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第一回アサイゲルマニウム研究会


アサイゲルマニウムの研究協力者

2024年10月・・・ぼくは短くなってきた残りの生涯(長くても30年くらいだろう)で忘れることがないだろう。という位に節目の月になったように思う。
ぼくは浅井ゲルマニウム研究所に入社したのが1995年なので、今年で29年となる。あと半年で丸30年だ。長かったような、あっという間のような。そう考えると、残りの生涯が同じだけあるかもしれない(笑)これは神様の思し召し次第。どのような未来があるか、楽しみだ。最近、世の中を見渡すと、目を覆いたくなるようなことばかり、聖書の記す終末が近いことを認識せざるを得なくなってきている。
20年くらい前だろうか、つんく♂が作った女性グループが”ニッポンの未来は世界が羨む♪”と、今聞くと笑ってしまうような歌詞を歌い、皆そんな思い(錯覚)に陥っていた。でも、世相は暗くなり日本は愚か世界中が不穏な状況だ。
若者が将来に希望をもてないというのも頷ける。
しかし、そんな状況でも、仮に来年には世の終りが来るとしても、それでも為すべきことを為す。人の健康に役立てる仕事が与えられているのは恵まれていると感じる。そのツールがアサイゲルマニウムだ。

ぼくは入社から20年以上、アサイゲルマニウムを研究対象としてきた。ただのバカから、曲がりなりにも研究者になることができたのはアサイゲルマニウムという物質のおかげだと感じている。そして、アサイゲルマニウムが繋いでくれた縁があり、その中で生きていると思っている。
そんな全ては、ただ一方的に神に与えられ、アサイゲルマニウムの機能、健康に対する利点を伝えるように使命を与えられているように感じる。他には何もできない自分が人々の健康に少しでも役立てるという機会を得ているのは幸いだ。

さて、そんな研究を続けてきて、ぼくは様々な大学の先生方を頼ってきた。アサイゲルマニウムの作用は多岐におよぶ。なぜ、作用するのか?を考えると、これまでに知らなかったことを学び、どのように作用を確認するのか、手段を考える。そうして考えた実験手法を自前でできれば試してみる。やり方が分からなければ、知っている先生を見つけて教えを請う。教えてもらってできる範囲を超えている場合は、とっかかりとなる試験を行ってもらえないか頼んでみる。もしくは、協力してくれる方がいないか紹介してもらう。そんなことを、とにかく繰り返してきた。
そうしてきた中で、大学の先生(行政の研究機関も含む)などには2つのタイプがあることに気づく。一つは受け入れて興味を持つ先生、もう一つは拒絶して断る先生だ(笑)アタリマエのことを書いているが、ここは非常に重要である。
当然、ぼくの側からすれば前者のタイプの先生がありがたい。しかし、後者のタイプの先生も少なからずいるだろう。当然、あやしい聞いたこともない会社の研究者がやってきて、金のない会社だけど研究して明らかにしたいことがあるという・・・そもそも相手にするのも馬鹿らしいかもしれない。
そういう、あやしい人が持ってくる素材が、政府機関が毒だと言っているゲルマニウムの化合物で、それを食するという(爆笑)拒まれても当然だ。
そういう、後者の先生は訪問した時の顔つきが違う。引き攣った表情で、なにか恐ろしいものでも見るような目で、こちらと視線を合わせるのを好まないのだ。このタイプの先生方と話をするのは時間の無駄である。最初から拒みたい気持ちが全面に出ているからだ(笑)

そんなわけで、ぼくの研究人生は前者のタイプの先生方との歩みだったとも言える。まぁ、言ってしまえば単なるバカちんのぼくだ(笑)拒まれてもなんの不思議もない。だが・・・にもかかわらず、
”あやしいかもしれない話でも、まずは決めつけずに話を聞く”
そんな先生方との御縁が沢山あった。
そのように蓄えられた御縁が、この10月に2つの花を開いたのだった。

ひとつは、少し前に既に記事にした"有機ゲルマニウム研究会の第一回臨床報告会"で、10月5日にホテル恵風で開催された。

そして、もう一つが本記事に記す"第一回アサイゲルマニウム研究会"だ。あまりの紛らわしさに、社員の皆さんもこんがらがり、ぼくも混乱しそうな状況だった(爆笑)提案したのが自分なので、身から出た錆である・・・。
アサイゲルマニウム研究会とは何なのかというと、アサイゲルマニウムという物質が持つ性質・機能を研究するアカデミックな研究機関の研究者が一同に集まり、研究内容を発表してノウハウをシェアする研究会だ。

10月に行われた両研究会のプログラム集

有機ゲルマニウム研究会とは異なり、臨床の話は二の次・三の次で、極めてマニアックな研究の話をする会として、基礎研究の中心に据えるべく設立した。ぼくが会社に提案したのは、たしか去年のことだったと思う。翌年の予算組みをしなければいけない時期に、この会の経費を計上した。ぼくの中で構想は以前からあったが、研究や講義、昨今は大学の役割も増えて多忙な先生方に、大々的な学会とは違う企業主催の研究会(しかも怪しいサプリと世の中で思われている・・・素材対象)に参加するために時間をいただくのは恐縮であり、会として成立するのか皆目見当がつかない。そんな理由で躊躇していた。

浅井ゲルマニウム研究所が慢性的な赤字企業だったことは、以前の記事に書いている。そんな中で、ぼくが関わってきた先生方は旅費にもならないような年間研究費でも研究を請け負ってくださって、素晴らしい成果を出してきていただいた方々だ。「大変申し訳ありませんが、年間30万円でお願いできないでしょうか・・・」というのが申し訳無かったが、明らかにそれ以上の金額をかけて研究していただいたことは数しれなかった。今、浅井ゲルマニウム研究所が長年の赤字から脱したのは、そうした協力をし続けてくださった先生方の成果によるところが大きい。そして、小さな存在(会社)がこれほど研究を継続し、作用メカニズムが解明されてきているのも、本当に感謝しかない。
今回は、やっと黒字化できた中で予算をとり、研究会を発会するに至ったのだが、それは10年前には想像もつかないことだった。

ぼくは提案するだけ。実態は研究部長の島田さん(しまちゃん)への丸投げだ。島田さんには、アカデミックな研究会を立ち上げたいこと、そして既に会の世話人になって協力してもらうべく、研究顧問の麻生先生(東北大農学部名誉教授)と、ぼくの親友である得字先生(帯広畜産大学准教授)に頼んであることを伝えた。春先のことだった。大体の秋開催までのスケジュールを伝え、初回の開催は函館研究所の会議室であること、声掛けする先生の選定、声掛けのメール、発表していただく先生への謝礼、などについて伝えた。
しまちゃんは、いつもどおり燻し銀のごとく、着々と相談しつつ準備を整えていった。
函館に来てくださる先生は、発表者だけかもしれない。あとはZoomでのオンラインでの参加かな。と思いつつ、20名を超える先生方を選定していった。大半は、前述したようなぼくの突撃を受けてくださった先生方。そして、本当に古くから研究に協力してくださってきた皆さん、そのような面々だった。

アサイゲルマニウム研究会の準備

世話人をどうするか・・・。今回、ぼくの最初のあいさつの中でも紹介したのだが、昔々、アサイゲルマニウムがGe-132と呼ばれていた頃(現在の”アサイゲルマニウムの偽物”としての”Ge-132とラベルされて売っているインチキ製品”とは違うので要注意)、ゲルマニウム研究会という会が存在した。1979年に第一回ゲルマニウム研究会開催、1991年に第二〇回ゲルマニウム研究会開催で12年間にわたって行われた。この会は、初回がGe-132の治験におけるファーストステップとなる第一相試験の結果発表だった。この会は、医薬品にするための様々な研究成果をシェアし、このアサイゲルマニウムの本質を明らかにするためのものになっていた。
臨床のために作られた会だったが、基礎研究も数多く行われ、発表されていたため、ぼくにとってはゲルマニウム研究会の記録集は宝の山だった。そこにある成果が、多くは未発表データだからだ。名だたる大学の成果・知恵が詰まったもの。門外不出の宝の地図だ。もちろん、そのままでは発表できない。なぜ、その様になったのか、自分なりに考察し、このように研究すれば証明・解析できるのではないか、という方向性の基になる。
このゲルマニウム研究会は、佐々木研究所の佐藤博先生が世話人になり始まった。佐藤博先生は、初期の安全性検討からGe-132の開発に関わられ、免疫研究などを経てアサイゲルマニウムことGe-132が癌に作用することに興味を持って研究された方である。ぼくは、お会いしたことがなく、入社したときには既に亡くなったあとだった。佐藤先生はGe-132をがんの治療薬にするべく尽力され、ゲルマニウム研究会からゲルマニウム臨床研究会という臨床に特化した会でも一時期会長を務められ、力を注いだくださった。ゲルマニウム研究会では代表世話人、そしてゲルマニウム臨床研究会では第9回の開催の時に会長を佐藤博先生が務められ、その発展に貢献していただいたことが容易に分かる。実際に、この第9回以降は記録誌が残されており、ゲルマニウム研究会で培ったノウハウが込められているように思う。
実は、後者のゲルマニウム臨床研究会の第10回の主催を終えた後にタクシーでの帰宅の途上で心臓発作により帰らぬ人となった。持病であったというが、大きなストレスだったのかもしれない。
そんなわけで、ゲルマニウムの研究会といえば、佐藤博先生ともいえる方だったわけだ。ちなみに、その後の第10回からは臨床研究会の会長は成城クリニック院長(ゲルマニウム専門のクリニック)だった故・酒井良介先生が引き継がれた。

さて、世話人が世話人と言えるのは世話をする人だからだ。世話をするというのは、簡単なことではない。このこと(この人)のためなら世話をしても良いと、自分の労力を厭わずに捧げるだけの思いのある人でなければダメだ。
今、現存の研究者の中で、アサイゲルマニウムに対してそのようなマインドの持ち主は少ない。ひとりはぼくだろう(爆笑)そしてぼくを除けば麻生先生だ。麻生先生は20代の頃からGe-132の開発に関わってこられた。初めは大学でのバイトとして、そしてやがて社員として、そして退職して大学での研究員、行政機関の研究員を経て、東北大農学部の助教授、教授と経歴を重ねてこられた。ぼくが麻生先生のゲルマニウム研究会での発表記録から麻生先生の研究に興味を持ち、骨髄での造血の可能性を見出して研究相談に行ったのは、先生が助教授として東北大に戻られた直後だったように記憶している。
その頃は、教授だった山口先生もご健在の頃だった。山口先生もゲルマニウム研究会のメンバーだった方で、放射線障害によるマウスの死亡する率をアサイゲルマニウム(Ge-132)が抑制するという驚くべき成果を報告していた先生だ。そんなわけで、アサイゲルマニウムには理解のある研究室だったので、麻生先生はぼくの実施した骨髄細胞の研究成果を喜んでくれ、アドバイスを受けて実施した再試験で見事な差で赤血球の前駆細胞が増えることを証明できた。
以来、様々な研究で協力していただき、特に得意分野である免疫研究では的確な指導で数々の良い成果に結びついた。
麻生先生は、非常に明るく楽しい先生だ。会食の二次会などにもなれば、十八番のサザンオールスターズを聴くことができる(笑)この曲間の麻生先生のアドリブMCは最高だ。
麻生先生はアサイゲルマニウムの黎明期の研究を支え、1980年代のGe-132に関する免疫の研究論文は、PubMedで検索するとすぐに分かることだが、殆ど麻生先生が石田名香雄教授の元で実施したものになる。ある意味、アサイゲルマニウムの免疫研究の育て親みたいなものだ。なぜ育て親かというと、生みの親は石田先生や佐藤先生だろうと思うからだ。
そんな麻生先生に東北大退官後は浅井ゲルマニウム研究所の研究部顧問を頼んでいる。毎月、仙台から函館に来て、研究員の実験に関する研究ゼミで的確なアドバイスや鋭い質問をしてくださる。東北大の教授経験者が、毎月指導してくれるというのは、本当に恵まれた状況だ。そして、麻生先生もアサイゲルマニウム研究の進展を心から喜んでくださっている。

世話人の選定で、麻生先生を外す選択肢はない。たしか、去年の11月に久々の仙台出張を果たし、その時に麻生先生に世話人をしていただけないか、相談した。「もちろん!やらせてもらいます!」と二つ返事で応じていただいたのを記憶している。

もうひとり、世話人を頼みたい人物。それが得字先生だ。得字先生というと、なんとなく落ち着かない。ぼくの大親友であるよっちゃんである。
よっちゃんについては、『アサイゲルマニウムとは何なのか』の中に出てくるので、ここでは字数を節約する。(興味ある方は第5章の6話、7話参照ください)

よっちゃんは、あらゆる意味でぼくの人生において重要な人物だ。アサイゲルマニウムの研究を深く手掛けてきた訳では無いが、今があるのはよっちゃんの協力の結実したものに間違いない。
浅井ゲルマニウム研究所の中堅社員たちも、彼の紹介で入社してくれたものたちが多い。
そもそも、彼が世話焼きでなければ、ぼくは今この記事を書いてはいないし、アサイゲルマニウムとも関わっていなかっただろう。というのは、彼は大学の一年生の頃に意気投合し、毎日のように部屋に入り浸っていたから、いっそのこと一緒に住んじゃったほうがよくね?みたいな勢いで戸建ての家を借り、ちょっと大きすぎるので、もう一人を誘って三人でシェアハウスして暮らすことになった。2年生の春から大学院に入るまで、3年間同居した。
彼は首席合格で入学してきた優等生(勉強の面のみ)、ぼくは”彼さえ留年しなければ全員進級”といわれた劣等生。そんなぼくが留年せずに済んだのは、彼のおかげの部分が多く(他にも数人手助けしてくれた)、留年していたら恐らく大学院への進学はなかっただろうし、浅井ゲルマニウム研究所からの求人にであうことも無かったのだ。
よっちゃんが面倒見がよく、やがて大学の先生として学生たちの面倒を見るようになる片鱗が、その頃から現れていたのかもしれない(笑)極めつけは、必修の単位だった数学の試験で寝坊したぼくを、試験が始まる直前にいないことに気づいて、部屋まで起こしにきてくれ、試験を受けて留年を免れたことだろう・・・。まったくの世話焼きだ。
ちなみに、これも過去に書いたかもしれないが、よっちゃんはめちゃくちゃスキーがうまい。士別という超雪質の良い土地でスキーをして育った。彼はぼくと仲が良かったが、東京出身のぼくは殆ど滑ったことがない。辛うじてボーゲンで滑れたくらいだったが、大学一年の冬で既に車を所有していたぼくに、スキーに連れて行ってもらうという立場だった。一緒に滑ると、ちんたら滑るぼくが足手まといである。上手くなってもらわないと、滑る時間を削られる。だから・・・(笑)ぼくに教えた。
彼はよく、「先にも後にも、中村にしかスキーを教えたことはない」と豪語していた。
そんな得字先生なので、世話人の依頼はスキー場のゴンドラ内にした(笑)

このゴンドラ内で世話人をよっちゃんに依頼(もちろん仕事…)

基本的に、よっちゃんは中村の世話を焼く人生なのだ!ということで、「他にもっと適任者がいるでしょう?」とか言いながらも、「僕で良いのなら、引受させてもらいますぅ」と応じてくれた。1月10日のサホロスキーリゾートでのことだった。

こうして、世話人が決まり、島田部長に任せ、一度集まって話しましょう!ということで、函館に来ていただいた。4月5日。ここで麻生・得字・島田・中村の4名が初顔合わせし、研究会の概要を詰めていった。
半年後に開催するアサイゲルマニウム研究会に向け、プロジェクトが開始された
有機ゲルマニウム研究会とは違い、アサイゲルマニウム研究会は浅井ゲルマニウム研究所が主催する企画であり、すべての準備は会社と世話人会の2名で進めなければならない。しかし、先生方二人は学会の経験などが豊富なので、様々な有益な意見をいただき、必要なことが次々と明確にされ、準備は進んでいった。

発表者は4名、過去の研究会を知る麻生先生アサイゲルマニウムの生体への吸収イメージングに協力していただいている北大創成研究機構の坂本直哉先生、生体に入ったアサイゲルマニウムがどのように作用できる可能性があるかを島田部長、そして大取りの講演を痛みの抑制メカニズムについて解明してくださった近畿大薬学部の川畑篤史先生にお願いすることになった。演題を多くすることもできるが、翌年からの継続も考えると、初年は4題でよいだろうということになった。
今回のポイントは、生体に吸収され、そこでどのように作用し、どんな作用が端的に現れるのか。そのようなストーリーでの組み立てにした。
次年度からは免疫などの研究も取り入れたいと思っている。

外部から、麻生先生を含め3名の先生にお越しいただく、それに得字先生を含めて4名。他にはどなたに来ていただけるだろうか・・・。発表もないのに函館まで来ていただけるのだろうか・・・。不安は尽きない。
古く、ゲルマニウム研究会に参加されていた御年80代の先生方を数名、ぼくが入社以降に繋がりを気づいてきた共同研究者の先生方20数名に案内をだした。
結果として、発表される先生も含め15名が函館の現地参加をしてくださるという、驚きの結果を知った。そして、それ以外にもZoomでのWeb参加をしてくださるという6名の先生がおられ、結果として都合が合わないという先生が数名おられたが、大半はご参加いただけることになり嬉しい誤算だった。

大澤俊彦先生

お声がけした中で、恐れ多くもありながら連絡した先生がいた。大澤俊彦先生だ。名古屋大学農学部名誉教授で、農芸化学会の会長職も務められた経歴がある。現在は愛知学院大学で所属されている。
大澤先生は、ぼくが大学生の頃に活躍されていて、農芸化学会で抗酸化物質の分野で著名な先生だった。ぼくが大学時代に研究していたのは米油だったので、油の酸化は重要な問題だった。研究テーマが油脂酸化ではなかったので直接は関係ないものの、植物油が酸化されやすく、分析サンプルの保存には注意する必要があったので、植物の持つ抗酸化物質というのは気にかけていた。
ぼくが浅井ゲルマニウム研究所に入って驚いたことが、ぼくの知らなかった・・・殆ど無名の会社で行われる小規模研究会のAGE研究会という会に出たときのこと。帯広(当時はニッテンに研修に行っていたので帯広に住んでいた)から東京にでて(狛江の研究所)研究会に行くと、なんと大澤先生がおられた。ぼくにとっては大先生の中の大先生、会話することなどないだろう・・・と思われた先生が、会社の食堂で行われた会食(懇親会)の時に向かいの席に座って、ビールを美味しそうにバンバン飲んでいる。非常に大きな声で、明るく研究の話をされているのが印象的だった。
先輩に聞いたところ、以前よりゲルマニウム研究会に参加されており、特にゲルマニウム化合物の抗酸化性について数多くの研究に協力されてきたという。
その後、浅井ゲルマニウム研究所は薬事法違反になった。しかし、そんな中でも大澤先生はブレずに関わってくださった。多くの先生は、厚生省に告発を受けたということで蜘蛛の子を散らすように去っていった。しかし、噂によれば、大澤先生は名古屋大学の幹部に呼ばれて(学長?)問いただされた時、「きちんとした研究を行ってきた会社ですが、関わることになにか問題がありますか?」という趣旨のことを毅然と答えられたという。そんな先生だから、その後もアサイゲルマニウムは体調の悪い時には続けて飲まれていたし、今に至るまで関係が続いている。函館に研究所が移転して後、ご家族が函館に転居したということで訪ねてくださり、20年以上前になるが、ぼくの研究を聞いて赤血球の代謝の話を楽しんでくださったのを覚えている。
今回、だいぶ年月が経っているし、コロナ禍もあって先生はお元気だろうか・・・と思いながら声掛けしたところ、なんと現地参加してくださるという!
過去のゲルマニウム研究会は第八回から最後の第二十回まで参加してくださっていた記録が残っており、図々しくも今回の研究会の終了の締めの言葉、感想を含めてお話しいただけないか打診したところ、喜んで引き受けますとの御返事をいただき感激した。

こうして、研究会の骨子は決まり、準備は着々と進められ、10月25日の当日を迎えた。

アサイゲルマニウム研究会

こうして漕ぎ着けたアサイゲルマニウム研究会、前日から函館入りされる先生、当日お見えになる先生、15人の先生方の函館研究所への交通手段は、日中は公共交通機関が存在しない場所にあるため、我々で送迎するか、もしくはタクシーで来られるか、二択だ(爆笑)

当日の浅井先生胸像も心なしか先生方の到着を待って…


事前に先生方に送られたプログラムには、連絡事項として交通手段が記されているが、下の写真の通り(笑)
送迎を頼まれた先生は一部の方だけで、他の皆さんはタクシー?本当にお見えになるの?など、最後まで不安だった。
しかし、時間が近づくと続々とタクシーが普段はない頻度で会社の正門を颯爽と入ってきた。いよいよだなぁ。

空港も駅もタクシー(空港はここ数年で近くなった)

会社玄関のロビーで受付をし、脇の面談ロビーの中に到着した先生方が増えてくる。挨拶を交わしているうちに時間が発ち、ロビーに人が満ちる
15人お越しいただいた先生方のうち、3名は旧帝大の名誉教授の方々…凄いなぁ。
会社見学・案内をすることになっていたが、特別申し込みがなく、希望者がいないかと思っていたが、改めて聞いてみると全員が見学をされるという(笑)15人ほどを引き連れて30分程度(いつもは50分くらいかかって案内する)で説明して回ることになった。施設を案内していて、ご来場の先生方が驚かれる。こんなにきちんとした施設だと思っていなかった・・・。とのこと(爆笑)そして、実験室の広さと、そこで実験する研究員の各部屋の利用人数を伝えると感嘆された。そう、大学では狭い実験室に詰め込まれるように学生がいるが、浅井ゲルマニウム研究所では化学実験室・生物実験室とも各二部屋、しかも広々なところに3名ずつなので、一部屋あたり1.5人ということになる。なんという贅沢さだろう。

案内途中で質問があると、答えたくなる。しかし、研究会の開始時間が迫る。焦りながら会議室に滑り込んだのは開始前10分で、余裕があった。

そうして、弊社の会議室は全席が満席で研究会がはじまった。


アサイゲルマニウム研究会概略

ここでは、詳細は控える。ただ、エッセンスだけ記しておこうと思う。

初めに、ぼくのR&Dセンター長としての挨拶。過去の歴史、研究会がかつて長きに渡り継続されたこと、その会の記録と会の趣旨の紹介を行った。そして、30年の断絶後、いま研究会を再開することの意義と、目的を説明させていただき、本会に期待する思いを伝えさせていただき挨拶とした。

次に、世話人でもある麻生先生の第一演題。「ゲルマニウム研究会からの発展」との題で発表いただいた。恩師・石田先生や浅井先生との出会いからユーモラスにご紹介いただき、”浅井ゲルマニウム研究所は円満退社!”だったこと、さらには現在の研究部の大躍進と研究内容の今後の展開における可能性への期待も含めて紹介いただいた。麻生先生の当研究会にたいする熱い思いと期待が、ひしひしと伝わるプレゼンテーションだった。

第二演題は北海道大学創成研究機構の坂本直哉先生のご講演。「クライオ同位体顕微鏡の開発」との題での発表。顕微鏡の様々なタイプの性能の紹介の中、如何に同位体顕微鏡がハイレベルであるか、スペック比較から簡単な原理紹介、そして坂本先生のご研究のメインテーマである、宇宙の水について紹介いただき、それがクライオ同位体顕微鏡という分析にどのような過程で進んでいったのか、アサイゲルマニウムがどのように関わっていたのかを、驚くほどの膨大な過去データから振り返り、とうとう成し遂げられたクライオ同位体顕微鏡の完成までをご紹介いただいた。
ぼくと島田さんを含め、三人で3日間寝ずに分析したデータをご紹介いただいた時は、ウルっときた。そこで坂本先生「中村さんの偉かったのは、このデータが出た時に論文にしなかったんですよ!なんかおかしい・・・と、そして色んなことを試し、・・・・クライオで凍らせるしかない!ということになりました」とのコメント(汗)そう、ぼくも論文を書きかけたけど、途中でとどまって真実の姿を突き詰めたくなった。妥協せずに、細かく見ていったら、水溶性分子の分析がとんでもなく難しいものであることに思い当たり、明らかに無茶振りな、凍らせた状態でのサンプルの分析を坂本先生に決心させるに至ったのだった(ぼくは「凍らせたままで分析できたら良いのになぁ」と呟いていただけですよ)。
坂本先生が凄いのは、無理と思われるような問題を全てクリアし、コロナ禍の間に確立させてしまったことだ。
クライオ顕微鏡ではTEMなどの開発では、所謂、低温電子顕微鏡法という解析で2017年にノーベル賞が3名の開発者たちに授与されている。装置を製造しているLeica社のページを参照いただきたい。

そんな意味で、坂本先生がクライオSIMSでノーベル賞を与えられたなら、本当に嬉しいことだ。そんな先生に第一回で講演いただいたことは、将来の名誉な逸話として彩られるかも(笑)と期待しています!
まだ、この装置で完全なデータまで解析できていないので、今後一年が極めて楽しみである。

第三演題は我らがしまちゃんこと、島田康弘先生。「相互作用可能なターゲット分子の紹介」との題名で発表いただいた。しまちゃんは、自分のテーマであるアサイゲルマニウムと作用する生体分子について、分かりやすく、手法も含めて紹介し、ターゲットが何であるか、そして具体的な作用への影響がどのようなものであるかを紹介した。
最後には、自らの身体を使った(笑)人体実験・・・見て分かる体験をシェアしてくれた。ぼく自身も体験済みであり、目に見えて明確な変化があるものを、彼は聴講者に誰でも分かるように写真にして紹介してくれた。
これ、めちゃくちゃ営業に使えるやつやん!ってなりました。
いずれ、ぼくのセミナーなどでしまちゃんに紹介してもらいます。
ちなみに、直近で再来週の横浜のセミナーで話してくれるそうです(爆笑)
みなきゃ損する!

第四演題は、しまちゃんが紹介した作用分子の中で、最も明快なデータが得られて、且つ高度な研究論文誌に掲載された研究である、近畿大学薬学部の川畑篤史先生のご講演。「硫化水素との相互作用を介した神経因性疼痛の抑制」との題名で発表いただいた。
硫化水素の生体内での役割と、痛みの関係、そして浅井ゲルマニウム研究所との関わりなど、非常に明快な、しかし高度な研究データを紹介していただいた。
ぼく自身、痛みのシグナルのほぼ完全な消失のデータは、データが得られた当時は本当に衝撃だった。薬と比較すれば高濃度を要するが、間違いなく痛みを抑制するデータであり、シグナル伝達において伝達分子に結合することで阻害する。ということを非常にクリアに示していただいた。
(ちなみに痛みを抑制するメカニズムが分子的に解明されているサプリ素材って、世界中見回してもアサイゲルマニウム以外にないですから!これって凄いんですよ)
ぼくが最初に先生を訪問した時の話や硫化水素と結合するのをデータで示したら研究をしてみましょう、と応じられ、数カ月後に強い結合データを持ってきたことには驚いた。と、正直な感想をプレゼンに織り交ぜていただいたのも、ぼくとしては大変嬉しかった。
懇親会の後で、川畑先生から「本当にリサーチ好きですよね。ほんまはサプリとか好きじゃないんですけど・・・あんなインパクト・ファクター高い雑誌に載る研究になると思わんかったですけどねぇ(笑)」とおっしゃっていただいた。そうです。アサイゲルマニウムはただのサプリじゃないですから!本当に、有り難かった一日でした。

そして、大澤先生が締めの言葉として会の感想をまとめて話してくださった。本当に今後に期待が持てる、そのような楽しみな研究会であると。
ぼく自身、また、しまちゃんも大変だったが(実際は大変だったのはしまちゃんだけ?)、どうなることか五里霧中の中での準備と開催。このようなお言葉でねぎらっていただき、本当に嬉しいことだ。「以前あったゲルマニウム研究会の全20回開催を越えて続いていけるように・・・」とのお話で、気持ち新たに頑張ろうという機運を高めていただいた。さすが、大先生は凄い!

アサイゲルマニウムの力量は、このような基礎研究の裏付けが素晴らしいことだ。
ぼくが、意地になって生体への作用の証拠を掴もうと、長年もがき頑張ったことが、このように結実しつつあることは、心からの喜びである。

最後に、ぼくの挨拶文を貼っておきます。駄文ですが(汗)、興味ある方は、お読みください。


アサイゲルマニウム研究会の発足にあたって


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