揺らぐ感情ー娘の留学と、叔父の死。
オーストラリアへ留学して2か月たった娘からは、ちょくちょく写真が届き、あれこれと近況がつづられてくる。仲良くしていた人が留学のプログラムを終えて自国へ帰国するたびに別れが訪れ、そして新しい人がやってくる。短期留学の人もいるため、結構入れ替わりが激しいようだ。
娘は今は語学学校に在籍しているが、この先大学に入る予定なので、まだまだ先が長い。すでに日本食が恋しい、我が家のペットの犬に会いたいだと言っている。
娘の出発直後は空の巣症候群だった私も、割とすぐに涙が出ることはなくなり、日々の忙しい生活に戻っていた。相変わらず大波小波の絶えない我が職場だが、何とか仕事をこなし、夏休みはちょこっと近場の海外にも出かけ、次男の合宿の引率やら、自分の体調管理のために始めたピラティスにも通い、忙しくやっている。
そんな中、つい先日、母から一報が入った。
叔父(母の兄)が亡くなったというのだ。御年90歳、老衰だそうだ。90歳なら仕方ない。でも、最近会ったという話を母から聞いていたので、驚いた。クリスチャンの叔父の葬儀は、都内の教会で行われるとのこと。近いし、ちょうど在宅仕事の日だったので、参列することにした。
叔父とは全然会っていなかったが、私が幼少期に家を訪ねたときにかわいがってくれたことは覚えている。包容力のある人で、皆から好かれるタイプの人だった。くしゃくしゃの笑顔が印象的だ。また、うちの母の両親は早くに亡くなっており、末っ子の母にとって年の離れたお兄さん(叔父)は親代わりのような存在だったことは知っていた。更に、私が通うことになった学校とも縁があった人で、恐らく「普通の叔父」よりかは親近感があった。
私はずっとキリスト教の学校に通っていたので、教会やミサにはなじみがあった。葬儀当日、久しぶりの教会、パイプオルガンの音、それだけでも郷愁を覚えた。
式の進行に伴い、なじみの賛美歌(もう何十年も歌っていないのに流暢に歌えた)、聖歌隊の声、ミサの進行。くしゃくしゃの笑顔で笑う遺影の叔父、いとこの号泣、いとこおいの立派な叔父へのメッセージ。
また、昔一緒に登山をしたことがある、しばらくぶりに会う老いた叔母。幼少期以来に会ういとこ。そんないとこから聞かされる昔話、叔父の思い出話。母から伝わる寂しさ。
叔父は「身近な存在」と言えるほど近い人ではなかったにも関わらず、結構な涙を流す私を、隣にいた叔母は不思議に思ったかもしれない。私は人の感情をもらいやすい。
帰りの電車の中で、今日あった叔母たちも見送らねばらないのだと、あと何回葬式に出なければならないのだろうと考えたら切なく果てしない気持ちになった。生きているうちにもう少し会っておかねば。
一気に押し寄せる思い出と感情の波で、帰宅後少し仕事をしたものの、集中力が途切れ、自分の心が整理できず、ぼーっとした。やることはたくさんあるはずなのに、手につかない。
ああ、これに似た感情、どこかで経験してるな、と思ってぼんやり考えていたら、娘が留学で旅立ったあとと少し似ていた。大きく感情が揺さぶられたあと、私はどうしても書かないと整理がつかない。
書いたら少し気持ちが落ち着いた。
明日から、また日常を過ごすだろう。
ちなみに・・
帰宅後頑張ってやった仕事はボロボロ。仕事のライングループに流した私の意見は、話が飛躍していた。あー、どうしよう、ややこしいことになっている。何も発しなきゃよかった、少なくとも今日は。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?