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汚職事件を追う捜査二課の刑事を描いた、堂場瞬一さんの『内通者』が文庫新装版として刊行! 現役大学生の書評家・あわいゆきさんによる文庫版解説を特別公開

「この告発には裏がある!」
 贈収賄事件を追う、捜査二課係長の結城。捜査は順調に進んでいると思われたが、いわれなき告発により、結城は捜査指揮権を奪われてしまう。混乱の中、一人娘には脅迫電話がかかってきて……。
 警察小説の第一人者・堂場瞬一さんの『内通者』が、文庫新装版として、2024年4月5日(金)に発売となりました。刊行を記念して、現役大学生の書評家・あわいゆきさんによる文庫版解説を特別公開いたします。堂場さんの警察小説を、若々しい感性で綴っていただきました。

堂場瞬一著『内通者 新装版』
堂場瞬一『内通者 新装版』(朝日文庫)

〈時代〉と〈世代〉を超えて、愛され続けるための秘訣

 普遍的な小説、とは一体なんでしょう? たとえば国語の教科書に長く載り続けているような古典や近代文学は、読んだことがある、というひとも多いかもしれません。太宰治『人間失格』などは特に、中高生を対象にした読書調査アンケートでもここ数年、読んでいる本の上位に居続けています。あるいは老若男女楽しめるように書かれている軽快なエンターテインメント小説も、世代にかかわらず親しまれているでしょう。

 一方で、どんなひとが読んでも面白いと思える小説を執筆するのは、決して容易ではありません。思春期の渦中でもがいている若者と、人生経験を積み重ねて成熟した大人のあいだでは、自意識の在り方も少なからず異なるはずです。それだけではなく、時代の変化を経ることで、社会の在り方や価値観や常識も少しずつ移ろっています。最近成人を迎えたひとが生きている「20歳」と、最近還暦を迎えたひとが生きていた「20歳」のあいだには、同じ「20歳」では括れない隔たりがあります。〈世代〉の壁と〈時代〉の壁、両方をよじ登ることで、長く広く読まれる作品となるのです。

 だとすれば、〈世代〉と〈時代〉を超えて普遍へと辿り着くにはどうすればいいのか――堂場瞬一さんはなんと、〈世代〉と〈時代〉が密接に関わってくるはずの親子関係をテーマにしながら、聳え立つ2つの壁を巧みに乗り越えようとします。それが『内通者』です。元々は2014年に単行本として刊行されたこの作品は、2017年に1度文庫化されました。そしていまあなたが手に取っている1冊は、2024年に再刊行された新装版です。すでに本作を読まれた方は、初めて世に出てから10年以上経っている事実に驚くかもしれません。なんせ描かれている内容が、時を経てもまったく色あせていないのですから。

 それはなぜか? 『内通者』の主人公、結城孝道は千葉県警捜査二課に勤めながら、妻の美貴と2人で暮らしていました。キャリア的にも十分にベテランと言える50歳を迎え、20歳を迎えた娘の若葉も大学進学に伴って東京で1人暮らしをしています。そして彼がいま追っているのは、千葉県土木局と建設会社のあいだで起きている大規模な汚職事件でした。捜査は順調に進んでいると思われたものの、情報提供者の椎名が胡散臭い言動を見せたり、娘の若葉に正体不明の不審な電話がかかってきたりと、どこか不穏な空気を漂わせます。実際、捜査中だった情報がなぜか新聞社に漏洩してしまい、一筋縄ではいきません。さらに事件と並行して、妻の美貴が急性の脳幹出血で亡くなってしまい、孝道は妻のいない新しい生活と向き合う必要に差し迫られます。その際、最大の懸念となるのが、1人暮らしをしている若葉の存在でした。

 孝道と若葉の関係性は、孝道が「あの年齢の娘と父の典型的な関係」と自認するように、積極的に会話を交わす間柄ではありません。娘を大切に思っていながらも、若葉が抱いている将来の夢や大学の進学理由を、なにも知らないままでいました。そんななか美貴は夫と過ごしながら娘の相談にも乗り、没交渉気味な孝道と若葉のあいだを繋いでいたのです。しかし美貴が亡くなってしまい、2人のあいだにあった距離が可視化されてしまいます。決して不仲ではなく、むしろ大切に想い合っているはずなのに、どう接していいのかわからない――家族にもかかわらず腹を割って話せず、遠慮してしまう2人の感情は、不器用なコミュニケーションとして作中に立ち現れます。

 孝道が若葉を誘って食事にいく場面は、終始ぎこちなさが演出されている名場面です。

「おいおい、そんなに昔の話じゃないぞ。しっかりしろよ」
「月曜日でしょう? ごめん、ちょっと酔ってたし」

 20歳になったばかりの娘の口から「酔って」などという言葉は聞きたくなかった。法的には問題ないにせよ、何となくだらしがない。

「酔っぱらって電話してきたのか?」
「友だちが気を遣って、誘ってくれたのよ」
「友だちって?」
「友だちは友だち」若葉の口調が急に頑なになった。「そんな、深い意味はないから」

 馬鹿な父親になりかけている、と結城は口を引き締めた。娘の言う通りだ。友だちは友だち……それが男だろうが女だろうが関係ない。大学生ともなれば、いろいろつき合いがあって当然だろう。

「あまり吞み過ぎるなよ」
「分かってる」若葉が不機嫌に言った。

 この短い会話のなかには、馬鹿な父親だとわかっていても若葉を心配してしまう孝道の親心と、その親心を理解していても鬱陶しさを感じてしまう若葉の心情が、巧みに表現されています。子どもがいる読者からすれば孝道の過剰な心配には、共感できるところも多いでしょう。逆に若い読者からすれば、若葉が質問攻めを鬱陶しく思うのも頷けるはずです。この会話に限らず、どの世代の人間が読んでも共感できるポイントが、本作にはちりばめられていました。そして、世代を隔てた親子のあいだにある遠慮が、捜査を阻んでいくことになるのです。

 また、本作が「普遍」へと辿り着くための鍵は、それだけではありません。より多くの読者が共感できるよう、とある工夫が凝らされています。

 その工夫とは、作中の年月を推理させる基にもなる、「時事性」を薄くすることです。たとえば、汚職事件の背景になっている「津波対策となる護岸補強工事の入札」は、東日本大震災の影響を受けたものだと匂わされています。ですが、作中で「東日本大震災」という単語は意図的に用いられていません。また、若葉の回想から2010年代だとは窺わせるものの、孝道がいわゆるガラケー(携帯電話)を、若葉がスマートフォンを利用している程度で、時代を色濃く感じさせる描写はほとんど省かれています。作中がはたして何年なのか、確定させる文章は一切ありません。

 もし親子のあいだにある繊細な距離を描こうとするならば、その遠さを抱かせるために「時代の隔たりを感じさせる描写」を挟むのがいちばん手っ取り早いでしょう。しかし本作では時事性の強い固有名詞やエピソードに頼るのではなく、会話や語りを駆使した感情の機微から、ジェネレーションギャップを表現しているのです。これによって本作で描かれている「親子のあいだにある隔たり」は、いつの時代にだれが読んでも、共感しやすいものとなっています。親と子どもの双方が共感できる視点を取り入れることで〈世代〉を超え、さらに時事性を極力排除することで〈時代〉を超えているのが、普遍へと辿り着くための秘訣です。

 だからこそ、単行本から10年の時を経て新装版が刊行されても、本作で描かれている内容は色あせません。孝通や若葉の葛藤を通して、多くの家族が抱えているであろう普遍的な悩みを、時代を跨いでも提示するのです。

 この瞬間だけでなく、1年後や10年後、あるいはその先、ふとしたタイミングでぜひもう1度、本作を手に取ってみてください。時代が移ろっても年齢を重ねても、あなたに寄り添う1冊となってくれるはずです。