「開拓に寄す」高村光太郎
岩手開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
人間ひとりひとりが成しとげた
いにしへの国造りをここに見る。
エジプト時代と笑ふものよ、
火田の民とおとしめるものよ、
その笑ひの終らぬうち、
そのおとしめの果てぬうちに、
人は黙つてこの広大な土地をひらいた。
見渡す限りのツツジの株を掘り起こし、
掘つても掘つてもガチリと出る石ころに悩まされ、
藤や蕨のどこまでも這ふ細根に挑まれ、
スズラン地帯やイタドリ地帯の
酸性土壌に手をやいて
宮沢賢治のタンカルや
源始そのものの石灰を唯ひとつの力として、
何にもない終戦以来を戦つた人がここに居る。
トラクターもブルドウザも、
そんな気のきいたものは他国の話、
神代にかへつた神々が鍬をふるつて
無から有を生む奇蹟を行じ、
二万町歩の曠土が人の命の糧となる
麦や大豆や大根やキヤベツの畑となった。
さういふ歴史がここにある。
五年の試練に辛くも堪へて、
落ちる者は落ち、去る者は去り、
あとに残つて静かにつよい、
くろがね色の逞しい魂の抱くものこそ
人のいふフランテイアの精神、
切りひらきの決意、
ぎりぎりの一念、
白刃上を走るものだ。
開拓の精神を失ふ時、
人類は腐り、
開拓の精神を持つ時、
人類は生きる。
精神の熟土に活を与へるもの、
開拓の外にない。
開拓の人は進取の人。
新知識に飢ゑて
実行に早い。
開拓の人は機会をのがさず、
運命をとらへ、
万般を探つて一事を決し、
今日は昨日にあらずして
しかも十年を一日とする。
心ゆたかに、
平気の平左で
よもやと思ふ極限さへも突破する。
開拓は後の雁だが
いつのまにか先の雁になりさうだ。
開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
岩手の原野山林が
今、第一義の境に変貌して
人を養ふもろもろの命の糧を生んでゐる。
読書に朗読に、ご自由にお使いください。
出来るだけ誤字脱字の無いよう心掛けましたが、至らない部分もあるかと思います。
個人的文字起こしなので何卒ご容赦下さい。
底本:「高村光太郎全詩集」新潮社
昭和四十一年一月十五日発行
「典型」以降(昭和二十五年~昭和三十年)