと思う。
 シルバニアファミリーの家でも買うみたいな気軽さで言われたが、ちょっと怖いくらい寂れているとはいえ、別荘地だ。そりゃこういうところに気軽に来れたらすごく楽だしありがたいけど、「いいですねえ、じゃあ買います!」という類のものではない。なけなしの社交性を発揮して、「いつか買えたら素敵ですね」と笑って、一泊して東京へと戻った。
 月曜日からはまた、抜け殻が無理して人間ぶったみたいな気分で仕事をこなす日々がはじまった。少しずつ、本当に少しずつ、仕事の量を戻していきながら平日をやりすごしているうちに、暑くなる前には残業もするようになっていた(記憶がないが、ほかに残っている書類から逆算すると、夏になりかけのころは残業していたみたい)。気持ち的には全然楽になってなかった。新作のアニメを観ようという気持ちはいまだに湧いてこないし、好きな作家さんの新刊の発売日なんて、調べてもいない。思い出したように書店に行って本を買って、読んで「よかった」と思っても、その習慣を続けられなかった。オフ会をひらくくらい好きだったジャンルは、もう心が動かなくて離れてしまった。以前ははじめると没頭していいリフレッシュになった手芸も、道具を出すまでもいかない。無趣味な上に人付き合いも得意じゃない、仕事を頑張るでもない、めちゃくちゃつまらない大人になっていた。
 夜に会社から出て、駅までの道を歩きながら、こんなにつまらない人間のまま、だんだん残業も増えて、惰性で働いて一生が終わるのかな、と考えたとき、私は「いやだ」と思った。絶対にいやだ。どうせ死んでしまうなら、せめて少しでも、やりたかったこと、やってみたかったことにチャレンジしてから死にたい。
 クリニックで診断されてから一年以上、実際に病みはじめてからはもっと経っていたその日に、ものすごく久しぶりに、スイッチが入る感じがした。絶対いや、と思うことさえ、うつ病のときはできないのだ。
 唐突に、猛烈に、「このままじゃいやだ」となった私は、混んだ電車に揺られて帰るあいだに、二つ決心した。
 ひとつは物書きになること。小さいころから、小説を書く人になりたかった。大学までに何度かチャレンジして芳しい結果もなく挫折したあと、社会人になってからは同人誌の二次創作しかしてこなかったけど、「文章を書く」ということだけは、私がほぼ唯一、ずっと変わらずに続けてこれたことだ。もう一回挑戦したところでデビューできるかわからないけれど、やらずに死ぬくらいならやって死のうと思った。
 もうひとつが、マダムの言っていた物件を見て、買うことだった。
 呼吸すら面倒だったときでさえ、私は犬が好きだった。嫌いだとか邪魔だとか面倒だと思ったことがない。でも、病気になったあとからは、ずっと申し訳なさをともなう「好き」だった。こんな飼い主でごめんね、と毎日思っていた。うつ病にならない飼い主だったら、犬たちはもっとたくさんいい思いができたはずだから。治った実感もないまま働いてまた帰宅が遅くなって、寂しい時間を過ごさせるのはもうおしまいにしたかった。
 あの別荘地なら、犬たちはのびのびできそうだし、私も犬と密な時間が過ごせる。もちろん、物書きとしてデビューでもしないかぎり、会社は辞められないのだが、とりあえず物書きになれる前提で、そのときのために別荘を買っておこう、と思った。
 いずれ住んでもいい。できれば半々くらいで、あの山奥と東京とで暮らせたらベストだな、と思って、私はさっそく、帰宅後に母に連絡を入れ、翌日にはマダムに連絡し、話題に出ていた管理人さんの連絡先を教えてもらった。
 勢いに任せて連絡した。いきなり「買いたい」と、金持ちでもない独身の女が言ったところでまともに相手してもらえないかもしれない、と思ったけれど、その頃、寂れすぎて買いたい人など誰もおらず、所有会社や所有者は持て余しているような状況だったので、じゃあ見に来てくださいと言われた。

 あのときの心境はもう曖昧で、思い出すとまるで別人みたいに感じるのだけど、二つの決意は人生で初めて、外的な必要に迫られず自発的にした決意だ、というだけでなく、決意だけでどうにか成し遂げた唯一のターニングポイントだった。
 普通、人生の大きな決断だとか方向転換って、誰かほかの人が関わっていたり、なにか理由があって「せざるをえない」ものだ。高校を卒業するから進路を決めなきゃとか、親が亡くなったとか、好きな人がいてずっと一緒にいたいと思うとか。
 自分ひとりだけにかかわることって、そもそもそんなにないし、自分にしかかかわらないから、決めたり頑張ったりしないでもやっていける。
 だからよく「決意だけで人は変われない」というし、私も「明日からは部屋を綺麗に保つ」とか「散歩のついでにジョギングする」とか決意してはことごとく続けられずに終わっている。世の中にはすごい人がたくさんいるから、決意すればできる、いつもそう、という人もいるかもしれないけど、私みたいに常に世界のモブな人間には無理だ。
 でも、もしかしたら、モブでも人生に一度くらいは、決意だけでどうにかできることもあるんじゃないだろうか。
 その一度のチャンスが、私にとってはあの夜だったのだと思う。

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こんばんはこんばんは。
朝に読む人はおはようございます、お昼に読む方はこんにちは。
連続度が高い内容になったので早めに更新しました。

次回は、「二拠点山の中暮らしの第一歩」をお届けします。

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asami
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