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朝日新聞出版から発売されている本にまつわる記事です
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#僕の心臓は右にある

チャンス大城の「想像を超えてくる実話」がすごい! 結婚・出産・離婚のすべてが知らない間に進んだ男

■結婚  ヤクザな仕事をしている僕でしたが、それでも結婚してくれるという人が現れました。名前はKちゃんと言います。  Kちゃんと出会ったのは、たしかBBゴローさんの自主ライブだったと思います。僕はゴローさんと仲がいいのですが、Kちゃんもゴローさんの芸風が好きで、ゴローさんの自主ライブをボランティアで手伝ったりしていました。  ゴローさんのライブが終わった後、みんなで飲みに行ったことがあって、そこにKちゃんも来ていたのですが、丸顔で笑顔がステキなかわいらしい女の子でした。

チャンス大城が「おまえ、ターミネーターか!」と突っ込まれながら裸でタバコ屋の隙間に隠れた後に、警察に護衛されながら帰還した笑撃の実話

 地下芸人暮らしは楽しいこと面白いことの連続のように思っている人も多いかもしれません。たしかに何の責任もない気楽な生活ですが、食っていくのは厳しいです。  いつか売れるという保証もなく、マネジメントしてくれる事務所もない。そういう不安や不満を紛らわすために、どうしてもお酒の量がふえてしまっていました。  家を追い出された僕がしばらく居候させてもらっていた俳優の中井良ちゃんも、酒を飲むと妙なことをやりたがる癖がありました。  居候を卒業して、再びアパートで独り暮らしを始め

14歳のチャンス大城が“いじめられっ子”から抜け出すために出演したダウンタウンの番組「4時ですよ~だ」での優勝と、松本人志からの「痛いツッコミ」

 中2でTという不良が転校してきてからは、毎日いじめが続きました。僕は他の不良からもいじめを受けていたので、毎日が辛いことに変わりはありませんでした。  このままじゃ、あかんなぁ。  心の中ではこう思うのですが、なにしろ気が弱いので、いじめをはねのけることができないのです。僕はある日、中学に入ってから2年間、学校の中でほとんど笑ったことがないのに気がついて愕然としました。  中学生って、人生の中で一番悪い部分が出る時期じゃないかと僕は思います。まわりじゅうがみんなイキり

チャンス大城が10年ぶりに再会した幼稚園リス組リーダーに感動 一流の不良と三流の不良の違いとは

 中2でTという不良が転校してきてからは、本当に辛い毎日を送ることになりました。  Tは尼崎でも不良の巣窟として名高い、N中からの転校生でした。N中は「U3兄弟」と呼ばれる有名な3人兄弟がいることでも知られていました。U3兄弟はいわば、尼崎の不良界におけるスーパースターのような存在でした。  そのN中から僕のいたJ中に転校するということは、いわば読売巨人軍から草野球のチームに入ってくるようなものです。  僕たちは、TがN中から転校してきたというだけで、Tに一目置かざるを

チャンス大城 ブラジャーのホックを作っていたおとんとサイトウと神父さんへの懺悔

 僕の実家のこともお話ししたいと思います。  僕の家は、2階建てのまあまあ普通の家でした。1階に台所とひと間。2階に2間と、小さな勉強部屋がひとつ。そこに、両親と姉貴と兄貴と僕の5人で暮らしていました。おとんは隣の伊丹市にある工場で働いていて、おかんは地元の老人ホームで働いていました。  おとんはいつも寝不足の久米宏みたいな顔をしていて、工場でブラジャーのホックを作っていました。おとんの工場はわりと大きくて他のものも作っていたようですが、おとんの部署はブラジャーのホックを

“心臓が右にある”チャンス大城 37億分1の奇跡を起こすも、なぜか警察に捕まる

僕の一日は、床から始まります。  玄米を炊飯器で炊いて、みそ汁にサバ缶と刻みネギを入れて、オリーブオイルで炒めた野菜を一品、しらすと納豆とバナナ・ヨーグルト。  むちゃくちゃ健康的でしょう。  いろいろあって、お酒をやめて、健康的な生活に切り替えたんです。  これをみんな床の上に並べて、床に座って食べる。武田鉄矢さんのラジオ、「今朝の三枚おろし」を聴きながら食べるんです。  一応、隣の部屋にテーブルはあるんですが、床に座って食べた方が落ちつくんです。「明石家サンタの

チャンス大城が圧倒された、明石家さんまの鋭い反射神経と人間的な優しさ

 お酒をやめ、勝手にコンビニのトイレ掃除や、道の吸い殻拾いを始めてからしばらくたったとき、スピードワゴンの小沢君から電話がかかってきました。 「いま、六本木でカラオケやってるんだけど来ない?」 「えっ、行ってもええの?」  小沢君に教えてもらった住所に向かうと、そこはカラオケ店といっても、尼崎で友達と通っていたような店とはまったく違う、超高級店でした。  フロントに行くと黒服のお兄さんが、個室まで案内をしてくれました。個室のドアを開けると、中には10人ほどの男女がいてす

【驚きの実話】チャンス大城が恋した真夜中3時にハイライトを買いに来る「美しい人」の正体

 尼崎から東京に出るとき、東京に住んでいた唯一の知り合いは、NSC13期の同期生だった俳優の三浦誠己君でした。実を言えば、三浦君が東中野に住んでいたから、僕も東中野にアパートを借りることにしたのです。そして、三浦君の紹介で東中野のセブン・イレブンでアルバイトを始めたのでした。  なにしろ事務所も決まっていないし、完璧に無名でしたから、芸人としての仕事が入るはずもありません。とりあえずはバイトをして、当座の生活費を稼ぐしかありません。  コンビニでバイトを始めてしばらくたっ

「山に埋められたことがある…」チャンス大城がテレビで何度も明かした驚愕の実話の全容公開!

 定時制高校時代のことで、どうしても語っておかなくてはならないことがあります。それは本当にえげつない事件でしたが、尼崎という町のリアルな一面を象徴する話でもあるのです。  あれは、高校3年のことでした。  事件の発端は、ブラジャーのホックの外し方を僕のおとんから一緒に教わったサイトウが、力仕事のバイトを一緒にしていたMという同級生を、僕とワダの前に連れてきたことにありました。  M自身はそんなに怖いやつではありませんでしたが、Mのバックにいたグループがとてつもなく怖い人

チャンス大城が定時制高校時代に体験した、熱血教師によるとてつもない「夜のプール授業」

 定時制高校には、定時制専門の先生がいます。  僕らのクラスの担任はタキ先生といって、4年間変わりませんでした。タキ先生は当時50代の半ばぐらい。元水泳選手の熱血教師でした。  定時制の先生には、どうしても勉強したいという生徒になんとか教育を授けてあげたいという熱い思いを持った人が多かったのですが、50歳を超えているコダマさんを除けば、僕のクラスにはそういう生徒はほとんどいませんでした。だから、「なんだこのクラスは。勉強したくて来てるんじゃないのか!」と怒る先生が何人もい

中学生だったチャンス大城が千原兄弟の家で驚愕させられた本と、せいじにかけられた言葉

 僕は、14歳の時に大阪NSC(吉本総合芸能学院)に入学しました。僕が入った8期には千原兄弟さんやFUJIWARAさん、なだぎ武さん、バッファロー吾郎さんたちがいました。  NSCの授業は、基本、自分が考えてきたネタを講師の前で披露することです。ネタをやりたい人は、教室の黒板に順番に名前を書いていくのですが、最初の方に名前を書くのは、面白い面白くないにかかわらず、真面目な人、熱心な人と相場が決まっていました。  8期の同期生の中で鮮明に記憶に残っているのは、なんといっても