【オリジナル短編小説・改訂版】表現の概念が食べ物になる話『冒険小説の合成肉』
元々900文字以内のショートストーリーを書き直したものです
「表現概念が食べ物になる話」というタイトルですが、このままにしようかタイトルを変えようか迷ってる最中です
「お待たせしました」
私のテーブルに、フルーツサイダーと"冒険小説の概念"が添えられた
3月3日、PM12:50、降水確率0%、最高気温28℃
店に置かれた短波受信機から天気予報が流れる…受信機は、天気予報と交通情報しか流さない、トークスタイルのラジオ放送は随分減った
レコードもほとんど処分されてしまったから、流れる音楽は朝と夜に国歌のみ
もうこの国は崩壊したというのに、国歌を流すことで、かつて日本だったことを意識させる
旧東京から電車とバスを乗り継いで約2時間、かつて江ノ島と呼ばれていた土地の洋食屋の席に「私」はいた
気持ちのいい潮風がよく通る開放的で小さな店構え
お客はついさっきカップルらしき2人が帰ったところで、今は私ひとりだけ
可愛らしい風鈴の音が、静かな店内に響くことで音の彩りを飾る
カットされた苺とパイナップルが控えめに2~3個入ったフルーツサイダーをひと口
ごくシンプルな、カットフルーツを昔馴染みのサイダーで割った飲み物だ、懐かしい…小学生の頃に特別な日に作って貰ったのを思い出す
昔は江ノ島を繋ぐ鉄道が走っていたそうで、道中で道路に敷かれた廃線を見かけた
密集した街並みにはかつての面影があるが、1部が戦争で燃えて野ざらし状態
インフラ整備をやめた乾いた道と塩害で錆びたガードレールもまた哀愁を誘う
ひと昔は観光客で溢れていたらしいが、寂しいことにあの頃の活気はもう無い
それでもこの場所は静かに生きている、海は蒼く美しく、太陽のエネルギーが大地に降り注いでる
ここに来ることが本当に楽しみだった
かつて政府の手で作られた、作品の概念を食べるために遂にたどり着いた
まだ戦争が耐えなかった頃、情報規制に基づいて多くの本や映画、芸術品が検閲された
食料確保の為に政府が物質を食べ物に変換する発明をし、検閲された作品たちは次々食べ物に変換されていった
その際、作品の素材が食べ物に変換するだけでなく、その中に込められた作品の概念が実態を持つようになった
以来、動植物に加えて「作品の概念」が食料の仲間入りを果たした
それを食べると、たちまち本の中に込められた情報が脳を駆け巡り、検閲された意味を無くす
だから食料になった概念は、戦争中は民間人の元に置かれないように国が厳重に確保されていた
破棄しなかったのは、戦争で食糧不足が続いたことにより、窮地の事態の時に最後の手段で配給されるためと
噂によれば、政治家や軍人様の嗜好品となっていた為に、この奇天烈な発明は衰退せずに戦後も残った
戦争が終わって発明は細々とした販売を初めて、多くの企業やお金持ちの手に行き渡った
しかしそんな販売戦略も長くは続かないのが目に見える、発明の今後の役目は、食を通して歴史を人々に伝えることである
旧東京を軍事拠点として中心に空を飛ぶ脅威に怯え、疎開する人々の大移動、あの時の人の波は凄まじかった
限られた生活の中で工夫をこなし無我夢中で生き続けた人々
あの時の喧騒の日々が嘘のように、今の人々は終わりを待つようにゆったりと時を過ごしている
生まれて50年、この間に何もかもすっかり変わってしまった
人々は変換された作品の在庫を少しずつ消費しながら終わりが来るまで漫然と過ごしている
私は勉強も満足にさせてもらえず、戦争が始まってからは中学校に入れず、代わりにずっと縫製工場で働いていた
亡くなった旦那は検閲が始まる以前に大学に通って沢山の本を読んでいた
私は残された人生、今の自分を甘やかすようにこうして概念を食べ歩くのが日常になっている
チラシと広報誌くらいしか読み物が渡ってこない中で、旅に出る飲食店の情報をじっくり探し出す
小学生2年生の頃、突然教科書の一斉回収が始まって、政府が用意した薄い冊子が教科書の代わりとなった
何度も音読させられて文字を読むのが苦痛だった
今や数少ない情報の文字を追うのがちょっとした楽しみである
そして見つけたのがこの洋食屋…「概念をお食事に提供致します」との文面に釣られて、オススメのメニューを食べに家を出た
なんでもここの店主はその昔、地元の鉄道員だったらしく、当時のアルバムが店の本棚にあった
「自由にお取りください」と書かれた札が本棚に添えられていて、お言葉に甘えて食事を待つ間に読んでいた
戦争が始まる前の賑やかな江ノ島、今は懐かしい旧式のタブレットで写真を撮る人たち、当時の名物という青いソフトクリームを食べる若者たち、いざこざを起こす前の交友的だった外国人旅行者の楽しそうな笑顔
江ノ島を走る緑色の電車が印象的だ
儚い歴史を辿ってると、料理がゆっくりとやってきたのだ
「冒険小説の合成肉」
白い皿にポツンと置かれた小ぶりな正方形のステーキ、味付けはシンプルに塩胡椒、付け合せはジャガイモのみ
ステーキというにはあまりにも無骨だけれど、バターの焦げた匂いが鼻腔をくすぐる
私が生まれる前に発売されたという、名も知らない冒険小説
もう何十年も前に纏めて検閲され機械にかけられて、シート状のミンチになっていたという
作品の内容ごとに事細かに分けて保管されていたのを譲り受けたという
それをきちんと切り分け、丁寧に焼いてくれたもの
合成肉は何十年も保存が効くから、長年大変重宝された
普通の人工肉は飽きるほど食べてきたが、概念でできた肉は初めてだ
昔に売られていた天然物のステーキは、提供される量がもっと多く、チェーン店が提供するものでも1,000円はすると聞いていたが……この合成肉のステーキはわずか200円だ
「いただきます」と、手を合わせた
そっとナイフを入れ、フォークで口に運ぶ…
静かに冒険小説を咀嚼する
ひと口食べて感じたのは"若さ"
未知なる情報を真に受けた衝撃のようにやや重くこってりとしてて、柔らかくナイフが通ったとは思えないほど大人への反発心のような弾力がある
けど、こってりとした味の奥からローズマリーのような青臭さが顔を覗かせる
合成肉でも、作品に吹き込まれた魂にかかれば、早熟さが際立つ味わいを持つようになる
そして、噛めば噛むほど、発見があるように深みが増してゆく
じんわりと胸に染み込んでくるのは
少年たちが木々の間を駆け巡っている情景
裸足で、元気いっぱいに体を動かして
豊かな緑の力を浴びて、風のように走ってる
怖いもの知らず、ただ自分たちの望むがままに、探求する元気で健気な子どもたち
縫製工場で忙しかった私にとって、味わえなかった若き日の追体験をしてるようで胸一杯になる
どうしたものか、不思議と懐かしい
こんなにも愛らしくて力強い情景を筆者はどのようにして文字に起こしたのだろう、私には成しえない技術だ
私が縫製工場で、誰が為に布を縫い付けていたように、筆者は文字を縫い付けて紡いでいた
戦争が本格化する前の地元のことを今でも思い出す
ミシンの音が耳に残るほど無機質だった仕事場で忙しく働く日々
家にお金を入れたくて、家族と手を取り合って助け合っていた
家族のためなら頑張ることができた、とはいえ作業中、窓から元気そうに遊びに行く子どもたちの姿が見えると…とても羨ましかった
ヤンチャな男の子が集まってふざけて、大人たちに怒られる姿も、お金持ちのお姉さんがワンピースのスカートをフワリと膨らませて街に出かける姿も……どれも眩しかった
そんなあの時の侘しさが、救われたような気がする
「美味しい…」と思わず声が出た
その声に反応するように潮風が流れ込み、また風鈴の可愛らしい音が鳴る
じんわり汗ばんだ体をするりと爽やかな冷気が通り抜け、それに続くように冒険小説の少年たちの足音が駆け巡る
量が控えめとはいえ、いつのまにかぺろりと平らげてしまった
食べ終わると、物悲しく、けれど心が満たされていて、愛おしくてたまらない気持ちが止まらなかった
この料理を死ぬ前に食べられて良かった
いつか幕が下りるその日まで、私は意味をなくした文明の記憶の欠片をこの舌でゆっくり味わい、求め続けるのだ
余韻に浸ってると、短波受信機から優しげな男性の声が聞こえた
「皆さんこんにちは、旧東京は快晴が続く今日この頃、いかがお過ごしでしょうか
防衛省跡地から発信しておりますこの放送、きっとどなたかに届いてることを願っています」
久々にトークスタイルのラジオ放送が流れた
私は残りのフルーツサイダーで少年の力強さを胃に流し込み、しみじみとラジオに耳を傾けた
「すっかり静かになったこの場所で、ラジオをお届けできることになるとは、大変嬉しいものです
今回このラジオをご案内するのは私、元陸上自衛隊所属山本勇です
勝手に防衛省にスタジオを作って、現役時代の先輩方に怒られそうですね
ご縁があって、小さなFMを設けることができました、不定期になりますが、今後とも放送を続けていこうと思います
最初に、食料情報をお届けします、防衛省跡地には自動倉庫にて概念食を預かっております、肉から小麦粉…」
「珍しいですね、こういうラジオ」
キッチンから店主がやってきた、物静かだが、久しぶりに聞いたラジオの声にどこか嬉しそうにしてる
「昔は、仕事終わりに深夜のラジオを聞いたもんです…」
そう言うと「お下げします」と続けて、皿を下げてキッチンに戻っていった
「私は子どもの頃、冒険活劇の映画が好きでした、検閲に入ってからは、娯楽どころか学術書さえ読むのを禁止にされて、寂しい思いをしました
防衛省には沢山の概念食が作品の思想ごとに分けて保管されていますが、この中に、あの頃に感動した冒険活劇に出会えるのでしょうか
たとえ会えなくても、子どもたちの夢が詰まった作品の概念を食べると、私はきっと、自分が戦争に行くことを知らなかった頃に戻れるのでしょう……」
きっと、戻れるわ
美味しくて、かけがえのないものに私が出逢えたんですもの
もう少し時間を作るために、フルーツサイダーをおかわりしようと思う
そう思ってた頃に、店主が椅子とアイスコーヒーを持ってきて、ラジオを近くで聴き始めた
しばらくラジオの時間になりそうだ