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花様年華THE NOTES⑧



ホソク
22年3月2日



僕は人に囲まれているのが好きだった。

養護施設から独立したのに伴い
ツースターバーガーで
アルバイトを始めた。

大勢の人 に接し
いつも笑顔で、いつも活気に
満ちていなければならない仕事だった。

そんな仕事が僕は好きだった。

僕の人生には笑うことも
活気に満ちたこともあまりなかった。

これまで、いい人より悪い人を
見たことの方が多かったのも事実だ。

だから、なおさらその仕事が
好きだったのかもしれない。

無理にでも笑い、大きな声で話し
愉快に人々を相手にしてみると
本当にそんな気分になった。

大声で笑っているうちに
気分がよくなり、親切に応対して
いるうちに親切な人になった。

つらい日もあることはあった。

帰宅する頃には一歩
踏み出すのもつらかった。

手に負えない客が
やけに多い日もあった。

それでも笑った。

笑えば元気が出た。

学校を卒業したのは
今年の2月だった。

卒業証書は手にしたが
変わったことはあまりなかった。

せいぜいアルバイトの
時間を増やせることくらいだった。

そんなふうにして収入は増えたが
賃貸の部屋を移るほどにもならなかった。

新学期が始まり
店は目が回るほど忙しくなった。

天然ボケの新入生も
大人ぶって気取っている
上級生もかわいかった。

僕たちにもそんな時期があったのに。

今は皆、どうしているだろうか。

時々、友達を思い出した。

ソクジン兄さんを最後に見たのは
夏休みが始まった日だった。

なぜか避けているようだったから
僕も近寄らなかったが
転校したという話を後で聞いた。

ユンギ兄さんはもとからそうだったが
連絡をしても返事がないし
ナムジュンの消息は誰も知らなかった。

ナムジュンを特に慕っていた
テヒョンは、いつからか学校に
来なくなったが、街で
グラフィティを描いて
よく警察の世話になっているらしい。

ジョングクはたまに店の
ガラスドアの外に現れたりした。

どこかで言い争いでもしたのか
顔に傷があることも多かった。

そして、ジミンは救急救命室から
運ばれていく姿を見たのが最後だった。

あの日の記憶は不意に
頭に浮かび僕を苦しめた。

僕が何か間違っていたのではないか。

何か見落としたのではないか。

客が入ってくる音に
僕は深呼吸をすると
声のトーンを上げて挨拶をした。

こぼれるような笑顔で
ドアに視線を向けた。

見慣れた顔が入ってくるところだった。



テヒョン
22年3月29日


ガソリンスタンドの社長が
地面にツバを吐いて行ってしまった後も
俺は地面に体を縮めて横たわっていた。

ガソリンスタンドの裏の壁に
グラフィティを描いていて
社長に見つかり、やみくもに殴られた。

殴られるのは慣れているはずだが
なかなか慣れないことでもあった。

壁にペイントを塗ること
グラフィティを始めたのは
少し前からだった。

誰かが捨てていったスプレーを
何の気なしに壁に吹きかけてみた。

グレーの壁に黄色が鮮明だった。

それを見ているうちに
なぜか不機嫌になった。

他のスプレーを拾って重ね塗りした。

でも、それも気に入らなかった。

そんなふうにスプレー缶を
1つ1つ空にしていった。

最後の缶を放り投げ
後ずさりした。

全力疾走でもしたかのように息が切れた。

壁に塗られた色が何を
意味しているのかは分からなかった。

何をしたのか
なぜしたのかも分からなかった。

しかしただ1つ、それがまさに
俺の気持ちだということは見当がついた。

俺は壁に俺の気持ちを
吐き出したのだった。

初めは醜いと思った。

汚いとも思った。

バカみたいでもあり
全て無駄なことのようでもあり
哀れでもあった。

気に入らなかった。

乾き切っていないペイントを
手のひらでこすりつけた。

全部、消してしまいたかった。

ぺイントは他の色に塗りつぶされ
かき回されて他の姿に
なっただけで消えはしなかった。

その壁にもたれて座った。

気に入るか、気に入らないかは
問題でなかった。

醜いとか美しいとかも
やはり関係なかった。

ただ、それが俺だった。

体を起こすと咳が出た。

口の中が裂けたのか
手のひらに血が飛んだ。

スプレー缶を拾う誰かの手が見えた。

その手をたどって
顔を上げるとある顔が見えた。

ナムジュン兄さんだった。

兄さんが手を差し出した。

俺はただ見上げるだけだった。

兄さんが俺の手を引っ張って立たせた。

その手は温かかった。


ユンギ
22年4月7日


下手なピアノの音に足を止めた。

真夜中のとした工事現場では
誰かが置いていったドラム缶の中で
焚き火だけがパチパチパチ音を立てていた。

少し前まで俺が弾いていた
曲だということは分かったが
だから何なんだと思った。

目を閉じてわざと、さらに適当に歩いた。

酔った足取りがふらついた。

火が噴き上げる熱気が強くなるにつれ
ピアノの音も夜の空気も酔いもかすんでいった。

酔いが覚めたのは突然
クラクションが鳴ったからだ。

車はギリギリのところで
俺をかすめて通り過ぎた。

眩しいへッドライトと
車が舞い上げた風、酔いの中で
俺は気を引き締めることができなかった。

暴言を吐く運転手の声が聞こえた。

ひとしきり罵声でも浴びせようとしたが
ピアノの音がもう聞こえて
こないことに気づいた。

めらめらと燃え上がる火花の音
風の音、通り過ぎる車の音だけで
ピアノの音はなかった。

なぜやめたのだろうか。

誰がピアノを弾いていたのだろうか。

パチッという音とともに
ドラム缶の中からはじけ飛んだ火花が
暗闇の中を突き上がった。

その火花が真っ黒な灰になって
落ちるのを俺はぼんやりながめていた。

熱気で顔がほてった。

その時、拳でピアノの鍵盤を
叩きつけるように
バンという音が聞こえてきた。

反射的に振り向いた。

その時、血が激しく巡り出した。

子どもの頃の悪夢。

あそこで聞いた音のようだった。

次の瞬間、楽器屋に向かって走った。

俺の意思ではなかった。

俺の心が勝手に動いたのだ。

何度も繰り返して
きたことのような気がした。

それが何なのかは分からないが
切実な何かを忘れていたように思えた。

ガラス窓が壊れた楽器屋の
ピアノの前に誰かが座っていた。

数年が過ぎていたが
すぐに誰だか分かった。

顔をそむけた。

他人の人生に関わりたくなかった。

その人の孤独を慰めたくなかった。

誰かにとって意味の
ある人になりたくなかった。

その人を守れると
自信を持って言えなかった。

最後までそばにいる自信がなかった。

傷つけたくなかった。
傷つきたくなかった。

最後の瞬間が来たら、俺たちは
自分自身を救うことさえ難しい。

歩き出した。

すぐに引き返すつもりだった。

ところが、俺はいつの間にか
ピアノに近づいていた。

そして間違った音を直してやった。

ジョングクが振り向いて見上げた。

高校をやめてから会うのは初めてだった。


ソクジン
22年4月11日

キーッという摩擦音とともに
車が辛うじて止まった。

考え事をしていて信号が
変わったことに気づかなかった。

見慣れた制服を着た生徒たちが
横断歩道を渡りながら
車の窓の外から僕をのぞき込んだ。

僕の運転を非難するように
悪意をむき出しにした表情
冗談を言っているのか
いたずらっぽく笑っている姿
歩きながらも本を
のぞき込んでいる生徒たち
誰かと通話しながら周囲を見回す横顔。

平和な風景だった。

横断歩道の青信号が点滅し始めると
せっかちな車がじわじわと動き出した。

遅れて横断歩道に走ってきた
人たちが急ぎ足で渡った。

僕もアクセルを踏んだ。

いつの間にか、ガソリンスタンドの
ある交差点にたどり着いた。

向こうで給油をしている
ナムジュンの姿が目に飛び込んできた。

ハンドルをぎゅっと握った。

何をすべきか分かっているが
かといって怖くないわけではなかった。

果たして僕がこの全ての不幸と
傷を終わりにできるだろうか。

度重なる失敗は、絶対に
成功できないという
意味ではないだろうか。

あきらめろという意味ではないだろうか。

僕たちにとって幸せは
はかない希望に過ぎないのだろうか。

数々の考えが頭の中を駆け巡った。

息を大きく吸い込み
ゆっくり吐き出した。

ユンギ、 ホソク、ジミン
テヒョン、ジョングクの
顔を1つ1つ思い浮かべてみた。

車線変更をして
ガソリンスタンドに入った。

ナムジュンが近づいてくるのが見えた。

車の窓を開けた。

「久しぶり」



ナムジュン
22年4月11日


給油を終えて戻ろうとした時
何かが頬をかすめて落ちた。

とっさに後ずさりして見下ろすと
足元にしわくちゃの紙幣が落ちていた。

無意識のうちに体をかがめ、手を伸ばした。

車に乗った人たちがクックッと
声を出して笑っていた。

その場に凍りついたように動きを止めた。

少し離れた所に
ソクジン兄さんの姿が見えた。

顔を上げられなかった。

高い車を乗り回し、他人をバカにしたり
あざ笑ったりする人たちと目が合ったら
どうしたらいいのか。

立ち向かわなければならない。

その人たちの行動が不当ならば
立ち向かうまでだ。

それは勇気の問題でも
プライドの問題でも
平等の問題でもない。

当然、そうすべきなのだ。

しかし、ここはガソリンスタンドで
俺はアルバイトの給油係だった。

客がゴミを投げたら
片づけなければならず
客が暴言を吐いたら
聞かなければならず
客が紙幣を投げたら
拾わなければならなかった。

いつもそんなふうに生きてきた。

侮蔑感に体が震えたが
耐えるしかなかった。

ぐっと拳を握った。

爪が肉に食い込んだ。

そうして視線を落としていると
紙幣を拾う誰かの手が見えた。

車に乗った人たちが
しらけたようにぶつぶつ
言い合いながら
ガソリンスタンドを出ていった。

客が去った後も俺は
顔を上げられなかった。

ソクジン兄さんと
目を合わせる自信がなかった。

俺の卑怯さ、俺の貧しさ
俺の境遇を兄さんが
知らないはずはなかった。

それでも、ここまで
赤裸々に見せたくなかった。

ソクジン兄さんは依然として
俺の視野の外から一歩も動かなかった。

近寄ってくることも
話しかけることもしなかった。


ジョングク
22年4月11日

最後は僕の思いどおりになった。

道で出くわした不良たちに
わさとぶつかり、思いきりボコボコにされた。

殴られながら笑ったら
おかしな奴だと言われ、さらに殴られた。

シャッターに寄りかかり
空をながめた。

いつの間にか夜になっていた。

真っ暗な空には何も
浮かんでいなかった。

遠くの舗装道路の間に生えている
1本の小さな草が目についた。

風が吹くと、草がなぎ倒された。

僕のようだった。

涙が出そうで、わざと
大きな声を出して笑った。

目を閉じると、咳払いをしていた
継父の姿が浮かんだ。

腹違いの兄がくすっと笑った。

継父の親戚たちは他の所を見たり
無駄話をしたりしていた。

まるで僕がそこにいないかのように
僕の存在がその人たちにとっては
何者でもないというように行動していた。

その人たちの前で
母はおどおどしていた。

地面に手をついて立ち上がると
埃が舞って咳が出た。

みぞおちの先が刃物で
刺されたように痛かった。

工事の中断で放置されたままの建物。

屋上の欄干をつたい
両腕を広げて歩いた。

虚空に足を突き出すと
つま先から暗闇が満ちてきた。

欄干の下に華やかな色をした
夜の都会が広がっていた。

ネオンサインと車のクラクション
むせるような埃が暗闇の中で
1つに混じり合い渦巻いていた。

瞬間的にめまいがして
体がふらついた。

バランスを取るために
さらに腕を広げているうちに
ふとこんなことを考えた。

ちょうどあと一歩。

あと一歩だけ踏み出せば
この全てが終わる。

暗闇に向かって少し体を傾けてみた。

つま先から始まった暗闇が
全身を飲み込むように迫ってきた。

目をつぶると、慌ただしい都会も
騒音も恐怖も消えた。

息を止めた。

そして、もう一度ゆっくり体を傾けた。

何も考えなかった。

誰も思い出さなかった。

何も残したくなかった。

何も記憶しないつもりだった。

ただこのままで終わりだった。

電話の着信音が鳴ったのは
まさにその時だった。

遠い夢から覚めたように
一気に我に返った。

ぼんやりしていた感覚も
一瞬にして元に戻った。

携帯電話を取り出した。

ユンギ兄さんだった。



ユンギ
22年4月11日


少し離れて後をついて来る
ジョングクの気配を気にしながら歩いた。

長く伸びた線路に沿って
コンテナが立ち並んでいた。

「後ろから4つ目のコンテナです」

ホンクはナムジュン、テヒョンと
会うことにしたから
俺にも来いと言い添えた。

分かったと言ったが、本当に
行くつもりはなかった。

人に関わるのはうんざりだし
それはホソクも知っている事実だった。

あいつらも俺が本当に
現れるとは思わなかっただろう。

ドアを開け放つと、ホソクが
驚いた顔を見せたが、すぐに
ジ ョングクに気づいたらしく
彼特有の大げさなジェスチャーで
万感が胸に迫るような表情を
浮かべて近づいてきた。

ジョングクが裂けた唇を
隠すように顔をそむけた。

俺は2人の前を通って
コンテナの奥に向かった。

「いつ以来だろう」

ハグしようとするホソクと
恥ずかしがっているジョングクが
戯れ合う声が聞こえた。

ナムジュンがテヒョンを連れて
入ってきたのは、もう少し
時間が経った後だった。

テヒョンのTシャツの一部が破れていた。

どうしたのかと聞くと
ナムジュンがげんこつでテヒョンの
額を叩く真似をしながら言った。

「こいつがグラフィティを描いて
  警察にまた捕まって、連れ戻すのに
  遅くなりました」

テヒョンは警察を避けて
逃げ回っている時、Tシャツが
破れたことを冗談めかして言った。

片隅にしゃがんだまま彼らを見ていた。

ナムジュンがテヒョンに着替えの
Tシャツを渡し、ホソクは
ハンバーガーや飲み物などを取り出した。

ジョングクは両方を交互に見ながら
ぎこちなく立 っていた。

思い起こせば、高校時代も
こんな様子だったと思う。

倉庫の教室のどこかで
ナムジュンがテヒョンを
たしなめようとして逆にからかわれ
ホソクは慌ただしく動き回り
ジョングクは自分の居場所が分からず
落ち着かない様子でうろうろしていた。

こんなふうに集まるのはいつ以来だろう。

はっきり思い出せなかった。

ソクジン兄さんとジミンは
どうなっただろうか。

俺らしくない考えだった。

初めて来る所なのに
妙に居心地がよかっ た。

ドアの外をながめた。

ふと、ここから
飛び出したい衝動に駆られた。

理由のない平穏さの後に
得体の知れない不安が押し寄せてきた。

高校時代、一緒に過ごした
教室が思い浮かんだ。

皆で一緒に笑って騒いだが
あの時間はもう終わった。

ここでの最後もそれとあまり
変わらないだろうと思った。

だとしたら、この浮かれた
気分と突然芽生えた所属意識
根拠のない期待に

何の意味があるのだろうか。


ソクジン
22年4月11日

コンテナの狭い窓から
漏れてくる明かりは
何かの合図のようだった。

道に迷った時
基準点になってくれる合図
行き場がない時、避難場所を
教えてくれる合図、いつも一緒に
過ごす友達がいるという合図。

僕は線路から少し
離れた角に車を止め
その合図を頼りに友達が
集まっている様子を見ていた。

ホソクを筆頭にユンギとジョングク
テヒョンとナムジュンが
コンテナの中に入っていった。

今頃、どんな顔で
どんな話をしているのだろうか。

気にならないわけではなかった。

しかし、これからが始まりだ。

まだ時期ではない。

皆に会える日が来るだろう。

あの合図のもと、皆で一緒に
笑える日が来るはずだ。

だから今はこれでいい。

僕は車を走らせた。



ナムジュン
22年4月28日


テヒョンに何か
あったことは気づいていた。

表向きは平気なふりをしていても
瞬間的な行動や表情、口調から
自分でもわからない不安がにじみ出た。

グラフィティのことで
警察に捕まったからではなかった。

テヒョンにとって、それは
一種のいたずらであり遊びに近かった。

たまに見せる傷は父親の
暴力によるものだと思うが
そのせいでもなかった。

青あざがあったり
唇が裂けていたりする日に限って
テヒョンは大げさに明るく振る舞い
やけに饒舌だった。

テヒョンは
悪夢を見ているようだった。

俺がテヒョンに、何があったのか
洗いざらい打ち明けてくれと
せき立てないのは、本人から
話してくれるのを待とうと
心に決めたからだった。

一方では、俺がそんな悩みを聞く
資格があるのだろうかと
疑問に思うこともあった。

兄さんヅラをして大人ぶっていたが
いざ友達が一番つらい時に
俺はそばで守ってやれなかった。

皆が俺を大人 っぽいと
持ち上げてくれたが
本当の大人ではなかった。

テヒョンを見ると、田舎の村の
出来事をよく思い出した。

実際、2人は
似ているところが1つもなかった。

それは田舎の村にいた時も
分かっていたことだった。

それなのに田舎の友達を見て
テヒョンを思い出し
今、テヒョンを見ていると
田舎の友達の顔が浮かぶのだった。

「頼みがある」

田舎の友達は俺に何を
頼もうとしていたのだろうか。

本当に濡れ落ち葉でスクーターが
滑ったのだろうか。

田舎の家の前の犬は今も
あんなふうに吠えまくっているのだろうか。

両親は······。

俺は首を横に振った。

次から次へと浮かんでくる
想念を蹴散らそうと
その場から立ち上がった。

コンテナの外に出ようとした時
テヒョンが悪夢を見ているのか
ごそごそ動いた。

肩を揺らすと、驚いて
目を覚ましたテヒョンは
しばらく呆然と座っていた。

にじんだ涙を拭くのも忘れて
とりとめのないことをつぶやいた。

ユンギ兄さんが死に
ジョングクが屋上から落ち
ナムジュン兄さんが
ケンカに巻き込まれたと言った。

よくそんな夢を見るのだが生々しすぎて
まるで夢が本当で、今が
夢のようだとも言った。

「兄さんはどこにも
  行かないでください」

俺を見ているテヒョンの顔に
田舎の村での出来事が重なった。

俺は何も答えられなかった。

心配するな。

どこにも行かない。

そんなふうには言えなかった。




……To be continued


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