「生きている」重みと「生きてきた」凄み/塩田武士著『存在のすべてを』池上冬樹氏による書評を特別公開!
塩田武士といえば、グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』(2016年)だろう。迷宮入りした事件を、脅迫状のテープに使われた少年の声の主を主人公にして、犯罪に巻き込まれた家族と、未解決事件を追及する新聞記者の活躍を描いて、厚みのある社会派サスペンスに仕立てた。週刊文春ミステリーベスト10で第1位に輝き、第7回山田風太郎賞を受賞したのも当然だった。
『罪の声』から6年、新作『存在のすべてを』は、『罪の声』を超える塩田武士の代表作で、いちだんと成熟して読み応えがある。物語はまずある誘拐事件から始まる。
1991年12月11日、厚木市内の輸入家具販売会社経営の立花博之方から110番通報があった。息子の敦之が誘拐された、犯人から明日の朝までに2千万用意しろといわれたというのだ。ただちに神奈川県警は身代金目的誘拐事件と断定し、さまざまな部署を動員しての捜査本部をもうける。その数、279名。だが、誘拐事件の進行に警察は若干の懸念を抱いた。立花の経済状況はよくなくて、かき集めても5百万しか用意できなかった。翌日、犯人から動きの指示があったものの、身代金の有無も、目的地への到着時間という要となる情報も抜け落ちていた。
同日午後2時に、横浜市中区の住宅から110番が入った。4歳の孫が誘拐され、身代金を要求されたという。前代未聞の二児同時誘拐事件の出来だった。被害男児は内藤亮で、祖父の木島茂は健康食品会社をおこしていまや年商1千億円で、身代金は1億円。担当の刑事たちは、立花敦之君の誘拐事件が囮で、内藤亮君の誘拐事件こそが本命と見たが、人員を移動させるわけにもいかなかった。
まず、この誘拐事件の顛末をかたる序章「誘拐」がスリリングだ。展開が早く、意外性もあり、どうなるのか惹きつけられてしまうのだ。読者の興趣を奪うので曖昧に書くが、4歳の亮は3年後、木島家のインターホンを鳴らして無事に保護される。そして物語は、30年後の2021年に移り、内藤亮君事件を担当した元刑事の葬式の場面から第一章「暴露」が始まる。亡くなった刑事と生前親しく付き合っていた新聞記者の門田の視点になり、誘拐事件の被害者男児・内藤亮が、いまや新進気鋭の画家・如月脩であることが知らされる。事件最大の謎である「空白の3年」については固く口を閉ざしていたことも。
こうして物語は門田、内藤亮を少年時代から知る土屋里穂、亮と関わるようになる写実画家夫妻などの視点から、3年間に何があったのか、どのように人生を送ったのかが、くわしく描かれていく。
一言でいうなら、心揺さぶられる小説である。とくに終章前の第九章「空白」がたまらない。家族ドラマが切なくて、何度も落涙してしまうほど。単に泣かせる切なさではなく、「家族として育っていく」ことの尊さを、胸に染み通るように静かに捉えてあるからやるせないのだ。
小説の中で、文学作品は「解決を目的に書かれているのではない」という松本清張の言葉が引用されているが、まさにそうだろう。門田の視点から精力的な事件追及があり核心も明らかになるけれど、事件解決が目的のエンターテインメントではない。それは『罪の声』と比較するとわかる。『罪の声』は事件を前景において物語っていたけれど、本書では後景において、その事件に巻き込まれた人々の消息を丹念に追い続けている。三人称多視点で、事件は前後して登場人物も多いので、一見するとわかりづらいところもあるけれど、読んでいけば次第に靄が晴れてきて、人物の配置がすっきりと鮮やかに見えてくるし、その心理も的確に映し出されて、各場面であえかな抒情も醸し出されてくる(とくに亮と里穂がひめやかに育んだ思いがひときわ美しくて心が震える)。
さらに本書で特徴的なのは、絵画制作における問題を追求していて、ミステリのみならず優れた芸術家小説にもなっている点だろう。たとえば、水を描くなら、水を描こうとするなという。「実際に目にしているものを丁寧に拾っていく。透けて見える石とか太陽の光とか水面の揺らぎとか。そういうものを一つずつ描いていくと、いつの間にか水があるように見える」のである。「大事なのは存在」であり、その震えをつかみとれということなのだが、これは本書の主題の一つでもある。
いかにもミステリ的な『罪の声』というタイトルと比べると、『存在のすべてを』はエンタメとしては硬い響きがあるけれど、読めば納得するだろう。事件関係者の存在のすべてを描ききっているからだ。「『生きている』という重み、そして『生きてきた』という凄み」がひしひしと伝わってくる傑作である。