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【エッセイ】落とし物(あるいは忘れ物)

 昨年末の忘年会にて、上司の発案で今年一番の出来事を1人ずつ発表することになった。いいことでもわるいことでも自分にとって一年でもっとも印象に残ったことをひと言で口にする。苦手な部類の余興だ。
「1年前に結婚した妹の結婚相手に初めて会った」「母が亡くなった」「健康で過ごせた」「交通事故に遭った」
 それぞれに納得の一番を披露していく。上司はうんうんと満足気に聞いている。 
 私の順番が迫る。この場で発表できるようなことは何も頭に浮かばない。
(毎週エッセイを書き続けられたこと?)ダメだ。エッセイを書いていることを公表するなんて絶対にムリだ。何を書いたかも定かではない。
(ねこが死んだこと?)この話はここではしたくない。
(仕事が嫌で、辛くて、涙をこらえながら働き、泣きながら眠りについたこと。そして、なんとかそれをやり過ごしたこと?)こんなことを職場の人たちに言えるはずがない。失敗をさらすことはできても、弱みを見せることはできない。

 苦手な余興とはいえ、元来話すのは不得手ではなかったし、日々のなかで出来事はいくらでもあったはずだ。それなのに、ぽっかりと何かが抜け落ちたようにほかに何も思い浮かばない。頭が真っ白になったのではなく、もともと何もない空白であるように思われた。
「なにも…なにも思い出せないです。ただ、職場の椅子に必死に座っていたな、と」
 私の回答に上司は少しあきれたように見えたが、回答権はすぐに次の人に移っていった。

 忘年会のあと、改めて考えてみた。
 やっぱりなにも浮かばない。1年間の記憶自体があるんだかないんだかわからない有り様だった。
 つまり私の1年間は空白で、ないに等しいものだったのだろうか。努力とまではいかなくても、手を抜いたりサボることなく一生懸命に過ごしてきたと思う。必死だった。しかし、なにも残らず、なにも思わなかった。
 記憶に残らない日々。なんて寂しいんだろう。淡々とするにもほどがある。

 先日、カラスのフンを頭で受け止めた。人によっては最悪な1日になるのだろうが、私はとくに何とも思わなかった。ただの出来事であり、良くも悪くもない普通の1日だった。(ネタができてラッキーとは思った)
 そういうとこだぞ、と自分に言い放つ。感情の起伏や細やかな感性をいつどこに置いてきたんだろう。自分の身は自分で守らなければ、と悟ったときだろうか。
 日々の過ごし方も物事のとらえ方も、そう簡単に変わらない(自己防衛ならなおさらだ)。しかし過ぎた時間はもう戻ってこない。
 この先もずっと同じように過ごしたら、死ぬときの走馬灯にはなにも映らないことになるのかな。
 なにも思い浮かばないから一片の悔いなし、となるのならそれも悪くないかもしれない。    記憶に残らなくとも、自分が確かにここにいて、一生懸命暮らしを営んでいたのは自分が一番良く知っているのだから。

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