【試し読み】PTA活動に保護者会…その前に読みたい、共感必至の子育てエッセイ!村井理子『ふたご母戦記』/「感情的な親」にならない方法
■第2回/粉ミルク・バイクぶちまけ事件
「感情的な親」にならない方法
子どもが小学校に通いはじめてからできたママ友とは、今でも友好な関係を築いている。多くが仕事を持つ親なので滅多に会うことはないが、車ですれ違えば、慣れた手つきでハンドサインを送り合い(今日もおつかれ)、年に1度程度の食事会で会えばブランクなど一切感じさせない、よどみない会話でランチが冷めるほどである。嫁いだ先が農家のお母さんからは、新米の時期になると「新米、どや」といったメッセージが送られてくる。「30キロで」と返す。何かの闇取引のようだが、ママ友の田んぼで収穫された新米は最高に美味しいので、助かっている。
それ以外でも、「今日、ちょっと手伝って!」と作業補助のお願いがあったり、突然玄関に玉葱が置かれていたり、そんな不思議なことが起きたりもする。とにかく、気楽な関係だ。ママ友との関係、どうしようと悩んでいた保育園の頃が懐かしく思えるぐらいだ。
絶望感の強い小学校のPTA活動
そろそろ就学が迫った子を持つ母親が、ママ友よりも恐れるのがPTA活動だろう。誰かがやらねばならないから押しつけ合いが始まり、活動自体が地味な上に根回しが必要で、とても面倒だから、誰もやりたくないというのが真実のような気がする。誰だって、押しつけられたら嫌なものだし、そもそも、なんで「絶対」なの?と不満ばかりが噴出する。特に、小学校のPTA活動は絶望感が強い。ただでさえ子育てに疲れ切った毎日だというのに、貴重な夜の時間を使って活動をする。子どものための活動が、いつの間にか押しつけられた嫌な仕事となってしまう。
小学校の場合、大がかりな行事が多いのも親が役員になりたくない理由の一つだと思う。当然だけれど、希望者は限りなく少ない。前年度役員がこの人だと当たりをつけて電話をかけて勧誘するのだが、そんな状況で誰が活動に参加したいと思うだろうか。私は嫌だ。しかし、どうしても逃げられなかった年があり、一度だけ、まったく重要でない地味な役員を引き受けた。作業自体は大変ではなかったけれど、大いに疲れた。根回し、下準備、挨拶に魂を削られた。もう二度とゴメンだ。
一方で、中学校のPTA活動は、ずいぶんゆったりと、気軽にことが進む。親のほうも、子が中学生ともなるとほとんど手は離れるし、親が参加する学校行事もぐっと減ってくる。コロナ禍に入ってからは、その行事自体がなくなったこともあり、PTA活動は随分楽になったのではないかと思う。私は子どもが中学に入ってから、広報委員長として3年間PTAに参加している。2年目の終わりには委員長の引き受け手がなく、次年度の委員を決める会議で前任者の顔が青ざめたのを見て耐えきれず、自分から手を挙げた。今となっては、学校とPTAの関係性を知ることができたのは、私にとって財産だったと思っている。
PTA会長はとても明るく、パワフルで、交渉上手な人だった。学校と頻繁に話し合いの場を持ち、子どもや教職員全員にとって安全で楽しい学校にすべく努力を重ね、役員全員のリーダーとなってくれた。シンプルにかっこいい!と思わせてくれる人だった。だから私は、息子たちが中学生になってからのPTA活動は、できる限り休むことなく参加したし、会長のことを尊敬しているのだ。今年は息子たちが高校に進学するので、それも卒業なのは残念だ。少し寂しいような気持ちでいる。
黒歴史がよみがえる保護者会
保護者会は私が最も苦手とするものだ。学期はじめに保護者と担任が教室に集まって、様々な話をするのだけれど……。私自身、学校が苦手な子どもだったこともあって、教室に入るといきなり緊張するし、黒歴史で頭のなかが一杯になる。なぜ私はもっと真面目に授業を受けなかったのだろうと、遅い一人反省会が始まってしまう。だから、保護者会が終わると、そそくさと教室を出て、校門まで小走りで移動する。他のお母さんたちは、談笑したり、担任の先生に悩みなどを打ち明ける時間を過ごしているというのに、いち早く車に戻る私は、大急ぎでエンジンをかけて、近隣のコンビニまで避難する。駐車場で熱い珈琲を飲み、一息ついて、そして家に戻るというわけだ。
保護者会、勉強会、説明会といった親向けの集まりが苦手なお母さんは意外にも多く、誰に聞いても気が重いし、緊張するし、体育館でパイプ椅子に座るのは嫌だと言う。それでも、子どものためと親は努力する。コロナ禍以降、こういった親の集まりがすべてオンラインとなり、気が楽だった親も多かっただろう。私もそのうちの一人だ。紫外線が強い時期の体育祭は本当に嫌だわとママ友と言っていた時期が長かったが、コロナ禍以降はWeb配信で観戦できたのでシミ対策としては完璧だったと思う。保護者が楽しく参加できる行事が増えると育児も楽なのにと思わずにはいられない。
どうしても苦手な先生がいた
ありがたいことに、わが家の双子は学校で大きな問題を起こしたことはない。LINEでのトラブル、ちょっとした喧嘩、そういったことは数回あったけれども、私が学校まで呼び出されて、担任や学年主任、あるいは校長や教頭と話し合いをしなければならなくなるという機会は数える程しかなかった。
もちろん、先生との相性というものは存在する。私も一人だけ、どうしても苦手な先生がいた。双子の弟の小学校高学年のときの担任で、いわゆる熱血タイプだった。給食は残さない、学校は休まない、好き嫌いは言わないなど、彼独自のルールを曲げない人だった。家庭訪問などで家まで来ても、こちらに緊張感を与えるような話し方で、打ち解けることができなかった。仕方がないので、こちらは徹底的に冷静さを保つよう努力して、彼に対しては丁寧過ぎるほど丁寧に対応し続けた。それでも私とその担任が気軽に話すことができるような雰囲気は最後まで生まれることはなかった。
双子の小学校卒業式の日、その男性教師の元に挨拶に行った。すると彼は、明らかに動揺した。きっと私が最後の最後に、彼に対して何かきついことでも言うと想像したのだろう。彼は明らかに身構えた。私は「先生、担任してくださってありがとうございました! 無事卒業できました」と言った。すると彼は、急に表情を緩めて「おめでとうございます。これからもゆっくりと頑張ってくださいね」と笑顔で答えてくれたのだった。ただそれだけの話なのだが、学校との付き合いにおいては、自分のなかに決めたルールを守ることが大事なのだと私は思う。学校に対して腹が立つことも、時にはある。文句を言いたくなることだってある。しかし、先生も人間なのだから、間違いもあって感情もあるのだということを忘れないようにしたい。
学校との付き合い方のルール
私が自分のなかで決めている学校との付き合い方のルールはこんな感じだ。
感情的にならないというのは、「感情的な親」という型にはめられ、そのように処理されたくないからだ。それに、感情的な人を相手にするのは私だって嫌だ。ということは、学校だって嫌だろう。だから、自分はそうならないように気をつけている。言いふらさないというのも大事で、「絶対に言わないでね」とお願いして誰かに言ったことは、確実に広がる。小学生、中学生の親というのは無意識に学校や子どもの問題をゴシップとして消費しがちである。受験についてもしかりだ。無意識だから罪はないとはいえ、話をややこしくするのはゴシップだ。だから、何も言わないのが正解。
口を出さないというのも大事で、学校側が言うことは最後まで聞いて、そこからの対応をじっくりと考えるほうがいいように思う。途中で話をカットして反論すると、大抵失敗する(私の経験からそう言える)。冷静に対処することで、出口が見えてくる。
記録をとることで本質が見えてくる
そして、最後が一番大事だ。メモを取ることなのだ。証拠を揃えてクレーマーになれと言っているのではない。子どもから聞いた話、そして実際に起きたこと、自分の考え、そのときの先生の対応、問題だと思う事柄について、冷静にまとめて書き出してみることに意義がある。本当に学校が悪いのか、それとも自分たちの考えが間違っているのか、どこで問題が起きているのか、どこかで誤解が生じていないか、時系列ははっきりしているのかなど、万が一話し合いが必要となったときに、これらの記録があることで、無駄に時間をかけずに済む。あったことを、ありのまま時系列に並べるだけで、問題の本質は見えてくる。そこに、日付が入っていれば完璧である。
記録を取ることに関しては、仕事にも大いに役立っているし、過去を振り返ることができて便利なのでお勧めしたい。私はGoogleカレンダー、Google Docs、Google Keepを駆使して、メモ、写真、プリントを残している。それ以外でも、身の回りで起きたできごと、それについて考えたことなどを、出先でも、家でも書き込み、あるいは写真に残して記録している。
ここまでやっても行事は忘れるし、塾のスケジュールは把握できていないが、何かあったときに見ればすべてわかるという記録を持っていることは、日々の安心に繋がっている。それでもダメなときは、素直にママ友に一斉メールする。3分も待ったら、プリントの写真が送られてくる。これだからママ友はありがたい。