自然農1ヶ月目。自然界の素晴らしい世界観を目指して
12月に入り、冬の訪れを感じるこの頃です。
朝や夕方以降には、10度を下回るものの、まだ20度近くまで、日中の気温が上がってしまうという季節外れの日が続いております。
現在は農業について知識が追い付いていない私は、興味のある分野の本に出会いの機会を頂いております。
素晴らしい書籍と出会って
最近読んだ本の一例として、
「福岡さんのわら一本の革命」であったり、「川口さんの自然農」「木村さんの奇跡のリンゴ」「三浦さんのガッテン農法」「パーマカルチャー」
今後読みたい本としては
「シャウベルガー水の脈動」「菌の世界」「岡田さんの自然農法」「シュタイナー月との関係」「アナスタシア、マリアトゥーンの天体エネルギー栽培法」「バイオダイナミック農法」
といったところです。今後素晴らしい書籍として残してくれた方の知識を少しづつ吸収していきたいと思っております。
今回の記事は、いくつかの書籍を読み進めている中で感じた事を、今後の方針を示すとともに、私なりの解釈としてまとめて行きたいと思います。
福岡正信さんの20代に気づいた事
冒頭に私が読んだ本の中で、一番共感できた方として、福岡正信さんの言葉を借りて、自分なりの解釈を付け加えて行ければと思います。
まず福岡さんの話の中で、人類の科学の進化、発展を否定する事に、始まります。人間が目で見たものを解析したり、応用したりすることで、自分たちの生活を豊かにしてきた(発展?)という人類の解釈ですが、それは全く真逆の道を歩んでいると説いていおられます。
昨今の人類が抱える、水の問題から始まり、紛争、飢餓、気候変動、土壌、水質汚染などなど。
こうした根本の原因は、人間が欲の追及、科学の過信による弊害、しわ寄せによって生じてしまっているのではないかとも考えるからです。
様々な書籍を読むと、自然界の目に見えない世界観はとてもバランスがとれていて、綿密で、神秘的だという事が分かります。(科学者、専門家はその分野に関しては長けておりますが、他分野に関してはトンチンカンという事は、よくある事です。自然の世界は、土、水、空気、宇宙などすべてが一体)人間にとって有益なもの、害のあるものでも、何も手を加えないでいると、自然と調和がとれて人が生活しやすくなる。といった自然農の世界観はとても調和が整い神秘的です。
そこでひとたび、これをやると収穫量が増える!葉を食べる虫を殺せるなどと人間が手を加えた時に、バランスが崩れ、結果として、̟正の対価と負の要素を生んでしまう事なってしまったのです。欲を満たすのに合わせて負の要素が連鎖として繋がってしまい、要素を克服するべく、様々な技術発展をしてきた。といった具合が現代私たちの歩む人類の歴史なのではないでしょうか。
人類は情報を手にして進化したのか
私たちの生活の大きな変化(進化?)の一つとして、情報の伝達スピード、共有が高まった事があると思います。
これは私自身の体感になりますが、限りある時間の中で、情報を収集、発信を行う事に、多くの時間を使ってしまっている事を感じます。(同時に何かを生産する時間が奪われているとも言えるのでは)
取得する情報によっては、今まで大きな図書館でしか閲覧できなかった情報だったり、大学等で実験的に行った結果を伝えるものであったり、情報社会が豊かになったからこそ、得られる知識が多くなったことは、私たちに多くの利益をもたらしてくれます。
しかし同時に、情報の共有が多くの人を苦しめてしまうツールにもなりかねないという事も、私たちは、認識するべきだと思います。なにか自分の意見を通したい、推し進めたいと欲の赴くままに、多くの大衆を引き込もうなどと考えようとすると、必ず反対の意見を持った人たちが、現れます。それはごく自然な事で良いのですが、なかなかそれぞれの持っている意見の量が多くなってしまうと一言で結論を出す、短期間で議論を行い結論を出す事が、難しいものになると感じます。
それは、専門家同士を交えて議論を進めても、なかなか平行線でお互いの意見が交わらない事は私たちもよく目にする事が多い事と思います。
それが、SNS等で様々な情報を個人で発信できるようになると、意見が対立した際にお互いの意見が過熱してしまう事も。加熱するだけならまだよいのですが、多くの意見を集めて少数派の意見を押しつぶしたり、特定の人を集中的に攻撃したりと、便利になる一方で、こうした問題に根本的な解決が出来ていない事にも焦点を充てなければと思います。日本における20代の死亡の原因1位が自殺という事は、とても悲しい現実です。周囲の目に同調し調和を整える事の出来る日本人には、孤独感を強く感じやすいのではとも思います。
意見の対立が発生した際に、お互いの意見を尊重した上で、共通の問題、分かりづらい問題がある場合には、永きに渡って理解する為の時間を作る事が必要で、何もその場で結論づけなくてもよいと思います。
全くの価値観が異なる場合、理解できない場合も、対立した人の思いを一旦受け止め、永い時間をかけて思い続ける。又は、それ以上相手を攻撃したように干渉しない、といった。懐の大きさが求められるのだろうと思います。
人類と電気エネルギー
もう少し大きな問題で言えば、電気を生み出すエネルギーの問題。全体的な流れを見ると、議論が深まっているというよりは、推進派と反対派がぶつかり合っているだけのような気がしてなりません。
そうした際にやはり重要になってくると思うのは、問題の根源を問い直し、根源を遡っていく視点も重要であると考えます。
まずは、一人一人生活に必要な電気量の見直し、豊かにしてきた一方で多くのエネルギーを必要としてきた大量生産、配送、販売店等の見直しなどなど。どんどんと質素になってしまう事に繋がりますが、心の豊かさと生活の豊かさはイコールでは無いと私は考えます。
生活の豊かさを追求した結果、本当に私たちの生活は豊かになっているのでしょうか?いろんな欲を満たせるようになったことは大いに感じますが、その結果多くの問題にも向き合ってこなかった事にも目を当てるべきです。
食とは
食が豊かになるという事は、海外からの輸入が増え、全国の食材を行き渡らせるための配送のエネルギーを多く使用致します。国内で生産される食材は、競争の波、消費者の求めるニーズの高揚によって、採算を得るために、農薬、生産量を高める化学肥料を使用しなければならなくなった事。一見するとこの当たり前になりつつある私たちの生活ですが、国内の自給率を低下させ、農業に携わる担い手を減らしているという影がある事も忘れてはいけない事だと思います。
このことについて福岡さんは、国民皆農民という思いも記しています。日本の国土を全国民に割り当て、一人1haほどの面積で農業を通じながら生活していくといった形です。
そこには自然に触れる素晴らしさ、心の豊かさを育む多くの要素が秘められていると感じます。
自然の中で育った野菜は私たちに足りない栄養素を与えてくれる
福岡さんの提唱する自然農の形は、自然と共生する事から、野菜の実りを得る為、エネルギーは必要最小限です。その土地に合った野菜を育てながら、副業で地域の人との交流、週の半分は別の仕事でまかなう。あまり多くを求めず、お米、みそ汁、お漬物を食し、自然エネルギーいっぱいで育った野菜は、毎日の私たちを満足させてくれることだと私は思います。
周辺の食材と、生活圏だけで、心と健康を満たす事が出来れば、それはとても自然な事で、素晴らしいことではないかと考えます。
福岡さんが亡くなった今でも福岡さんが残した田畑は、保護されているようで、理想の楽園、エデンの園として、後世に受け継がれています。
目指すべき畑の姿を思い描く
私の置かれている現状はそんな楽園とは程遠いものですが、多種多様な昆虫、植物達の自然環境の中で、野菜を育て、その実りの一部を収穫するといった生活に近づけていく事を目指したいと思います。
スタートの抱負として書き記したことを、みなさんとシェアできると嬉しいです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。