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【エッセイ】いっしょうけんめい

 いっしょうけんめい、という言葉を思うとき、なぜだか泣きたいような気持ちになる。
 結果でも過程でもなく、何事かに臨む心もちを言う言葉だと思っている。他人は関係ない。ただ、自分と向き合い、どのように物事と対峙し、取り組んでいるかを言う。
 ときおり、いっしょうけんめい、いっしょうけんめいと自分に言い聞かせる。手を抜いたり、わざと失敗をすることはしないが、言い聞かせないと自分の姿勢を忘れてしまう気がする。
 もしかしたら、そうして自分の気持ちを保っているのかもしれない。物事が遅々として進まなくても、結果が思うようにいかなくとも、自分でコントロールできるのはいっしょうけんめいに取り組むことだけなのだ。
 そして、いっしょうけんめいにやったのなら、どのような結果になったとて(反省点はあるにせよ)仕方ない。
 いっしょうけんめい、と唱えるうちに、そこに漂う報われない雰囲気に気付く。きっと身動きがとれないときに唱える言葉だから、そのときの気持ちが刷り込まれているのだろう。だからなんとなく、泣きたい気持ちになる。でも、この言葉が自分を支えているのも確かだ。
 今日もいっしょうけんめい、いっしょうけんめいと心で繰り返す。報われるかどうかは、あまり考えない。

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朝日 ね子
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