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【ショート】あを

 空よりも透明で海よりも深い色。
 お気に入りのインクで手紙を書いた。
 愛用のペン先はこの店で手に入る一番細いものだ。
「カウンターに物を広げるな。邪魔だ」
 店主の言葉も意に介さず、少年は自分の手先に集中している。
「どうせ、他の客なんて来ないくせに。――ビンをちょうだい」
 書き終えた便箋を細く巻きながら、彼はどこまでも無邪気だ。
 店主は鳥かごや色褪せた書物や鉱石といった雑多なものが並ぶ棚から、洋酒の空きビンを発掘して彼に渡した。用途を尋ねるほど野暮ではない。
 ビンに手紙をおさめ、コルクで栓をしてその隙間を蝋で丁寧にふさぐ。そうして立ち上がり、彼はドアベルの音を残して去った。
 カウンターの上には広げられたままのペンとインク。

 なにに未練を残してか、ビンは容易に沖へ向かわない。
 透明なガラスに空と海が沁みる。
 三度目に戻ってきたビンを思いきり遠くへ投げ、それが波間に遊ぶのを見届けてから、帰途につく。夕焼けは明日の天候を彼に告げていた。

 夏の朝は早い。
 麻の窓掛けから注ぐ白い光はすでに肌を灼くが、風はまだ冷たさを残している。
 彼は大きく伸びをして、そっと露台に出た。今日も空と海は分かちがたく、互いに輝きを放つ。風がひとすじ部屋に吹き込んだ。
 波が砂をあらい、より白く生まれ変わったそれを太陽が焦がす。
 なにかが光を反射して彼の目を射た。目をすがめてよく見ても、まぶしくて確認することができない。彼は軽やかに手すりをこえて、淡い期待とあきらめを胸に波打ち際へと駆けた。

 砂が素足に心地良い。
 波に押しやられ、砂上にとり残されたビンが目に留まった。やはり戻されて来てしまったらしい。
 拾い上げてみると、透明だったはずのビンがうすく色づいている。そして、夏に染め上げられたガラスの中にあるのは細く巻いた便箋ではなかった。
 空よりも透明で、海よりも深い。
 そんな色をした巻貝だった。

 ドアベルが鳴った。カラン、という音を耳にして雑貨舗の店主は顔をあげる。ちょうど、挽きたての珈琲豆に湯を注いだところだった。この店は喫茶舗も兼ねている。
「返事は届いたか」
 にやりと笑んで、少年の手元を見やる。
「どうにかしてほしいんだ」
 彼は壜を差し出した。巻貝よりもビンの口のほうが小さい。
「どうやったんだよ」
 肩をすくめ、何も言わずに押しつける。受け取った店主はそれを陽光に透かせてみた。貝殻の表面に雲母が光る。銀河、あるいは宇宙。
 コルクを抜いて逆さにする。軽く振ると、銀河はいとも簡単に掌の上に落ちた。
「どうやって……」
 店主から巻貝を渡された少年は、促されるままにそれを耳にあてた。
 遠く、かすかに、しかしはっきりと、それは彼の耳に届く。
 閉じたまぶたの間から涙が伝う。
 無言のまま、少年は巻貝を店主に差し出し、袖口で目元を拭った。
 自らがビンから取り出した銀河を耳にあて、店主は眉を上げる。
「へえ――なつかしい」
 ふと笑んで、問う。
「手紙にはなんと書いたんだ」
 少年は刹那窓の外を見やり、振り返った。もう無邪気な笑顔に戻っている。
「ひみつさ」
 店主は肩をすくめ、カウンターの中に戻った。
「珈琲を飲んでいけよ。ほどよく冷めたところだ」
「いや、ソーダがいい。バニラのアイスクリームをのせたやつ」
 注文を受け、店主はグラスをカウンターにおいた。冷えたガラスを水滴が伝いおちる。
 少年は巻貝をそこにカチリと小さくはじいてから、夏の恵みをストローで吸い上げた。
 空と海が沁みこんでゆく。

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朝日 ね子
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