最近思うこと

病気というものは、失ってから初めて気付くものが多いですよね。今回は、病気になって得たものをご紹介します。


私は2016年に大きな事故を起こしました。重体です。しかし、いまこうやって健常人とは言えないですが、暮らしています。

病気になって最初に得たものはまずは何かをやろうという、やる気です。しかし、立てない歩けない自分にとっては、なにに取り組んでもうまく行きません。

まずは、歩くには立位保持が必須です。それには筋トレが必要だと思い、ビリーズブートザキャンプの腹筋プログラムを毎日やるなどをして、張り切っていました。これはブームなのか、歳のせいなのか分かりませんが、続かなくなりました。ラジオ体操?これは週5くらいかな?筋トレと言えるのは分かりませんが自分の中では続いている方です。
そして、立ってできるものは諦めて座位でできるものをと考えていると、まずは編み物を考えました。帽子などを編みました。次にミシンです。マスクを作って友達に配りました。しかしこれもブームなのか過ぎ去りました。そして今は、料理ですが。これこそは長く続けられそうと思いましたが、右手に力が入らない私には、包丁も握らせてくれません。IHのコンロもですよ。できても、レンジと冷凍庫の往復それくらいです。せっかちな私は、車椅子(介助用)の車椅子の、歩行も億劫で、めんどくさいが先に出てしまいつい歩いてしまいこけるということの繰り返しです。「歩かないと、筋肉が衰えるよ!!」というより、「怪我をされる方が怖い」という家族の気持ちも分からなくはないですが。もうちょっと信じてもらいたいものです。
そして、立てる立てない歩ける歩けないも、月に一度程度で診て頂いている脳神経外科の、DBSの電圧調節(簡単にいうと、脳の神経を刺激して筋肉を制御すること)によって変わります。ちなみにこれによって、舌の筋肉を制御し、食べられなかったのを食べられるようになりました。ただ、舌の動きが鈍くなったのか、言語障害が出てきました。

なので、どれだけ立てるように歩けるようになっても、また調節によって、変わるのではないかという気持ちは今でもあります。神経内科によるパーキンソン病患者さん用内服薬シンメトレルを開始したのはここ半年くらいです。そのお薬は強張りを取るお薬で、先生のすすめで飲むようになりました。プラシーボ効果かどうかわかりませんが、歩けるような気がしました。電圧調節で、パッと歩けるようになるのもそれはそれで、狂喜乱舞しましたが、内服薬で歩けるようになるのとは違います。じわじわと効いてくる気がするのです。それに、電圧調節のように、副作用(例えば、足が動くようになる→身体の不随意運動、首を動かしたりすること)もありません。なので、今は、成人2/3量のシンメトレルですが、次は6月25日に診察があります。そのときに、お薬の量を増やすのか、現状維持なのかは、先生たち次第です。
というのも、先生たちのはからいで同日に、脳外科と神経内科を、受けることになったのですが、先に電圧調節をすると、現状維持となるのです。調節とお薬とごっちゃになると何が効いているのかが、分からなくなるからです。前回5月7日の調節は右手の不調を脳外科の先生に訴えました。調節は、左右にある体内に埋め込まれた電池と、タブレットで行います。右手なので、左の電池を調節しました。調節をすると、右手は少し、強張りが解けた気がしますし、右足も若干立ち上がりやすさを感じました。しかし、2−3日経つと、右足に不調が出てきました。大きな声では言えませんが、絶対前より悪くなったと思います。


次回は、言語の調節機能がある右側を調節しようということでしたが、私は、その調節をどうしようかと思っています。その調節によって、2−3日は喋れるようになるかもしれない。だけど、前にも何回かあったんですよね。口周りを調節すると嚥下障害が出てくると。

しかも私は喋れる自分を知っています。それは浜田省吾のライブ後の自分です。大きな口で、思いっきり歌ったら、滑舌もよくと聞き取れる大きさの声が出たのです。そのライブの感覚を思い出すために、ヘッドフォンを購入しました。何か声を出すといいと療法士さんも、先生もおっしゃいます。なので、声を出そうと思い、最近ポータブルブルーレイプレーヤーも購入しました。どこでも歌えるためです。作業所でも歌っています。明日の火曜日には、ヘルパーさんと声を出しに、カラオケに行こうといっています。自分で歌うためじゃない(というのも、以前カラオケ行ったときに、自分で歌ってがっかりしました)、浜省のブルーレイ(自分の声の出たライブ)を流しながら、マイクなしで歌うためです。そこで、もし声が出るようになれば、言葉はクリアしたことになるじゃないですか。
なので、次回の診察は、おしゃべりを取るか足を取るかで迷っています。おしゃべりの効果は2ー3で終わらないかもしれない。足だって歩けるようになる保証などないのです。結局は、自分のやる気次第かもしれない。そう思うと逆に、やってやる!という闘志が湧きます。というのが最初に得たものです。


次に得たものは、自分の行動に意思があること、また俯瞰的に見られるようになりました。昔はどうやって生きていたのだろうっていうくらい考えるようになりました。人間は考える葦と言いますが、本当にそうだというくらい考えています。そして人の行動をよく見るようになりました。

私はよく開眼します。よくっていうのはおかしいですが、例えば納豆を混ぜていたとき、ふと自分は何のために何をしているんだろうという気持ちになるのです。そのとき時間はスローになります。その感覚は大体半日で終わりますが、その時の気持ちをずっと持っていたいものだと思います。
のだと思います。

俯瞰的というのは、自分の中にもう一人の自分がいて、その自分が、本来の自分を見つめて、何をしてるんや、と問う自分です。よく出現します。よくっていうのはあかんのかな?そんなに悪いことはしていないつもりですが。そして、周りの環境にも、気付くようになったのも病気をしてからでしょうか。もし立って歩けたら注意するのにな、もし喋れたら誰かを呼びに行くのになという思いがあります。



最後に得たものは・・・浜田省吾ではなく、文章を書くことです。自分の気持ちをiPhone、iPadで打ち込むことを覚えた私は、毎日日記で、母の悪口をいう、姉の暴言をどう思うかなどを家族ラインに流します。たまにこのnoteでも発信していますが、それで、気が晴れています。書けないけど、打てます。やっててよかったタイピングもありますが、デバイスの供給もあると思います。浜田省吾もそうですが、音楽を聴くため、気持ちを伝えるために、デバイスは私にとってはなくてはならないものです。



家族は言います。先生には感謝せんとあかんで。食べられるようにしてもらったんやから。

私としては、感謝はしてるよ。だけど、ちょっとくらい、喋らせてよ。足を動かさせてくれてもいいんとちゃう。なのです。


今は、メロディに乗せて、歩いたり、気持ちを伝えたりしています。私は私なりに工夫をして生きていきたいと思ってます。明日、火曜日、もし声が出たら、部屋中をコンポだらけにしなあかんな。と思う私でありました。

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