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助けてとは、なかなか言えない。


年末ですね。

今年は帰省予定もなくなったので、最終出社日に、今年最後に読みたかった本を買って帰りました。

西浦博先生の『新型コロナからいのちを守れ!』

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著者の西浦先生は、厚生労働省クラスター対策班でデータ分析を担当していた、誰もが知っている専門家です。

本の帯、特に裏側の本文抜粋が目を惹く内容でした。

…僕には脅迫状が届き、生まれて初めて殺害予告を受けました。一番緊迫した頃には、厚労省と新橋のビジネスホテルの間を歩くだけなのに、警察の方に護衛してもらったことすらありました。僕なんかは下っ端ですからかわいいものです。尾身先生は1人で自宅から外出することを、緊急事態宣言中から止められています。(本文より)

本業が別にある専門家たちが、コロナ対策のためにリソースをつぎ込んで感染を食い止めるための分析・情報発信をしながらも、全然正しく評価されない。しまいには殺害予告を受けている。

少し前に、仕事でびっくりしすぎて泣いてしまうという、新入社員以来の経験をした私。ここから自分を奮い立たせるには、今年日本で一番悔しい思いをしてそうな人の本を読むしかない。西浦先生の書籍発売情報を見て、そう思いました。

自分の比ではない悔しさを感じながら、どうやって前を向いていたんだろうか、ということが知りたくて。そしてそれを心の支えとしたくて、年越しのお供に選びました。

ちょうど1年前の今頃の話から始まるこの本を読み始めると、小説みたいな現実の中に私たちは生きているんだなと感じます。リアルタイムで事実を追っていたはずなのに、不思議な感覚で読み進めています。まだ序盤なので全然悔しい場面はないのですが、抜群に面白いです。

ところでこの本、近隣の本屋に置いてなくて、3軒目の大型書店でやっと買えたんですけど。その大型書店でも、新刊なのに棚差し1冊のみだったので全然見つけられなかった。売れてるって信じてる……頼む。


前置きが長くなりましたが、医療的ケア児の支援を考える会では「今年はある程度動きます」、と宣言していました。色々取り組んではいたんですが、未来のことで報告できるようになるには少し時間がかかるので、今回は過去の話を。

11月18日(水)に埼玉県小児在宅医療支援研究会というところで、居宅訪問保育事業を担う元気キッズさん・朝霞市保育課と、お話をしてきました。

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居宅訪問保育ではどのような事業者がどのような保育を実践しているのか。

居宅訪問保育を始めるにあたって、保育課ではどのような準備をしたのか。

ということに加え、私の方では、医療的ケア児の保育環境を自治体に求めるにあたって、どのような活動をしたのか、というお話をしました。


似たような話は別の媒体でもしているのですが、私は今回、最後のスライドを見てもらうためだけに参加してきたので、よかったらお付き合いください。

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13トリソミーの次女を妊娠していた当時。「おなかの子の具合が悪いかも」ということがわかったのが産休に入った後だったので、産後も病児を育てていることは会社に報告していませんでした。

短命を宣告されながらも「もしかしたら次女は1歳になれるかもしれない」と思った頃、当時復職担当だった会社の先輩に復職が難しいことを報告しました。

その際、「子どもを連れて一度、会社においで。ランチしよ。」と言われました。

後日、子連れで訪問した会社では、こんな風に声をかけてもらいました。(スライド参照)

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この日かけてもらった言葉は、ずっと覚えています。

また、会社の先輩たちが「何か助けになるヒントがもらえるのでは」と、会社が運営するWEBメディアで、NPO法人フローレンスの駒崎弘樹さんへの取材を企画してくれました。

無視され続けた障害児保育への怒り フローレンス代表・駒崎弘樹×村上絢

慎重に準備を進めていただいた企画は実現し、対談同席後に、自分の個人的な相談をする時間をいただきました。

2015年に施行された『子ども・子育て支援制度』のことかと思うのですが、駒崎さんからは、「法改正で東京以外の自治体でも居宅訪問保育をすることが可能になったこと」を教えていただきました。また、自分が住む自治体で、居宅訪問型保育を実現するためのシンプルかつ具体的なアドバイスをもらいました。

①「自分と同じような仲間を5人集める」

②「そして仲間と一緒に市役所へ行く」

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アドバイスの内容とは前後して、私は仲間を集める前に市役所を訪ねてしまいます。

次女が入院していたNICUで知り合った友人の母が、偶然にも朝霞市の議員さんだったというご縁があり、先に保育課・障害福祉課との打ち合わせが実現しました。

実は市役所との打ち合わせの前に、次女が亡くなってしまったのですが、市議がセッティングしてくれた打ち合わせに参加しました。

当時の保育課長はその場で「医療的ケア児の保育ニーズがあるなら、導入を検討しても良い」との回答。あまりにもスムーズに話が進むので、完全に舞い上がる私。

しかし、その時既に自分は当事者家族ではなくなっています。では、保育ニーズを証明するには、どうすればよいのでしょうか。

結局、「交流会を企画して当事者を集めるのが良いのかな?」ということになりました。それでつくったのが『医療的ケア児の支援を考える会』です。

本来育休は、子が亡くなったその日に終わってしまうそうです。会の立ち上げを決めた時点で、私は復職待ったなしの状況でした。

「復職したい」と言っておきながら本当にめちゃくちゃだなと思いながら、当時の人事課長に「復職する前にどうしてもやりたいことがある」旨を素直に伝えました。めちゃくちゃお願いをした結果、なんと3ヶ月間の休職を認めてもらいました。(この件で、会社への忠誠心が爆あがりしました)

市役所での打ち合わせを経て、なんだか一気に道が拓けたような気がしていたのです。

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育休は基本、子が1歳になるまで。保育園に入れない場合は、子が2歳になるまで延長可能。無給であれば、子が3歳になるまで延長可能です。

「市内在住の保育ニーズがある医療的ケア児世帯」というのは、「3歳未満の医療的ケア児を育てる共働き世帯」のことです。

市内の医療的ケア児家庭とつながるだけでも大変なのに、この条件を満たす家庭とつながるのは至難の業。結局、保育ニーズの証明には2年かかりました。

「朝霞市には医療的ケア児がいないって言われているのよ。何故かはわからないけど」と言う、当時の保健所の課長の言葉。

当事者や専門職の交流会を重ねる中で、やっと拾えたのは「既に育休期間が切れてやむ終えず退職してしまった」、「保育園に入ったものの、身体的なケアが十分にできずに退園してしまった」という過去の言葉。

ドンピシャのタイミングに出会うことの難しさを痛感しました。

子育て中の会社員として生きていくだけでも結構無理なので、当時、手を貸してくれる人の手はなんでも借りて交流会を催していました。会場設営では、育休中の会社の先輩や昔の取引先の人たちに机運びをしてもらうなど。ここでも手を差し伸べてくれる人がたくさんいました。

2018年の夏、保育ニーズがあるママと突然出会います。

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保育ニーズを証明する人として、居宅介護とベビーシッターを組み合わせて仕事を続けているママを伴い、同年10月に改めて市役所へ。

保育課との打ち合わせでは、厚労省の資料を交えながら、いくつかの保育パターンを提示しました。その打ち合わせでは「居宅訪問型保育なら、現状の保育課予算で来春から対応できそう」という回答をいただきました。

翌2019年4月に、朝霞市でも居宅訪問型保育が始まりました。

会を通じて出会った人々との出会いは本当にありがたいもので、このような行動をしなければ知らなかったことも多くありました。

でも今、例えば自分が会の立ち上げを決める前に戻ったとして。居宅訪問型保育の実現が確実だったことがわかっているとして。「もう1回同じことをやるか?」というと……できる自信がありません。完全に自分の読みが甘かったからできただけだし、会社公認で始めてしまったから続けただけだった、というのが本音です。

ここまでの活動が大変だったからこそ、色々な人たちが並並ならぬ応援をしてくれたのもまた事実です。

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「利用したい人が存在するなら、行政は福祉サービスを提供する」というのは一見、正しいことのような気がします。

でもそれは、「顕在ニーズをただ提供しているだけ」とも言えるのではないでしょうか。私は運良く、朝霞市で居宅訪問型保育を導入してもらうことができました。でも本当に困っている時には、そんな声をあげること自体、難しいんじゃないかなと思います。

いち会社員として復職すると、会社では当たり前のようにお客様の潜在ニーズを捉えるためのマーケティングが日々行われています。

お客様と企業の関係性と、自治体と住民の関係性はまた違うのかもしれません。しかし、顕在ニーズばかりを捉えていてはiPhoneが生まれなかったように、顕在ニーズに応えるばかりでは声をあげることができない人たちに支援が届かないのではと思います。10万円のコロナ給付金だって、未申請の人を追いかけて手続きを促すくらいなら、最初から申請不要で配ってたらよくない?

これからの朝霞市は、元気キッズさんとともに医療的ケア児家庭に寄り添い、職権主義を実践するような自治体になってほしいと思います。

朝霞市近隣の皆様へ>当事者OBとして、引き続き自治体と福祉のあり方についてコミュニケーションをとっていますので、何かありましたらご連絡ください。

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