第8回 林芙美子文学賞 受賞作が決定!
受賞の言葉
長い間、周りから理解されず苦しんだ。孤立するたびに「私はあなたたちとは違う」と思える何かが欲しかった。
初めて書き上げた小説を手にした時、自分で自分を特別な存在だと認めた。
私にはこの物語がある。そう思うだけで、勇気が湧いた。
今回、多感な時期を過ごした九州の文学賞で、選考委員の先生方に自分の小説を読んでもらえたことが何よりとても嬉しく、また評価されたことも嬉しいです。
どうもありがとうございました。
受賞者プロフィール
小泉綾子(こいずみ・あやこ)1985年東京都生まれ。東京都在住。
■佳作「あの子なら死んだよ」(作品冒頭)
大好きなZARA。店に並ぶ服の全アイテムを触って歩く。今日こそが人生の本番ですって感じ、メイクもネイルも気合いの入った美人店員たちが、山のような洋服を両手にかかえながら客の隙間を縫って、走り回ってる。指先を流れるシャツの感触は、波打ち際で流れる砂。何も欲しくないと思ってたのに店に一歩足を踏み入れれば、ハンガーにかかった服ぜんぶが今すぐ茉里奈のものになればいいのに、でも無理ならせめて一着だけ、何でもいいからとりあえずゲットしたくなるねって、振り返ると然くん、スマホでずっと荒野行動やってるし。
然くん、色白でメイクもしてて、結構フェミニンな感じだけど、意外と性欲半端ないから。うちらさっき二回もヤりましたし。然くん、パパは昔ビジュアル系バンドで、平成生まれは誰も知らない「ユーロファシズム」のベーシスト。バンドは実質五年で解散したらしい。然くんはパパのこと超恨んでて、あんなやつ、恥ずかしいから一秒でも早く死ねばいいって常に言ってる。浮気が原因で離婚して、慰謝料も養育費も全然払わないし、連絡すら一度も来ないらしい。然パパはファンとの結婚離婚を繰り返して、今は独身。地元鹿児島に戻って、音楽の専門学校の講師兼バンド活動を続けてるみたい。名前を検索したら、インスタ発見して速攻フォローしといた。ラメが入ったどくろマークの黒いニットがお気に入りらしく、週に何回打ち上げしてんねん、ってつっこまずにはいられないくらい、いつも居酒屋の写真をアップしてる。食べ終えた汚い皿と赤ら顔の田舎のおっさんたちは、時々目ェバキバキで、この写真って一体どんな層に需要あるのかなって素朴な疑問。マメにインスタ更新する労力を未来ある然くんに使わないのが、まさにバカな大人って感じがするよね。
二度目の結婚で生まれた女の子が鹿児島のご当地アイドルの研修生になったらしく、茉里奈はその子、田原聖菜ちゃんのことを結構チェックしてる。プロフィールには「鹿児島で天下取ります!」って書いてあって、それはいいんだけどさ、まず鹿児島ってどこにあんの? って然くんと笑った。
「腹違いってどんな感じ? 抱ける?」
然くんに写真を見せて聞いたら、抱けるわけねーじゃんこんなブス、見せてくんなってキレてた。ブスかブスじゃないかって言ったら確かに微妙なラインだけど、素材を生かして頑張ってる方だと思うよ。茉里奈は一人っ子だから、腹違いでもいいから妹か弟が欲しかった。血の繋がりってとても神秘的だし、それに臓器提供者になってくれる人は、一人でも多いほうがいい。
それに比べて、うちの親なんてただの凡人だから恥ずかしい。ママは友達と一緒にネットで韓国化粧品を売る会社をやってて、小学校四年の時、めちゃくちゃ酔っぱらって帰ってきたママが、茉里奈の肩をつかんで自分に引き寄せて、「一度しか言わないからよく聞きな。ママはね、パパの何倍も稼いでるんだから。だから私が不倫しようが家事を放棄して海外で豪遊しようが、パパは文句言える立場にないんだからね」って唸るような声で言ってきたのを覚えてる。それからママは気合を入れる時の戦闘曲、「GET WILD」を大音量でかけると、吸血鬼のような恐怖の笑い声を立て、パパが子供のころからコレクションしていたゴジラのフィギュアを、スリッパの上から全部ごりごりと踏み潰した。立ちすくむ茉里奈の耳に、バラバラになったパーツを豆まきみたいに玄関から投げ捨てる音と、勝利の雄たけびが聞こえた。
パパは朝まで自分の部屋から出てこなかったけど、出かける前に二階で大きな壁ドンの音がして、ああきっと、今キレてるんだなって察した。わかる、だってゴジラはパパの子供のころからの宝物だもんね。家族なのに、家族に対してこんなひどいことをしてもいいんだ? 大切なもの、家に置いておけなかったらどこに置けばいいの? 家の中は安全じゃないの? って話だよね。わかるよパパ。ママを殺さなかったパパは偉いよ。
然くんは親超えっていうのかな、ユーロファシズムのMASOCCER(然パパの芸名ね)には負けたくないらしく、中学生のころからバンド活動超がんばってる。
然くんは美しくて尊い。三白眼のドールみたい。特別な遺伝子によって作られた圧倒的な美であり、パーツは奇跡の集合体。でも背は高いほうだし、腕とかお腹とか触るとちゃんと男の子の筋肉してる。それから実はガッツリ肉食系。あ、これはさっきも言ったか。
茉里奈は然くんのバンドの音楽には興味ないから、ライブに行ったことない。然くん以外の他のメンバーのことも知らない。今が茉里奈の人生全盛期なんで、余計なことに時間は使えないっしょ、……って、茉里奈のおきもちなんか誰も聞いてないよね。
で、そんなうちらが今なぜZARAにいるかと言いますと、然くんが浮気したから。それで茉里奈が、自殺しようとしたから。でもまあ他にもごちゃごちゃといろいろありまして、その全部の罪滅ぼしとして、ワンピースを買ってくれるってことになった。「死ぬなよ」的なことは言ってくれなかったと記憶しておる。「ごめん」も、もちろんない、でもワンピースをゲットできて、嬉しいかな。
マイメン然くん、さっきからまじでスマホばっかり見てるから、総緑のスパンコールのうろこでできたパーティードレスの長袖を首に巻き付けて「ぐえっ」って言ってみた。そしたら然くん、顔上げてすげえいやーな顔して「あのさあ、まじ、そういうの冗談でもさあ」って言った。
自殺未遂、したことあります? 全部がいやになった瞬間、人生のウザさがマックスになった時に勢いで終わらせちゃう感じ。温泉、エステ、イメチェン、セックス、もしくは自殺みたいな。煩わしさからの解放、さっぱりしたい時にやりたいやつ。死んだら悩みも消えるし、大切なものを奪われる恐怖や不安からも、やっと解放される。
「死ねなかった。でも次はちゃんとできそう」ってツイートしたら、その発言に対して怒ってくるやつとかがいた。「死なないで、命を大切にしてください」とか「あなたはそのままで最高です、生まれてくれてありがとう」とか。まじで「は?」じゃない? 口から出まかせ言って、ヒーロー気取りすか。そんな薄っぺらい言葉で人助けできると思ってるお前のほうが、命を軽く見すぎでは? てかさ、一人一個の命なのね、みんなどうせいつかは死ななきゃいけないのね。だから他人の持ち物にあれこれ口出しすんな、好きにさせろや。「全人類いつか死ぬ」っていう現実を、まずはお前から受け入れろよ。てかさ、生きたよ? ほら、今だってこうやって生きてるよウェーイ。で? で? 茉里奈が生きたら、死ななかったら、あんたたち一体何をしてくれんの?
そう言い返してやりたかったけど、どっかの知らんやつとケンカしたって時間の無駄。でも不快感はあったから、ウザいやつは全員ブロックだけはしておきます的な。
それに、これ以上長い時間を使って死について考えるのは無理だった。だっていつものあの空白の、からっぽの気分が襲ってくるから。死ぬことすらどうでもよくなるくらいの、絶望の淵にある余白。
死ぬことを考えると、変な感じになる。喜怒哀楽どの感情も適用されない、気の抜けた茫然とした魔の時間に飲み込まれて、死ぬことがまじで怖くなりそうになる。死の気配は、長く伸びた無感覚。怖くて震える。だから慌てて適当な言葉を羅列する。牛乳、猫背のパンダ、双子のジャガイモ、透明な水のゼリー。じゃあ、King Gnuのあの曲の出だしは? そうやって頭の中で言葉を丁寧に並べて、耐えるしかない。やだ、もうやだ。早く死にたい。
然くん大好き、愛してる。愛という言葉を正確に理解して使ってる人って、世界の人口の何%くらいいると思う? 多分、99・9%の人にとって愛っていうのはただの単語に過ぎなくて、たとえば大阪民にとって「愛」っていう言葉は「新喜劇」と同じ階級、もしくはそれ以下。でも違う。愛はもっと尊い。そう、言っとくけど愛っていうのは限られた人間にしか理解できない、複雑かつシンプルな意味を持った言葉だから。今の茉里奈には愛の意味がわかるけど、然くんはどうだろう。茉里奈は愛と死に怯えてる。奪われるのが怖くて、諦めれば楽になれるって薄々気づいているのに、必死にこの一度の人生のうちでどうにかしようとしている。
(作品の全文は「小説トリッパー2022年春季号」に掲載されます)
第7回受賞者 朝比奈秋『私の盲端』
第4回受賞者 小暮夕紀子『タイガー理髪店心中』
第2回受賞者 高山羽根子『オブジェクタム』
『如何様』