米軍の徴兵を拒否したシュモーさんが、広島に家を建てた理由
広島の街を一日中歩き回った時に、木造の小さな資料館にたどり着きました。入口には、シュモーハウスと書いてありました。戦後まもなく米国人のフロイド・シュモーさんが、広島に来て家を建てたと書いてありました。ワシントン大学の森林学者としてシアトルに住んでいたシュモーさんは広島と長崎に落とされた原爆の悲劇を聞き、破壊された街に家を建てねばという強い信念で、木材や工具を米国から運び、手作りで20棟以上を建て、それは広島の家と呼ばれました。
広島の家を移築した資料館には、シュモーさんが残した手紙が展示してありました。そこには広島の家を建てたことに対して、「私たちの国が爆撃によって日本の罪のない人々に苦悩を与えたことを申し訳なく思う多くのアメリカ人の気持ちの証になるものです。」と書いてありました。
シュモーさんは、「原爆を使用した事で早く戦争を終わらせることができた」という根拠のない言葉に、米国人として当時違和感を抱いた一人だったのだと想像します。特に戦時中であれば国の方針に逆らうことはとても難しいことだと思いますが、米軍への徴兵を拒否し、世界の人々が平和であるための行動が、広島の家を建てることでした。たとえ国であろうと、誰にも邪魔をされたくない強い意思があったのだと思います。当時では理解されなかった考え方でしたが、シュモーさんはノーベル平和賞の候補に三度も上がっていました。
1990年、シュモーさんの住んだシアトルにピースパーク(平和公園)が造成され、そこに平和の象徴であるサダコ(佐々木禎子)さんの銅像が設置されました。広島の平和記念公園の中にあるサダコの像をシアトルにも置くことで、平和を伝えたかったのだと思います。残念なことにシアトルのサダコの銅像は、今年になって足首から上を切り取られて持ち去られてしまいました。
日本は79年間戦争をしませんでしたが、それは簡単なことではありません。シュモーさんは、核兵器や武器に頼らないで、市民が行動する平和を伝えたかったのだと思いました。