爆誕してもいやなもんはいや
土曜は身体が疲れて頭も疲れている。身体と脳はつながっているなーと当たり前のことを思う。
息子を産んでもうすぐ11年、あと10年もしたら自分のためだけに時間が使えるだろうけど、まだ10年もあるの?と嘆息。束縛されることがとても苦手だと知った今、誰かや何かに縛られていることは苦痛。
根無し草でいて、嫌になったら死んでしまいたい。とか考えてしまうあたりやっぱり疲れている。
頓服は飲んだしましにはなったけど頓服は疲れをとってくれるものではなく、脳の誤作動を抑えるだけなので、疲れによる思考の傾きはやはり治らない。
こんな脳とこれからも生きていくと思うと、何より私自身が私自身を不自由にしているのだな、逃げ出したいな。でも逃げるには自分で終わらせるしかなくて、子どものためにもそういうわけにはいかないから、不自由なまま生きていくしかない。
脳と折り合いをつけるにはやはりあと10年は必要なのかな。そのとき48で、体力はどうなっているんだろう。少なくとも今より体力がついているとは思えないので、今より力仕事ができるわけではないわけで、今自由に自己実現できないことはなんとも歯がゆい、じりじりする。
だからって今もこれ以上働いたら身体にも脳にも良くないのはわかっているので、脳の脆弱さ、これはもう病気なのだから仕方ないのだけど、つきあっていくしかないのです。
仕事はいいもの。暑くても重くても、対価が発生するから。爆誕しても、無償労働に抱く苦痛は果てしない。いやなもんはいや。それに縛られていることがいや。でもそれは私が産み出した子どもなわけで、自業自得であって、どうにもならないことです。
こういう気持ちっていつか受容できるもんなのか。爆誕して、すき、したい、きらい、したくない、必要が明確にわかった今、したくないけど必要なこととの向き合い方は今もわかりません。足かせでしかない。
ないない尽くしになっている時点で疲れている立派な証拠です、頓服に加え眠剤も追加、早くこの思考から逃げ出したい。