第2回 笹井宏之賞 応募作 『ネクタルの夢』
2020年の笹井宏之賞に応募して何にもならなかった連作を公開します。
たにゆめ杯2応募作『届かなければ』(10首連作)のもとになった50首その1です。
数年間お蔵入りさせていたのですが、もう公開してもいいかな……と思うようになったので。
ネクタルの夢
戯れにタイムラインで反応を可愛がられているだけだった
アイコンをチェックするたび熱をもつスマートフォンに重なる心
ふぁぼられた事実自体をふぁぼりたいくらい通知にさえ焦がれてた
非公開での連絡が増えていき気づけば二人は二人っきり
「妻帯者を口説いちゃダメだと思うんです」常識的な私の限界
こともなげに「どうしてダメだと思うの?」と反語で箍を外す他夫(ひとづま)
一番も二番もなくて「好き」に「好き」以外の意味はなくてよかった
好意以外なにも思っていなかった罪悪感も背徳感も
会いたいと思い続けていたいから会いたくないと切なく思う
くちびるが夢を見ているだけならば触れないままで満たされたはず
思いきって「恋してますか?」と訊いたら「うん。君にね」と甘美な返事
誰からもハンドルで呼ばれる人を本名で呼ぶ特権に酔う
デートしてくると夫に伝えれば妻というより一人の乙女
期待して髪は留めない 乱れなど気にせず頭を撫でてほしくて
それなりの時間と交通費をかけて会いに来てくれたという事実
「楽しい?」に「嬉しい」と返す緊張で白熱する血めぐる感覚
冷えきった手に初めての体温を感じた瞬間うるんだ瞳
ひんやりと感じるほどの熱湯のような指先からのシグナル
この耳を塞ぐ胸板から響く心音は二人どちらのものか
目が合った途端に顎を掬われて逃げられないと悟れば既に
やわらかな接触に鼓動が四拍したのち急に入り込む舌
ネクタルを口移しする心地して崩れてしまう理性と自制
うっとりと絡む視線はカラオケのぬるい光に溶け込んでいく
クラスタで「神」と呼ばれる青年も一人の男でしかなかった
胸元に欲情の手が滑り込み先を求める指は意地悪
下腹部の吸収体が血に染まる今日はできないのに漏れる声
仕方なく抑えた熱を冷ましつつ吸い込む外気 やけにまぶしい
ひげの薄い頬の弱そうな肌には触れられぬまま横顔を見る
よく見れば整っている目鼻立ち好みじゃないのに見とれてしまう
配偶者なんて気にせず歩きたい会えば一対一なのだから
別れ際もっと笑ってほしかった「笑うのが下手」なんて言わずに
右耳に残る「好きだよ」甘やかで少し低めに黒光りする
文字や声だけでは足りぬこともあるけれど想いは言葉にしたい
くちびるの再会を乞う真夜中に「しない」という選択肢は消える
「まだ僕は満足してないよ」どれほど果実が熟れるのを待つのだろう
隔たりを埋めて時間も空間も心も体も共有したい
突然の電話 緊急性の高い悪い知らせだと直感する
言うことに嘘はなかったというけど「ばれない」だけは嘘に終わった
おしまいが覚悟していた時機よりも早かったのはバカだったから
泣き顔も見たいと言っていた声の「そういう涙じゃない。ごめんね」
私より大事なものがあるのでしょう私を愛してくれたとしても
【倫】《人の守るべき道》オンライン漢和辞典の3つめのタブ
間違っていたのだろうか私たち世界に正誤なんてないのに
あの人は贅沢スイーツだったのだ日々のごはんは横で寝ている
ひとときの夢幻の類です。断言したいけれど消えない
私しか呼ばぬ名前は快楽を求めるための呪文となった
ときめきを忘れがたくて振り返る喪失の傷また掻きむしる
じくじくと痛む傷から漏れてくる幸せだった事実の残滓
共通の相互フォローを外せないタイムラインで気づけ傷つけ
眠るのが怖い時ふと思い出す「夢で逢いましょう」というリプライ