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広島旅行記3
文:藤本勇気
投稿が遅くなりましたが、広島旅行記3日目を振り返らせてください!
3日目は、この旅行の目的でもある「原爆ドーム」「広島平和記念資料館」とその周辺を巡りました。
20歳の間に、もっというのであれば平成が終わる前(これは後付けですね)に、自分の目で原爆ドームを見てみたかったんです。
旅行1日目の夜、尾道から広島駅まで戻りホテルへ向かう途中、遠くのほうでライトアップされた原爆ドームを見つけました。
友達と二人、数秒、ただそこに立ち尽くしてしまいました。
心がザワザワと、不安が広がるように動くのを感じました。
そして『明日の夜、宮島から帰ってきたら、その足で原爆ドームに寄ろう』と決めました。3日目に巡るつもりだった原爆ドームですが、夜の様子も見ておこうということになったのです。
2日目、予定通り宮島観光の後、原爆ドームへ向かいました。
↑夜の原爆ドーム。チラホラと写真を撮る人がいた。
これが正しい表現だとは思わないのですが、なんというか、『「レプリカ」なんじゃないだろうか』、そう思ってしまうくらい、そこにあるのが不自然な建物でした。
「信じられない」目の前にあるのは、戦争が、原爆が引き起こした一つの事実なのに、何故こんな感情になるんだろうなと思います。
これが、一瞬のうちに?
建物をこんな風に変える熱線が、数え切れないほどの人に降り注いだ?
街を襲った?
それを同じ人間が行った?
早くこの場を立ち去りたいような、目の前の建物に目が張り付いてその場から動けないような、不思議な感覚でした。
3日目は、広島平和記念資料館へまず向かいました。
現在、広島平和記念資料館(本館)はリニューアル工事中で、リニューアル工事が終了した東館のみの公開となっていました。
ちなみに皆さん。広島平和記念資料館(本館)のリニューアルに伴って、撤去が決まっている展示があるのをご存知でしょうか?
「原爆再現人形」その名の通り、当時の被爆者の姿を再現した人形で、訪れた人たちに強いインパクトを与えてきましたが、広島市の「実際の資料(写真や衣服など)に重点を置く」という方針のもと、これらの創作性の高い人形は撤去されることになっています。
(何を言わんとしているかというと、今回訪れた東館はこのような方針に沿って新しくリニューアルされているってことです)
実際に、管内の写真をいくつか撮ったので見てください。(個人の利用なら撮影オーケーでした)
↑本館はリニューアル工事中。東館だけでもしっかり見ようと思うと3時間かかった。本館含めたらきっと一日必要だろうな。
↑個人映像ブースでは被爆者の方々のインタビューを字幕付きで鑑賞することができる。被爆時の年齢や被爆した場所などの情報も載っている。
↑「失われた人々の暮らし」奥の部屋には左の壁一面に被爆2〜3ヶ月後の広島のパノラマ写真が。真ん中にはCGアニメーションを使った原爆の威力を表す展示。全体的にシンプルな印象を受けた。
↑「核兵器の危険性」の展示場(の一部)全体の写真がなく分かりづらいが、核兵器についての説明が模型や映像によって詳しくなされている。全体の雰囲気は黒色で統一され、これまたシンプルな印象。
↑「広島の歩み」の展示場(の一部)復興や平和な世界を作るというテーマの展示物が多いからか、全体的に白く明るい印象を受けた。
東館の常設展示は以上で、そのほかにも企画展示や新設展示が一階や地下にあるといった内容になっていました。
繰り返しになりますが、今回私は本館がリニューアル工事中ということで、東館しか行けていないわけですし、何とも言えない部分が多いのですが、良くも悪くも、「資料館」という雰囲気が強いなと思いました。
写真でもわかるように、とてもシンプルな内装です。ちょっとシンプル過ぎやしない?と思うくらいに。
実は、広島の資料館を訪れたのは今回が初めてでしたが、親戚が長崎に住んでいたので、長崎のほうの原爆資料館には、行ったことがあります。
私にとって初めて原爆の恐ろしさを肌で感じた瞬間でした。
「一刻も早くここから立ち去りたい。」そう思いました。
あの時わたしは何がそんなに怖かったのか。もちろん、生々しい写真や黒焦げだったりグニャグニャになった展示物も怖かったのですが、私が肌で感じた恐ろしさは、なんというか、あの資料館そのものなんです。
薄暗い照明に、再現されたボロボロの浦上天主堂の壁、鳴り響いてる時計の音。
資料館という空間自体が、外の世界とは異なる、当時を「演出(再現)」していて、そのことが私にとっては強烈だったというか。
もちろん、今回訪れた東館のような展示の方法が、原爆の恐ろしさや被爆された方々の苦しみが伝わりにくいと言っているわけではありません。
ただ、私たちが資料館を訪れたほんの数時間の間にも、沢山の外国人の方や小学生の団体さんが来場されているのを見かけました。
んんん〜。どうなんでしょうか。ちょっとあのシンプルな展示は、小学生は飽きて(すみません沢山考えたのですが適切な言葉が浮かびませんでした)しまうんじゃないでしょうか?いや、でも、ちゃんと先生が説明していけば問題ないのかな?
そもそも、こんな印象を抱いたのは、場所は違えど私にとって二度目の原爆資料館だったからなのかもしれないですよね。最初のインパクトには何も勝てないというか。私が少し年をとったというのもあるだろうし。うーん。
(まとまらないので次の話へ)
私はずっと『「原爆ドーム」や「資料館」は逃げない』と心のどこかで思っていたのですが、やっぱりそれは違いますね。
あったとしても、表現の方法も、存在の仕方も、当たり前ですが、時代とともに変わっていきます。
ちゃんと、見届けて、足りないところは自分で補って、次に伝えていく努力を続けて行かなきゃと平凡な頭で考えました。
資料館を後にした私たちは、旅の締めにもう一度、原爆ドームを訪れました。
夜見た時(初めて見た時よりも、と言うべきでしょうか?)よりも細部まで見ることができました。
↑思ったよりもレンガは赤く、コンクリートは黒みがかっていた。
資料館を回った3時間の間も、原爆ドームを見ていた数十分の間も、私たちはほとんど会話を交わしませんでした。感想という感想も言いあわなかったなあ。
彼女は何を思ったのかなあ。
ここまで書くのに、3日かかってしまいました。まだまだ書き足りないことだらけですが、ちょっともう書けそうにないなあって感じです。文章力の限界…。
兎にも角にも、とてもいい旅でした。
グダグダな終わりですみません。
それでは。