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あったかもしれんしなかったかもしれんし


ほんの1年や2年後の生存率が危うくなる。人生時系列に分岐点があるなら、意識していなかった選択が なるはずだった にシフトする偶然と言ったら、、!
いや、奇跡か。。。?(一応カトリック大国ペルー在住ですし、この言葉を使うのはフワフワしている感ある。)これが生命なら、とても重たく安売りなものだなと実の感する。
去年の暮れに一時帰国として日本に帰って来たけど、そこからもう、考えもなしに目まぐるしくどうにか日々こなし、もう早、サクラサクって感じです、、、。4月かあ。

先日入院しており、退院しました。すこぶる調子良しで、もはや簡単トレッキングやお仕事等しておりますが、経過観察やその他諸々、今年は結構日本におります。
そこまでに至る偶然は、かなり解像度高く脳裏に焼きついており、とにかくもう、ほんっとうにどうしようもない私の母が、神に思えて仕方ない体験にもなった笑 (あ、また紙とかそういう言葉使ってもた。。)
歳をとればとるほどこういった体験の密度は上がると思うし、高齢になればなるほど、それこそ1日一瞬が今いる次元と違う次元とのツギハギに感じるのかもしれないな。

 あの時こうしていれば 助かった/助からなかった が結構明確な体験となり、自分の刻む一瞬の時間が究極に偶然性を増してくる。しかしこの偶然っていう便利で安心して放り投げれられる言葉も、神同様にあやうい言葉だな。「ペルー」で、(私より全然若い)「ベネズエラ人」に、コレおもしろいよーって勧められたのが、「フランス」革命舞台のベルばら(アニメ)で、あ、それはもちろん(漫画)で読んでるけども。私からしたら一昔前の作品だけども。因みにその子はベルばらが日本産という事は知らなかった。。。もはやoriginばらばら、何がどうなって通じている私達。
いつ、どこで、誰が、どうしたゲームの様に、各々の事象が違う国、時代、ツールで、つぎはぎだが遠目では縫い目がわからない一枚布になる。それらを掘り下げ近づこうとしなくても、彼と私がいる空間があるって事は救いだにゃ(あ、またsukuiとかそういう。。)

風が吹けば桶屋が儲かるのも、デジャブも臨死体験も、ミクロ以前を覗く最近の科学が進めば、そりゃあもうばんばん証明されてくるのかもしれない。偶然なのか、そんな言葉はもはや無いのか。そこまで気にして毎日過ごしてはいないから、あやふやな事柄達が理屈を通しはじめるとこちらとしては面白みに欠けるし、そんなんええねんってなる。謎が解明されるのは非常にありがたい事でも、日常の面白さが追いつけないほど謎解きしてしまっては身も蓋もない感じだ。いや、かと言って昨今の科学進歩には感動さえするしな、、。
でもまあ、考えてる自分ある故、、自分から自ずと考えている身体がある以上は、全ての事は命を前に取るに足らない事象だと、思う様に(したい)。とどのつまりいまのところ生きておきたい。

 帰国後から転々と日本滞在する事になったが、特に広島内は竹原中心に満喫しております。ビバ・魚介。ビバ・自然。
今年は続々楽しい事待っているぞ。サンドロも日本にやってくる😁(サンタが街にやってくる!)
沢山たまった写真もポコ・ア・ポコ、整理していきたいと思います。

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