夫婦って。
さっき、この記事を読んだあとに、
これを読みました。
亡くなる前の虫の知らせ。
私も不思議な経験があります。
前夫が闘病中、地元福岡の祖父が白血病に。
生まれ育った実家、同じ土地内で一緒に暮らした家族。親半分祖父母半分に育ててもらったような私にとってはもちろん大きな存在である祖父。お見舞いに飛んでいきたかったですが、余命幾ばくも無い夫を一人で看病していたため行くことができずにいました。
祖母と頻繁に電話連絡は取っていたあの頃。
ある日祖母からこんな話が。
「今日じいちゃんところに行ったらね、
『さっきまで麗華が来ていたよ』
と言ったんよ。
「何言っとんね、麗華ちゃんは東京におるやろ。」
『いいや、さっきまでここに麗華は来とって、「じいちゃん、しっかり病気治すんよ、と俺に言ったんだ』」
「へぇ~、不思議だね」
なんて話したその数日後、祖父は他界。(享年85歳)
祖父が亡くなった連絡を受けた時、どうしても駆けつけたかったが夫の治療(処置に丸一日、その後1週間辛い体調が続く治療)と重なっており、夫に葬儀に行ってもいいか聞いたが、「いいよ、だけど、だったら俺、治療を受けない」と言うもんで、
祖母が電話で
「麗華ちゃんは旦那さんに着いとってやりなさい!じいちゃんは大丈夫やけ!だって、おととい『麗華ちゃんと会った』っち言いよったもん!死ぬ前にじいちゃんは麗華ちゃんと会っとるけ、大丈夫よ!」
と泣きながら大激励してくれた。
予定通り夫が治療を受けた一週間後、帰省。
自宅で葬儀をしたため、火葬は済ませて遺骨になってはいたものの、私が来る日まで祭壇をそのままにしておいてくれた。その時も
「あの日のじいちゃんの話は不思議やったね~」
と祖母と話した。
親同然のような存在の祖父の死に目に会えなかったが、
この話があったからこそ、祖母も私も救われたことは確かだ。
夫の待つ家に戻り、
そうするとまたとても不思議なことが。これは信じる人、信じない人に分かれると思うが、なんとその日からしばらくずっと祖父はうちにいたのだ。
私は霊感が強いわけではまったくないのだが、
「あ、じいちゃんがいる」
それはとてつもなく鮮明にわかったのだ。
当時、私の両親は家庭内別居5年以上経過していた離婚手前の末期で、娘婿の病なんて目に入らないほどの余裕のなさ。(3年半の闘病中、実家からお見舞いには誰一人来た事ないし、1円のお見舞金や品もなかった)そんな中、祖父だけがひたすらに、私たち夫婦、夫の病状を心配し続けてくれた。
手紙を何度もくれたし、新聞や雑誌などでその病に関連する記事があればコピーを同封してくれたり、健康食品の情報を送ってくれたり。実家の誰一人、そういう働きかけがなかったから、祖父のそういった心配りが本当に私にとっては救いだった。
そんな祖父だからだろうか。
自分が亡くなって天国へ行くまでの間、本来は祖母がいる実家にいてあげたかったところ、一目散に私たちの元へ。
正直言うとちょうどその頃、私は疲れていた。
発病当時の意気込みは少し失せ、夫の看病に対し、覇気が少々抑えられ、決して後ろ向きではないが日々を淡々としていた。
その頃というのは、夫は病院から見放され入院するでもなく自宅療養。かろうじて自宅内を歩ける程度で外出は体力的に難しい状態。1回数百万円する保険の効かない高額治療しか受ける道がなく、それと健康食品やサプリメントでどうにか命をつないでいるという日々。同時に、飼っていたペットも治療困難な様々な病に侵され、私は自分の私物をネットオークションで売っては動物病院代に充ててペット治療代を捻出。実家は前述したとおり最低で、頻繁に祖母や父から電話で相談を受けていた。
そんなだったもんで、その日からうちに来た祖父に夢枕では何度叱咤されたことか。
「麗華!なんでもっと神様に祈ったり、強く念じないんだ!」
とか。起きている日中は、ずっとそばにいた。今となっては本当に不思議なんだが、気配で祖父だとわかるのだ。
電話で祖母に
「じいちゃん、うちに来とるよ」
と伝えると、
「なんでね、私のとこにはちっとも来てくれんが」
と拗ねていた。
2週間ほどして、祖父の気配はなくなった。
人の魂は49日間は現世にとどまり、その後、冥土へと旅立つと聞く。私たちを見守り、見届け、四十九日を迎えるためにその準備へと入ったのだろうか。
そして、夫。
ずっと
「こんな未熟者の麗華を一人にはできん。独り立ちさせるまでは死ねん」
と言っていた。その通り、22歳で結婚した私は本当に一人では何もできない子どもだった。
病がわかった当時から「余命2ヶ月」の末期、全身の転移ガンだったにもかかわらず、私の教育に3年半もかかったということだろう・・・
ある日、私が一人でたったか物事を処理する姿を見て、
「麗華はもう一人で生きていけるな」
そう言ったそばから、意識混濁に。
それまでは、本当に、その病状を抱えた人とは思えないほど、病院の医師も目を丸くして驚くほど、生きて、生き抜いて、意思も意識も鮮明に、いたのに。
最後の晩餐は、私が作ったホワイトシチュー。
意識混濁に入りながらも、シチューが入った器を最後まで必死に離さず、全部食べた。もう会話も出来ない、人間らしい動作が取れない、食べれるはずのない状態にもかかわらず、食べきった。
この後、もう自分の意識が戻らないこと、私の作ったご飯を食べるのがこれが最後になること、死のお迎えが来ていることを、本人は知っていたんだと思う。(アメブロに夫の事はときどき書いていて、この話はこちらに少ししています↓)
そして、今もこれを書いていて不思議な事が起こった。
夫が亡くなってもう13年。
しかし、久々に泣いた。号泣しながら、ここまで書いた。
それを夫が見ていたのかな、呼んだかな、
アメブロのリンクを貼ろうをしたが、何度やってもエラーになり。試しに他の記事のリンクだと貼れたのに、夫関連の記事が貼れない。
「今も、見守ってるよ」
そのサインだろうか。
冒頭に貼ったノムさんのインタビュー。
「沙知代よ、君がいない毎日は本当につまらなくて」
この言葉にジンときた。
若輩者ながら、私も一度、死別を経験し、この言葉のもつ意味は重い。深い深い、このたった数文字の中に計り知れない思いが封じられている。
夫婦。元は他人同士の2人。
「夫婦って本当に何なのだろう。当然、二人そろって初めて夫婦なわけだが、独りになって、そんなことを考える。」
ノムさんのいうとおり、本当に何なのだろう。
二人そろって初めて夫婦。
私も独りになって、今までずっと、考えてきたこと。
かけがえのない存在になることは確かだと私は思いたい。
しかしうちの両親のように、一緒にいれるのにいない道を自ら選択し、そういう存在とはいいがたい関係に至る夫婦もたくさん存在する。けどそれでも、一度は夫婦という絆を結んだ二人。何かしら、ほかの他人には無い縁があるはずだ。
そして今。私は新しい命を宿し、
新しいパートナーとまた夫婦、そして家族となる道を歩み始めた。
このような文章を書くと、「新しい旦那さんがいるのに」「新しい旦那さんは前の人のこと、気にしないの?」と言われる。読み手によっては前夫にまだ未練や傷ついた心があると勘違いされるかもしれない。それはまったく違うのだが、経験した本人でないとわからない感覚だから仕方ない。そして人は自分の解釈したいようにしかしない生き物なので他人にはどうとられても構わないが、今の夫が理解してくれさえすれば夫婦であるのは私たち二人だからそれでいいのだ。
彼はノムさん同様、
「俺以外に、お前と上手くやっていける人間が、この世にいると思うか」
とすでに言っている。
あぁ、はい、私は人づきあいも下手で、気も強すぎて、普通の男が寄り付かない癖の強い女ですよ。すみませんね。
そんな女と、それを好きだという男が、こうして夫婦となり、
また、絆と歴史を刻む。
次は、また私が先に看取るより、看取られる役をやってみたいと思ったりするが、それもどうでもいいこと。
命
魂
夫婦
子ども
家族
かけがえのない宝づくり。
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