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#15 日本帰国後、宿泊施設での隔離を受けた話(2021年フランス・パリ旅)

こんにちは、あさまるです。
2021年8月〜9月にかけて、私はフランス・パリへ海外旅行へ行っておりました。ワクチンパスポートやPCR検査の陰性証明書を手配し、あとは思い切った想いがあれば海外旅行へ行ける状況ではありました。

その一方で、当時日本では「緊急事態宣言」が発動されており、帰国者に対しては14日間の隔離措置が必要という、たいへん慎重で厳しいものでした。

コロナ禍が落ち着いた今、この記事では日本帰国後の隔離がどんなものだったかを振り返りの意味も込めて記したいと思います。


飛行機から降機したら、そこは特設のPCR検査場だった

私はシンガポール航空で、成田空港へ戻ってきました。
乗り継ぎのお客様を先に降ろし、続いて日本入国者の降機となります。

通常は降機をしたあとは入国審査場に向けて長い通路を歩くことなりますが、私は異様な光景を目にします。
パイプイスが整然と並んでいるのです。

順路に沿っていくと、搭乗ゲートのスペースに。
搭乗者1人1人に番号が付与されていき、特設のPCR検査場と化していたのでした。

入国にあたっての準備

  • 誓約書の入力と署名

  • 接触状況を確認する「COCOA」と健康状態を監視する「MySOS」アプリのインストール、その確認

  • Google マップのタイムラインの有効化

    • 陽性になった場合は、直近の行動を提出する必要があるためです。

PCR検査で陰性が確認できるまでは、搭乗ゲートを応急的に待機所にしたところで4時間ほど待機していました。
自分の番号のイスに座って、ひたすら待つこと4時間。
トイレに行くにも、自動販売機で飲み物を買うにも、係員への声掛けが必要でした。

隔離があることは把握していましたが、これではまるで異国から異物がやってきたのような扱いをされているように感じたのでした。

帰国時に配られた案内資料。
14日間の隔離期間(待機期間)のルールがしっかり書かれている

検疫所宿泊施設への手続きを行う

PCR検査結果が出るまでは、検疫所宿泊の登録票を記入します。

当時、フランスから帰国した場合はは、3日間の宿泊施設滞在が義務づけられていました。14日間の隔離期間のうち、最初の3日間は政府指定の宿泊施設で滞在するというものです。

入国時に配られる「検疫所宿泊施設 登録票」。これを記入して職員に提出する

陰性確認が出来たら、グループで宿泊施設へ移動

4時間に渡る待ち時間の後、陰性の確認ができたらようやく入国審査場への移動となりました。入国審査のフローやプロセスは特にコロナ禍でも変化はなく、スムーズに入国ができました。

入国してバゲッジクレームで荷物を受け取ったあとは、厚生労働省に委託されたスタッフによる誘導のもと、宿泊施設へ移動するバスへ乗り込みました。
しかし人間というものこれから3日間の隔離が待っている中で、あらかじめ好きな食べ物や生活品を買っておこうという思いを持つのは必然です。
少しの時間だけいただいて、皆さん思い思いで空港内のコンビニで買物をしてました。

私含めておおよそ15名ほどが乗車。行き先はまったく告げられることなく、厚生労働省が借り上げたホテルへと移動します。
成田空港を出て1時間30分ほど。宿泊施設に到着です。
私のグループは、「アパホテル潮見駅前」が指定されていたようで、潮見へと移動してきたのでした。

尚、こうして話すと「帰国者収容の宿泊施設として使われていたアパホテル潮見駅前って大丈夫なのかな?」という印象を受けるかもしれませんが、大掛かりなリニューアル工事が施された後、2023年4月にリニューアルオープンを果たしています。ぜひ安心して利用してほしいです!

私の中で一番驚きだったのは、成田空港近隣のホテルではなく、東京都心部にも近い潮見までやってきたという事実でした。

こうして私は3日間の隔離をアパホテル潮見駅前で過ごすこととなりました。

朝も昼も夜も弁当で、ただただ過ごす毎日

ホテルの部屋がアサインされたあとは、部屋に3日間引きこもるだけの日々でした。初日を1日目として、4日目の昼すぎまでホテルに篭っていました。
弁当の受け取りとゴミ出し以外ではドアを開けることが許されないという状況。

食事は朝7時、昼12時、夜19時に弁当が部屋の前に置かれ、全部屋の配達が完了したら館内放送で受け取るスタイル。
外の品物の受け取りは許容されていましたが、知人のお届けはOK、Uber Eats等のデリバリーは禁止というルールでした。

まさに隔離の世界。

私はこの3日間で「旅行の記録のまとめ」「読書」「時差解消」に努めました。それでもひたすらホテルの部屋に3日間篭り続けるのは、なかなかメンタルの維持が大変でした。

なので、外の形式をたまに撮影したり。

潮見駅
京葉線の電車
武蔵野線の電車
潮見駅夜景。人は4, 5人・・・

あとはお弁当を撮ってみたり。

炭水化物中心のメニューでした。
ベジタリアン向けのコースも選べたみたいです。

お弁当がワンパターンだなとは感じましたが、とはいえ日本に新型コロナウィルスを拡げるかもしれない状況下での隔離。
スタッフの皆さんが毎食手配してくれることに、日々感謝の思いでいっぱいでした。

宿泊施設隔離の最終日。陰性確認後成田空港へ戻される

4日目は朝起きたタイミングで、ドアの前でPCR検査が実施されました。
お昼15時頃に陰性確認がとれた後、すぐにバスに乗るよう案内がありました。
陰性結果まだかまだか、と思っていたら、陰性連絡→バス乗り込みという慌ただしい出方でした。

バスでどこへ向かうというと、東京都心部ではなく、なんと成田空港。
そう、帰国の地です。
あくまで入国時の隔離という建て付けであるため、成田空港に戻されるのでした。潮見駅で解散してくれたら都合良かったのに、、、

バスに揺られ、成田空港へ戻ります。
到着ロビーの案内を見ると、フライトが非常に少なかったことを体感します。

成田空港 到着ロビー

さて、成田空港までは戻ってきましたが、14日間の隔離期間は続いています。公共交通機関の利用は明確に禁止されていました。
とりえる選択肢は3つでした。

  1. 知人に送迎してもらう

  2. 乗り捨て可能なレンタカーで都内へ移動する

  3. 帰国者専用臨時バスを使って新宿 or 赤坂エリアへ移動する

一番良いのは(1)ですが、緊急事態宣言下なので、あまり表立った行動はとれなかったのも事実。
(2)は自力解決する良い手段ですが、成田空港のレンタカーが1日1万円、乗り捨て料金に3万円程度かかることがわかったため、自然と(3)の選択肢をとりました。

帰国者専用バスは表向きには出ておらず「臨時バス」として案内されていました。

成田空港のバス停

私は新宿エリアまで戻り、新宿で帰国者の宿泊を許可しているビジネスホテルに宿泊。(新宿と赤坂エリアで数軒設定されていました)

その後、誰も迷惑をかけないであろう朝6時にレンタサイクルに乗って帰宅したのでした。

新宿オフィス群

朝の新宿。日本に戻ってきて、日本の空気を吸えて本当に生きてて良かったと感じたのでした。

自宅到着後も、残り11日間の隔離。
食料はネットスーパーに頼り、ひたすら時差ボケを解消しながら部屋に篭り続ける日々を過ごしました。

コロナ禍の海外旅行で感じたこと

無邪気に緊急事態宣言下で海外旅行へ出て、帰国後にリスクを最大限下げるために、宿泊や健康状態の確認など、きめ細かいといって過言ではない対応で運用してくださった日本政府、厚生労働省のスタッフの皆さんには感謝しかございません。その思いは2年弱経つ今でも変わりません。

そしてなにより、コロナ禍の海外旅行は誰にも体験できないもので、すべてのタイミングが揃って実行できたこと。「自分の中でも未体験の状態で意思決定をし続ける」というのは有給休暇期間中の私には非常に刺激的なものでした。
その度の様子が今回のフランス・パリ旅行でnoteに記していけたかなと感じています。

ここまでコロナ禍のフランス・パリ旅にお付き合いいただきありがとうございました。
次回は「パリを街ぶらしていて感じたこと」をテーマに、気付きについて書いていけたらと思います。

帰宅中に通りすがりで見つけた、笹塚の「幸せのサンタカフェ」。
どんな幸せがあるのだろう…いつか行ってみたい

また次の記事でお会いしましょう。

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