クリスマスをなめんな
(以前別の場所で書いたものをそのまま再掲しています)
攻撃的なタイトルになってしまったけれど、毎年この時期思ってる事。
(2019年のクリスマス前のEatalyの飾り付け。みんな血眼になってプレゼント探しをしていた)
本来ならミラノのドゥオモ前のクリスマス市場が始まり、まだ時間あると思いつつもそろそろクリスマスプレゼント探しに本腰入れていかないと最後に泣く事になるなと気合を入れ始める頃なのだけど、今年は現状住んでる街から理由なく出られないので、姪たちのプレゼントを既にネットで購入。
さて、クリスマスは普段は遠くに住んでいる家族もみんなが集合して食事をするのだけれども、それはクリスマスの日12月25日のランチ、ということになる。以前、ミラノや北出身のイタリア人達とクリスマスの話になり、うちの夫がシチリア出身と言うと「うわー、じゃあ勿論24日の夜も親戚一同で集まってるわけね。あなたも大変ね。」と言われたのだけど、私の答えはこうだ!
「24の夜に集まり夜中まで過ごし、寝に帰って25のランチをしてるうちに夕方になりなんかそのまま残り物を夜も食べてから帰宅、26のランチはまた別の親類が来るのでまた1日中義実家で食事。」
これを言う度に大抵の人は、苦笑する。まあ、楽ではないけど私が全部料理用意して片付けもするわけではなく、スーパーマンマが何人もいるし彼女達は疲れれば夫や息子達に命令もするし、男だけが酔っ払ってただ楽しんでる状況にもならないので、クリスマスってこういうものだと思ってしまえばまあ。ただ、年々胃の耐久性がなくなっていっていて近年はこの3日が終わり、大晦日までの数日に疲れて(主に胃)寝込むことも。
(「近い」親類だけでも15人くらいいるので準備は大変。料理はみんなで持ち寄ると言っても量も半端じゃない)
夫の親類とクリスマスを過ごすようになって7年、毎年ハードだけど、忘れられないのが3年前にシチリアの村から「血縁関係はないがほぼ親戚のような家族」が遊びに来た事。50代の夫婦、その娘、その従兄弟という4人もクリスマスの宴の3日間に参加したのだが、この4人の食欲がとんでもなくて、昼から夕方までダラダラ食べていたはずなのに、娘と従兄弟が夕方頃お腹が空いたと言い始める。特に従兄弟は未だに恐怖の伝説として語られる程の底なし胃、しかも炭水化物のみを食べたがる。なので夜は果物でいいかと言っている横で再びおばさんがパスタを茹でたり、余ったお肉の付け合せにじゃがいものピューレが食べたいという娘の為にじゃがいもの皮を剥き出す。
そして25日の夜、またおばさんが台所で何かをしていると気づきそっと見ると、子供が行水できそうなくらいの大きさのボール(タライ?)をうちのお姑さんに出してもらい(そんな大きなタライどこにあったんだろう)、大量の小麦粉、オレンジ果汁などを腕まくりして捏ねている。そして、お舅さんが物置から何リットル?と思われる程揚げ物用の油を運んできたのが見えた時点で私は恐怖を感じ始めた(笑)あんなに食べたのに、明日も食べるのに、ドーナツ揚げてる!
夫にドーナツみたいの揚げてるよと言うと、あー、あれかみたいな反応をしてきたのでどうもそれはクリスマスの伝統の1つの揚げ物だと理解したけれど衝撃的だった。
ちなみに去年は、隣の国に住む夫の双子の弟が久々にイタリアでクリスマスを過ごしたのでお姑さんの興奮度合いがMAXだった。義弟は奥さんと息子の3人で車に山程プレゼントを乗せて片道10時間近く運転してやってきて10日ほど滞在した。夫も張り切ってその期間は全部有給休暇、毎日彼らとでかけて毎日実家で食事したら、案の定体調不良になり苦しい元旦だった。私は寝ているからあなただけ元旦の食事に行ってきてと夫に頼んだのに、君が行かないなら僕も家に残ると言う事を聞いてくれず、案の定夜に義両親から大量の食事のデリバリーが届いてしまった。もはや水みたいなお粥しか食べたくない私には申し訳無いけどお食べ地獄になってしまい、正直に夫にそれを伝え数日かけて食べてもらった。
そんなこんなで毎年胃的にハードな季節ではあるけれど、今年は大々的に集まれないのでそれはそれでちょっとやっぱり寂しいのも確か。この時期に必ず会うスイスの遠い親戚とか、義弟とも会えないし。そして私は2年前の12月に東京に帰ったきりなのでさすがに最近言いようのない寂しさみたいな感じと、今更ながら遠くで生きていくんだなという覚悟が芽生えたり。