ラムしゃぶ哀歌
ラムのしゃぶしゃぶが好きで一人で家でご飯を食べる時は決まってスーパーで冷凍ラムの薄切りを買っている。普段は家族がいてお世辞にもファミリー向けの味ではないラムを選ぶことが出来ないので私にとってラムのしゃぶしゃぶは束の間の自由の味なのだ。
子供が産まれる前はよく妻と二人でラムのしゃぶしゃぶ食べ放題に行った。最近になり妻は「本当はジンギスカンの方が好きなんだけど目を輝かせているアナタに悪くて言い出せなかった」と本音を吐露していた。
ラムしゃぶ食べ放題のお店にちょっとした思い出があってそれを今から書こうと思うが店名はあえて伏せる。そこの店は大好きだったし今も流行っているみたいだが何しろちょっとした悪口になってしまうのであえて伏せる。だがラムしゃぶ食べ放題の店はそう無いので特定は容易だろう。
そこは食べ放題でラム肉を一人前頼む度に羊の置物をひとつ置いていく。牛タンなら牛の置物だ。それを各テーブルに設置された牧草地の置物の上に置いていく。その羊やら牛やらの数を見るたびに客は自分たちの腹を満たすために確実に動物の命が犠牲になっていることを意識する。食べ放題の店としては客に必要以上に注文をさせない為の賢いシステムだと思うがお世辞にも趣味が良いとは言い難い。
断っておくが先述した通り私はこの店が大好きでよく妻と行っていた。お通しで出てくる問答無用のバーニャカウダーはさておき、口直しの大根と大葉のお新香は最高に美味しいし謎のスパイスが入った特製ダレもラムとの相性抜群だ。有料でポン酢も用意されているが意外とこの謎ダレが癖になって結局ポン酢を頼んでも最初に戻る。よく出来たシステムで儲けを出してはいるが流行っているのはシンプルに美味いからだと個人的には思っている。
ちょっとした思い出。この店に初めて行った時のこと。私はまだ若く食べ放題ということで意気込んで行った。妻は小食なタイプなので普通に食事として楽しんでいた。私は普段ならもっといけるはずなのに牛タンにやられたのかバーニャカウダーにやられたのか全然食べれずギブアップしてしまった。結局羊と牛は三頭ずつしか我がテーブルにやって来なかった。
通りがかった男性の店員さんに「お会計はレジに行けば良いですか?」と訊ねると彼は丁寧に笑って頷きそしてひと言付け加えた。
「次はもっとお腹を空かせていらしてくださいね」
普段から歳の割に大食いを自称していた私のチンケだが頑固なプライドはこの瞬間ズタズタに引き裂かれた。同時に私は固く決意した。
「必ずアンニャロウにひと泡吹かせてやる」
と。
二週間後、私は前日から胃袋をベストコンディションに整え戦場に赴いた。今回は妻ではなく強力な助っ人を連れ立って。後輩のタケダくん(仮名)はナチュラルな大食いで「しゃぶしゃぶならいくらでもいけるんですよ」と普段から周りに吹聴している強者だ。
私たちは席について食べ放題を注文した。周りはオシャレでイマドキのカップルばかり。そこへ何やら殺気だった男が二人、やたら薄着で着席している。ラムは食べると代謝が良くなって体温が上がるというので真冬に薄着できたのだ。
お通しのバーニャカウダーをひと口ふた口で隅に追いやり最初に来るラムと牛タンと野菜を秒で片付け店員さんを呼ぶ。
「牛タンは要らないからラムを6人前くらい持って来てください。あとポン酢を有料でいいので」
それだけ告げて私たちは目をギラつかせた。私は色々食べて気分を変えればいくらでも食べられるタイプに対しタケダくんは一点集中型。ご飯→大根→ラムのローテーションでまわす私とひたすらラムをポン酢で食いまくるタケダくん。謎ダレは美味いが甘い味付けなので飽きがきやすい。だから私はタレとポン酢を交互で食べるしタケダくんはポン酢一択で食いまくる。
最終的に例の男性店員さんがやってきて私たちにこう言った。
「すみません、肉はあるんですがもう置ける羊の置物がないので代わりに牛の置物を置いていきますね」
食べ放題の店でもう肉は出せないとも言えないから苦し紛れに放った彼なりのひと言だったのだろう。私はこれで大いに満足して最後に二人前のラムを頼んで締め括った。
最終的に私たちの牧草地にははみ出した数も入れれば全部で20近い羊と牛の置物があった。この屍の上に我々の勝利がもたらされたと思うと何だか感慨深いものがあった。
店を出て満腹過ぎる我々は口数少なくそれぞれの帰路についた。ラム肉で代謝が上がって暑くなるというのはどうやら限度があるらしく真冬の寒空は普通に私の体温を奪っていった。次の日は珍しく風邪気味だった。
ラムは好きで今でもよく食べる。数年前に市販の麺つゆに「マキシマ」というスパイスと胡椒を混ぜるとあの店のタレに近い味が出せるという発見をした。家で一人ラムしゃぶをやる時は必ずそれを自作している。
もう本当のあの店の味は忘れてしまいつつあるが今でもあの戦いを思い出さずにはいられない。