ほんの1年や2年後の生存率が危うくなる。人生時系列に分岐点があるなら、意識していなかった選択が なるはずだった にシフトする偶然と言ったら、、! いや、奇跡か。。。?(一応カトリック大国ペルー在住ですし、この言葉を使うのはフワフワしている感ある。)これが生命なら、とても重たく安売りなものだなと実の感する。 去年の暮れに一時帰国として日本に帰って来たけど、そこからもう、考えもなしに目まぐるしくどうにか日々こなし、もう早、サクラサクって感じです、、、。4月かあ。 先日入院してお
天気のいいお昼、気付かない間に寝てしまっていた。目が覚めるか覚めないかのうつつな状態で、右肩あたりにパンを抱えている事に気づく。なんだそりゃでも寝落ちしたのでそういう奇想天外おきる、うんうん。 邪魔だなあと思いパンを退けようと必死になるが取り除けない。おかしいな、夢の中でない事が明確にわかっている(と思ってる)が、なんか変。バケットほどの長さのパンと格闘後、遂に鷲掴みにし、捕らえた!勢い余って起き上がりそのものに目を向けた。 、、、右腕だった。 よくよく体と頭の感覚を起
一時帰国に向けて忙しなく過ごしていた去年末のリマ。 よく行くスーパーへの道にでっかい交差点がある。 信号無視、スピード違反、えっとここ何車線ですか、…あ、というか信号機壊れてた。。いや、でも警備の人が手信号でなんとかしてる〜⤴︎…とか思ってたら携帯見てた〜⤵︎ とか、毎日そんなんです。 そしてsonnanが毎日だと、こちらも来秘数年目までは戦うが、2、3年もすれば人間の適応能力凄まじいもんで、郷に入っては〜精神で気にしなくなります。社会的に正しいことを掲げないでいると気が済ま
Entonces…. Más de 10ños aquí en Perú..あけましておめでとうもクソもあるかっ・・!秘露にきて10年以上経っていることに驚愕、こうなっては今年はどうとか去年はどうとかいってる場合じゃなかったー、、人口比で言えば世界一のコロナ被害があったペルーでのこの2年程は日々を過ごす事で精一杯だったが、あれやこれやしないといけないプレッシャーの様なものが皆無、生きたもん勝ち✴︎みたいになっていたので(いや、まじで。相当死んじゃったので、周り・・汗)日常をう
6年前のブログを読み返し、変わらぬ意思を実感! 以下、 ********************************** ~ペルー鳩事情~ ハトは好きですか。 首を振りながらホーホーいう感じとか、大群が気持ち悪いっていう意見もちらほらありますけど。 私はどちらかと言えば チンチラ派ですが、意外と鳥も魚も好きだし、ハトもいけるくちです。 旅行先の様々な国でハトを見かけては餌やったり、腕に乗っけてみたりしてました。なんか定年後のおいしゃんの午前中、み
去年でしょうか、ニュース等で少し話題になった医大生の入試問題。 コレを読んだ時真っ先に、この記事が ”医大” の入試である事がものすごく腑に落ちた事を覚えています。しかも今読み返し、今後もっとこんな議論がなされるべきだと思えるのは、世界的パンデミック下で衛生面や価値観の違い問題が浮かび上がり、それをどう他人に伝達・共有するかという問いに近いと感じるからです。 眼差しの行方の問題であって直接的な解答を求めないから、その人の素質というか、対患者にどう接するかが正直に見えてくる
今日は8月15日、秘露時間で終戦記念日。(読めるかな。)絶賛5ヶ月目に入った外出制限令下のペルーにおいて、戦時中の人々の心境について考察できるような。しかしながら、自分の牧歌的な部分と事の重大さの幅がどうも重ならずに、もやもやしております。 現在の生活はぎりぎりです。 彼ら一人一人が抱える問題と、それが集まった時の問題と、ペルー独自の社会的問題と、経済的問題と、日本で育った私の問題と・・・まあ、カオスです。それでも、私とサンドロと三人で各々できることを分担し、ツギハギし、穴埋
私は本をあまり読みません。いや、全く読んだことがないのかもしれません。(あ、この言い回し・・)特に小説類は皆無です。文章書くと知識のなさがばれ、こんな風に発信すればどこかの誰かをもやもやさせるに違いない。しかしながら読む人を考えて文章を書くことは作品と同じくらい別格で、それがどういうフォームであれ、もう自分の表現の一つという感覚でいます。 本読まないくせに日本にいる時は本屋には一日中いる事もしばしばでした。何を楽しむかというと、興味のある記事やあらすじだけを見て回り、その断
前回で私達の日本滞在中、義妹が入院することになった丁度一年前の出来事を辿りました。 日本からペルーに戻った私達は、初めての経験で大量に抱えた思い出と処理仕切れない情報が交差し半ば興奮醒めないでいました。しかし急に現実を突きつけられたというか、初めて入院先にロシオ(義妹)のお見舞いに行った時は胸が締め付けられました。日本ではもう馴染みがないナイチンゲール型病棟(広いスペースにベットが横並びの共同病棟。へぇえ。)に横たわって反応もあまりない状態。病室はシステムや技術、衛生面共に
エロティックというか、神秘的というか。かの、マツピツ遺跡のイメージがあるので、謎多き国と言ったところでしょうか・・。漢字で書いたペルーはあながち国の雰囲気をとらえているような気もするのですが。どうなんでしょう。 今日は私の現在の日常である、要介護、支援が必要な3人との共同生活について書いていきたいと思います。秘露に来て9年目になりますが、新型ウィルス以前より生活が一変し、2020年という区切りの良い年は、節目というかターニングポイント的な年に感じられてなりません。 小さく
ペルーに初めて来てもう9年ほどになるでしょうか。その間は日本に帰ったり帰らなかったりしていたのですが、今のパートナーと知り合い、首都のリマにアトリエを開いてから基本リマで生活しています。 私達のアトリエ・チゥアコは旧市街からも新市街からも丁度半分程の立地にあり、不自由はありません。 正面は大きい総合病院、緊急搬送入り口に当たる道なりですし、隣近所は葬儀屋一帯、このパンデミックご時世でなくても毎日のように遺体が運ばれてきます。今、私が逝
2年ほど前からnoteやりたいなぁ、と頭の片隅にはあったのだけど・・。 海外ということもあり、いずれやる時があればぐらいにしか思っていませんでした。しかしながら、日に日に増す日本語不足と外出制限の閉鎖的な空気感が、「あ、これもうなんかあかん、日本語ください・・」となり、ついペンを取った次第です。 ・・ノートパソコン開いた次第です。(長文とかの作業のみ使用ですが、私のパソコンはもうバッキバキに折れてますんで開くのにも一苦労します。新しいの買えるまで頑張る。) Facebo