「容赦はないが愛はある」とは一体どういうことなのか? 話題の作家・阿部暁子さんが、作品が大好きという森絵都さん最新刊『獣の夜』について綴ります
私は森絵都さんほど、やさしい物語を書く人はいないと思っている。ただ、そのやさしさは、甘さや手加減とは無縁のものだ。
本作には7編の短編が収録されている。「雨の中で踊る」は、コロナ禍のさなかにリフレッシュ休暇を取らされた男性が「フットマッサージでも行ってきたら」と妻に送り出される(追い出される)ところから始まり、海パンと海と“セッション”によってこんな場所まで到達するのかと物語の怒涛の広がりに圧倒される。「Dahlia」はわずか5ページのディストピア小説、そこに凝縮された世界と人間の生きざまがすごい。特上肉の中心だけ1センチ角に切り取ったような珠玉の掌編だ。「太陽」はファンなら「あ、森さんだ」と感じるに違いない、あたたかさにあふれた作品。個人的に一番心に残った1作でもある。『カザアナ』をお読みの人は、あっと嬉しくなるはず。「獣の夜」は肉が食べたくなる。じゅうじゅう焼いた肉を噛みちぎって食べたくなる。「スワン」は『ラン』読者にはとても嬉しい番外編。とにかくハタくんと小枝ちゃんのカップルは可愛い。共白髪までとびきり幸せに暮らしてほしい。「ポコ」は3ページの中に悲しみと勇気が詰まっている、とても愛しい掌編だ。最後の「あした天気に」は、短編集を締めくくるにふさわしい名作。しゃべるてるてる坊主と、人生ぱっとしない青年のやり取りがおかしみにあふれていてすごく楽しい。青春のかがやきに甘酸っぱい気持ちになり、人生の後悔と悲哀に胸が詰まり、最後は雨上がりの晴れた空を見たように澄んだ気持ちになる。そして「テルテル」と「はればれ」がしばらく頭から離れない。
収録されているすべての作品が私は大好きだ。けれど、もっとも語りたいのが「獣の夜」だ。
物語は、主人公の紗弓が元彼から彼の妻をサプライズ誕生日パーティー会場につれていってくれ、と頼まれるところから始まる。この時点で騒乱の予感がするのだが、物語は予感をはるかに超えた展開をくり返していく。乱暴に要約すると、これは肉を食らう女2人の話だ。
食欲、情欲、嫉妬、傷つけてやりたいという悪意。肉を焼いた時に立ちのぼる脂臭さにも似たものが、この中編には詰め込まれている。でも人間はそういうものだ。どんな純愛物語にも感動的ストーリーにも打ち消すことのできない生々しいものを、私たちは宿命的に抱えている。それを森さんは「ネイチャー」と表し、きっとこの台詞が物語の心臓部だと思うのだが、主人公の親友美也が肉を焼く煙の漂う中でこう言うのだ。
「人はそれぞれのネイチャーのままに生きればいいし、どっちみち、それしかできないんだって」
私も私のネイチャーを持っている。しょっちゅうそれに振り回されては自己嫌悪に陥ることをくり返してきた人間なので、この一文を読んだ時、とても救われた。
肉を食らう女2人が迎えるラストが、私はとても好きだ。褒められたものではないのかもしれないが、人間、とりわけ女が持つ、柔軟な野性のパワーを見せつけられて、なんともスカッとする。
森さんは惚れ惚れするほど多彩な作品を書かれる人だ。しかし「人はどこまでも独りだし、生きることは少なからぬ痛みを負う」という感覚は、一貫して根底に流れていると感じる。それを証明するように森さんは作品世界において容赦をしない。「ポコ」では小4の少年に、病に冒された愛犬が死にゆく壮絶な姿を見つめさせる。私が森さんに出会った作品である『つきのふね』(1998)では、すれ違い、傷つけ合う少年少女、生きることに痛めつけられる青年の姿が克明に描かれる。あまりに巧みな筆致は時に読んでいて苦しくなる。けれど、思えばそれが現実なのだ。不公平で、弱い立場の者が痛めつけられ、どうしても孤独から逃れられない場所で、私たちは毎日サバイバルしている。
それでも森作品は悲しみと絶望だけでは幕を閉じず、いつも最後に美しい光を見せてくれる。その光は決して都合のいいものではなく、ささやかで、シビアな世界に生きる私たちにも手が届くかもしれないと思わせてくれる。カラーも切り口も違う作品たちが共通してそんな光を読者の胸に残すのは、森絵都という書き手が、愛しているからなのだと私は勝手に思っている。人間を、人生を、まるで違うネイチャーのもとに生きるあらゆる生命たちがしのぎを削りながら、肩を寄せながら、一緒に暮らしているこの世界を。
容赦ないが愛はあるから、森さんの紡ぐ物語はやさしい。どんなあなたでもいいし、どんなことが起きても何とかなるさ。そう言ってくれるように、やさしいのだ。
■書籍データ
タイトル:獣の夜
著者:森絵都
発売日:2023年7月7日(金)
発売元:朝日新聞出版
定価:1760円(本体1600円+税10%)
判型・製本:単行本 四六判上製