【エッセイ】休みの流儀
むかし、釣りバカ日誌のハマちゃんがいっていた。
「仕事を休むのは元気なときに限る」
元気なときに休まないと、釣りができないから。
「具合が悪いときは無理してでも仕事に行く」
周りのひとに心配してもらえるから。そして、具合が悪くても仕事に出る熱心さがアピールできるから。
勤め人の生活を知らなかった私は、仕事とはそのようなものなのか、という程度に思っていた。
そして、知らないうちに大人になり、仕事というものに就き、不覚にも勤め人になってしまった。
今になって思う。さすがハマちゃんだね!
意外に深い言葉だと気づいた。実践こそしていない(できない)が、そうありたいと、なんだか憧れてしまう。
(ハマちゃんは釣りのために仮病を使うし、出張先で釣りをするし、勤務態度は決して誉められたものではないのだが)
ハマちゃんの考えは、ちょっと古いと思う。しかも、このご時世、具合が悪いときには仕事を休むべきである。周りの人に体調不良をうつすことにもなりかねない。それは承知で。私も今どきにしては古い考えを持つ部類だという自覚がある。だから惹かれるのだろうか。
ハマちゃんくらいの心構えでいた方が、仕事との距離を保っていられるのかもしれない。
仕事は大切だ。仕事には真摯に向き合うべきだし、業務には一生懸命とりくむべきだ。しかし、自分のすべてを差し出す必要はないと思う。
どんなに好きな人とも一心同体になれないのと同じで、どれほど大切な仕事だろうとも、それと一体にはなれない。サラリーマンならなおさらだ。仕事は私じゃないし、私は仕事じゃない。
私から仕事をとっても生きていけるし、仕事から私がいなくなっても組織は動き続ける。
ときどき距離を置きたくなる。その距離のとりかたが、ハマちゃんはうまい。
がんばることも必要だけど、自分の身を守れるのは自分だけなのだ。
元気なときに、仕事を休んでみる。体調が悪いのを隠さない。それは決して不真面目なわけじゃない。
それくらいでいいじゃない、と西田敏行さんの声でハマちゃんは言ってくれる。だから、それくらいがちょうどいいのだと思う。
しかし目下の問題は、自分の身体が丈夫すぎて職場で心配されるほどに体調不良になることがないことである。
世の中でがんばるすべての同志たちへ。
私たちは、日々仕事のプロフェッショナルとして気概をもって生きている(はずだ)。つまりは、休みのプロフェッショナルでもいなければならない。
そう考えるのは、休みたい者の言い訳なのでしょうか。
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