三島朝海

ごく個人的に文字起こしをしたり、稀にYouTubeで朗読をしたりしています。どちらも拙いですが立ち寄って頂けるととても嬉しいです。

三島朝海

ごく個人的に文字起こしをしたり、稀にYouTubeで朗読をしたりしています。どちらも拙いですが立ち寄って頂けるととても嬉しいです。

マガジン

  • 文字起こししたもの「高村光太郎」

    高村光太郎作品で、青空文庫に無いものを文字起こししました。 読書に朗読に、どうぞご自由にご利用下さいませ。 底本:「高村光太郎全詩集」新潮社 昭和四十一年一月十五日発行   「典型」以降(昭和二十五年~昭和三十年)

  • 文字起こししたもの「薄田泣菫」

    薄田泣菫作品で、青空文庫に無いものを個人的に文字起こししました。 読書に朗読に、どうぞご自由にご利用下さいませ。

  • 文字起こししたもの「横光利一」

    横光利一作品で、青空文庫に無いものを文字起こししました。 読書に朗読に、どうぞご自由にご利用下さいませ。

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電子の海の片隅でひっそり朗読などをしています。 「冬と銀河ステーション」宮沢賢治【詩の朗読】 「茶立虫」薄田泣菫【随筆の朗読】 「母の茶」横光利一【随筆の朗読】 「木犀の香」薄田泣菫─随筆の朗読 「東北の秋」高村光太郎─詩の朗読 「秋の日曜」中原中也─詩の朗読

    • 「典型」以降 高村光太郎

      東北の秋 芭蕉もここまでは来なかつた 南部、津軽のうす暗い北限地の 大草原と鑛山つづきが 今では陸羽何々号の稲穂にかはり、 紅玉、国光のリンゴ畑にひらかれて、 明るい幾万町歩が見わたすかぎり、 わけても今年は豊年満作。 三陸沖から日本海まで ずつとつづいた秋空が いかにも緯度の高いやうに 少々硬度の透明な純コバルト性に晴れる。 東北の秋は晴れるとなると ほんとに晴れてまぎれがない。 金の牛こが坑の中から 地鳴りをさせて鳴くやうな 秋のひびきが天地にみちる 開拓に寄す

      • 「五月の日光と陰影の戯れ」薄田泣菫

        一  雨がやんで、五月の空が晴やかに笑ひ出した。  新鮮な藍色の空。あの寶玉に譬へられる名器、砧形の青磁の肌を思はせるやうな淡藍の空の潤ひ。その潤ひは私の心を動かして、素足の蹠に靑草の柔かい感觸を樂しませるべく、靜かな郊外へと引張り出さうとするが、とかく病氣がちで、この二三年が程は一歩も門を外へ踏み出した事のない私は、どうにもその誘惑に應じかねてゐるので、私はせう事なしに「空想」の翼に乗つて、ほんの暫くの間でも、行き當りばつたりに晩春の外光を心ゆくまで樂しみたい。  私はま

        • 「内面と外面について」横光利一

           「笑はれた子」は最初發表したとき、「面」と云ふ題にした。確か書いたのは二十か二十一の頃だつたやうに記憶してゐる。 私の父の弟(私の叔父)のことを書いたものであるが、かう云ふ話に興味を持つたその頃の自分を振り返つてみると、ちょつとませてゐて不快である。しかし、私は此の作を恐らく五回ほど書き直してやつと仕上げた。 最後の所にひつかかつて、一年ほどほつておいた。 一年ほど過ぎてまたとり出して最後の所を讀むと、またそこが不快になつて書き直した。だから、年月で計算すると、此の十枚足ら

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        • 文字起こししたもの「高村光太郎」
          6本
        • 文字起こししたもの「薄田泣菫」
          4本
        • 文字起こししたもの「横光利一」
          9本

        記事

          「開拓に寄す」高村光太郎

          岩手開拓五周年、 二万戸、二万町歩、 人間ひとりひとりが成しとげた いにしへの国造りをここに見る。 エジプト時代と笑ふものよ、 火田の民とおとしめるものよ、 その笑ひの終らぬうち、 そのおとしめの果てぬうちに、 人は黙つてこの広大な土地をひらいた。 見渡す限りのツツジの株を掘り起こし、 掘つても掘つてもガチリと出る石ころに悩まされ、 藤や蕨のどこまでも這ふ細根に挑まれ、 スズラン地帯やイタドリ地帯の 酸性土壌に手をやいて 宮沢賢治のタンカルや 源始そのものの石灰を唯ひとつの力

          「開拓に寄す」高村光太郎

          「生命の大河」高村光太郎

          生命の大河ながれてやまず、 一切の矛盾と逆と無駄と悪とを容れて がうがうと遠い時間の果つる処へいそぐ。 時間の果つるところ即ちねはん。 ねはんは無窮の奥にあり、 またここに在り、 生命の大河この世に二なく美しく、 一切の「物」 ことごとく光る。 人類の文化いまだ幼く 源始の事態をいくらも出ない。 人は人に勝たうとし、 すぐれようとし、 すぐれるために自己否定も辞せず、 自己保存の本能のつつましさは この亡霊に魅入られてすさまじく 億千万の知能とたたかひ、 原子にいどんで 人

          「生命の大河」高村光太郎

          「お正月の不思議」高村光太郎

          ひとまりしてきた地球が 顔をあらつて、お早うといふ。 冬でもぬれてるニツポン的な空の色も、 物の音も、人間の顔も、ドブ川の流も、 わたくしの肋間神経痛も、 すつかり新年といふことで、 去年いちねんにつみ重なつた 手におへない、あぶないものが あぶないまんま凍結して、 虚無のやうに平安な 前代未聞にあたらしい 一代雑種のやうな朝が来た。 世界平和と人類破滅とが 仲よく隣同志でそこにゐる。 こんな矛盾が矛盾にならないほど 微妙な天秤に人間はのつてゐる。 そのくせ、虚無のやうに平安

          「お正月の不思議」高村光太郎

          「開びやく以来の新年」高村光太郎

          一年の目方がひどく重く身にこたへ、 一年の味がひどく辛く舌にしみる。 原子力解放の魔術が 重いつづらをあけたやうに 人類を戸惑ひさせてゆるさない。 世界平和の鳩がぽつぽとなき、 人類破滅の鎌がざくざくひびく。 横目縦鼻の同じ人間さまが まさかと思ふが分らない。 胸を定めてとそを祝はう。 重いか軽いか、ともかくも、 開びやく以来の新年なんだ。 読書に朗読に、ご自由にお使いください。 出来るだけ誤字脱字の無いよう心掛けましたが、至らない部分もあるかと思います。個人的文字起こしな

          「開びやく以来の新年」高村光太郎

          「ものの音、ものの聲」薄田泣菫

          一  ものの音。ものの聲。──といつたやうな題目で何か書くことになつた。できることなら默思と點頭と微笑との世界に安住したく思つてゐる今の私にとつて、これはまた何といふ因縁であらう。  ものの音。──といへば、私には直ぐと「きひよん」の侘しい音が思ひ出される。 よく山裾の木立や、家々の植込などに蚊母樹を見かけることがある。夏になると、この木の葉の上に泡の粒々が出來、なかには日が經つと梅の實ほどの大きさにまで、むつくりと膨れあがるのがある。蚜虫の巢で、その幼虫が内部からそれを食

          「ものの音、ものの聲」薄田泣菫

          「東北の秋」高村光太郎

          芭蕉もここまでは來なかつた 南部、津輕のうす暗い北限地帶の 大草原と鑛山つづきが 今では陸羽何々號の稻穂にかはり、 紅玉、國光のリンゴ畑にひらかれて、 明るい幾萬町歩が見わたすかぎり、 わけても今年は豐年滿作。 三陸沖から日本海まで ずつとつづいた秋空が いかにも緯度の高いやうに 少々硬度の透明な純コバルト性に晴れる。 東北の秋は晴れるとなると ほんとに晴れてまぎれがない。 金の牛こが坑(あな)の中から 地鳴りをさせて鳴くやうな 秋のひびきが天地にみちる 読書に朗読に、ご自

          「東北の秋」高村光太郎

          「母の茶」横光利一

           去年の秋京都へ行つたとき都ホテルに泊つた。ここの宿は私は初めてである、私の泊つた宿の中ではベニスのローヤル・ダニエルといふ十六世紀に建つた美しいホテルと似てゐる。ここから同行のH君が子供の骨を西大谷の納骨堂へ納めに行かねばならぬといふので私も一緒に行くことにした。 朝の日光の中を小さな骨壺を振り振り君は、 この子供の顔を僕は知らないのですよ、七ヶ月で流産したものですから骨をかうして持つてゐても、子供の骨だといふ氣がしないのですと言ひつつ、反つた御影の石橋を渡つていつた。實は

          「母の茶」横光利一

          「宮沢賢治」横光利一

           宮澤賢治といふ詩人の全集が出る。 友人や知己の著述に序文を書いたり、推薦文を書いたりするときには、それらの人々の述作そのものよりも、眼に見た日頃の人物の全幅を言外に云ひ現さうとする努力のために、多少とも筆力に誇張を應用させて文章を書かねばならぬ。この心理は筆力が誇張に落ちてゐるそれだけ、筆者の腦裡に膨張してゐる知人の力を、無言の中に云ひ現す方法となつてゐることが多いものだ。 しかし、宮澤賢治といふ詩人については、私は生前一面識もなく、また何人なるかも知らなかつたので、この推

          「宮沢賢治」横光利一

          「宮沢賢治氏について」横光利一

           宮澤賢治といふ詩人はどんな人であつたかは、氏の生前一度も知つたことがなかつた。昨年の九月にこの人は岩手縣の花卷で死んでゐる。この二月になつて、ある日、草野心平氏の個人で出版された宮澤賢治追悼號といふのをふと手にして、初めてこの詩人の名を知つた次第であるが、中に挟まれた詩の幾つかに私はひどく打たれた。 殊に知名の詩人數十名の追悼文を讀んで、詩よりも氏の生活上に於ける日常の態度や行爲に一層私は感服した。 この詩人の行爲は、われわれの理想としてもいささかも遜色のない立派なものだと

          「宮沢賢治氏について」横光利一

          「行々子」薄田泣菫

           二三日梅雨の雨がびしょびしょと降りしきつたので、池の水嵩はいつもよりずつと殖えて來て、そこらにぎつしりと生えつまつた葦の下葉は、ささ濁りのした水のなかにひたひたと漬つてゐる。  葦のなかからは、のべたらに葦切の騒々しい鳴聲が聞えて來る。  爽やかな七月初めの風が、池の頭を掠めてさつと吹きつけると、そこらの葦の葉は一やうにうねうねと波を打つて靡き伏し、搖れ返し、その度にさらさらと葉擦れの音が高く低く鳴りさわめくが、その揺れとさわめきとにつれて、あつちからもこつちからも、呼び立

          「行々子」薄田泣菫

          「大山木の花」薄田泣菫

          一  私の家の前庭に、大山木(たいさんぼく)の若木が一本立つてゐる。  五月の初め頃、生毛に包まれた幾つかの小さな頭を真直ぐに枝先から持ち出したその花は、日毎にその大きさを増していつた。そして六月も上旬の蒸すやうな天氣が續く頃になると、莟のふくらみは佛の前に合掌する尼僧の手のやうに、靑白さに透き徹る神經性の顫ひと清浄さをもつて來た。  やがて鬱陶しい梅雨の雨がしとしとと降り續くやうになつても、花の莟はふつくりと膨らんだまま、なかなか合掌の指を開かうとしなかつた。樹は花と發く前

          「大山木の花」薄田泣菫

          「舟」横光利一

           彼れはキャベツの畑の中に立つてとよの後姿を眺めてゐた。 彼女は靄のかゝつた草原の中を屠殺場の方へ歩いていつた。朝のすがすがしい空氣の下で湖は澄み渡つてゐた。 彼れは彼の女と一緒に屠殺場まで行かうと思つた。さう彼れの思ふのは每朝のことである。彼れは人知れずいつもとよの後姿を眺めてゐた。 彼れは彼の女の肺がもうどの醫者にも見放されたと云ふことも知つてゐた。今はただ彼の女はかうして朝每に、屠殺場の牛の血をひたすらに飮みに行くのだと云ふことも知つてゐた。が、 とよの姿は彼れの見る度

          「舟」横光利一