小手先じゃない生き方(日記 1/28〜1/30)
1月28日(火)
義父の命日。毎年のことなのだが、義母はいつも義父の命日を忘れる。薄情なのかなんなのか笑。今日はお義父さんの命日だからお墓へ行こう、と言うと、義母はああそうじゃったなあ、今年も忘れてしもうてたわ、とあっけらかんとしていた笑。
と言うことで義母とお墓へ。しょっちゅう来ているので綺麗なものだ。お水を替えてお線香をあげる。もう13年か。仏壇を拝むときも、お墓で手を合わせるときも唱える言葉はほぼ一択で「いつも守っていただいてありがとうございます」のみ。昔は何々してほしい、ということを長々と述べていたが、今はよほどなにか切迫していない限りはお礼の言葉のみ。
社会学者の打越正行さんが先月亡くなられてショックを受けた話は以前にも書いた。以下の日記をご参照ください。
打越さんを偲ぶ会のようなイベントが大阪梅田ラテラルであり、私は配信チケットを買っていた。今夜それが配信されPCから参加した。案内文には次のようにあった。
社会学者の、岸政彦さん、上原健太郎さん、上間陽子さんより、打越さんの泣き笑いのエピソードが写真や動画と共にたくさん紹介された。お三方以外にも打越さんとゆかりのある方々が登壇して思い出話に花を咲かせている。特に教え子の皆さんがそれぞれに豊かな「自分の言葉」を持っていらして胸に響いた。打越さんはもう居ないけれど、打越イズムはこうして若い皆さんに受け継がれていくのだなと心を揺さぶられる。打越さんのエピソードには、社会学にとどまらず、広くいろんな仕事や研究や、もっと言うと生きていく上のヒントが詰まっていた。「打越さんは権威的になることを恐れ常に意識していた」という話に大きく頷く。自分も常にそうありたい。
打越さんが「激レアさんを連れてきた。」に御出演された時に、その回のゲスト研究員だった俳優の成田凌さんが打越さんの生き様に圧倒されていて、「いやあ…ちょっともう…小手先じゃない生き方というものに触れて、今、反省しています。自分は小器用に生きてしまってるんだなって…。人間として(打越さんを)尊敬します」と言葉を失いそうになりながら心の底からの感想を述べておられた。それがとても印象的だったのを今でも覚えている。小手先じゃない生き方、見事に打越さんを表した一言だなと思った。
1月29日(水)
31回目の結婚記念日。義父の命日と並んでいる。だから私は命日を忘れないのだ。義母が特別に薄情ということもないのだと思う笑。一応フォロー笑。
義父は日付が28日に変わってほどなくして亡くなり、その夜にお通夜、翌日の29日がお葬式だったため「今年の結婚記念日はお葬式だな」と思った記憶が強い。よって、ワンセットで覚えています。
結婚記念日だからと言って何がどうということもない。仕事もめっちゃ忙しいし、帰りも遅くなった。ご馳走ということもない普通の日。でもなんでもない普通の日がいかに幸せなことであるか、というのを年齢を重ねるとつくづく感謝する。
1月30日(木)
ある知人女性が仕事で問題を起こして窮地に立っているらしい、と共通の知人から知らされた。自分の権力勾配の優位性を利用して、後輩に対して激しく叱責をしてしまったらしいのだ。しかも大勢の人の前で。
権力があることを利用してやろうなどという気は本人にはなかったのかもしれない。しかし、先ほど28日の日記のところで打越さんのエピソードとして書いた「権威的になることを恐れ常に意識する」ということを、その知人女性は怠っていたのだと思う。そうして知らず知らずのうちにズレて行ってしまっていたのだ。怖いことだなと思った。
人間はすぐに勘違いしてしまう生き物だと思う。打越さんの「小手先じゃない生き方」をいつも心に留めて、無骨で正直で真摯でありたい、とあらためて強く思った。
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