茹だるような夏を口に含んで
トイレに篭って文章を打ち込む。加速する夏。正午、昼にぶら下がって茹だる。終末があるなら今がいいなんて思う。うーうーうーうー。イヤホンから『水星』が流れる。行き違いの浮遊感、想像力の限界、運命の不存在証明、プラトンはディスコードに揺蕩っている。僕はあくびの延長で深呼吸をする。二度、吸う。再三、吐く。夏が、肺を満たして口まで溢れる。息を止める。夏を口に含む。鼻から溢れる。視界には逃げ水が、僕はそれを追いかけて中学の時のスピード感で秒針を滑る。想像を止める、文字が止まる、指を止める、トイレのノブを引く。僕の夏がトイレの底に沈んで、渦巻きになって下水道へと流されるような感覚で詩を書き終える。夏、茹だるような個室の中、僕はここから無呼吸シンドローム。めくるめく音楽に狂いそうになりながら。
ラブリーサマーちゃんを見つけたので今年の夏はいつもより夏っぽくなりそうだと思う。今、『魚の目のシンパシー』が流れている。イントロが堪らなく好きだと思う。ギターソロの「ばかやろう!」も丸ごと。僕は可愛い女の子の歌う可愛い歌詞が好きなんだ。本当にただ単純に。そこには真実しかない。可愛いってそれだけなんだ。それだけで救済になるし、対処療法になるし、圧迫骨折になる。背景が夏で霞んでいたなら、それは美しさになる。僕らの記憶には絶対的美少女がいて、現実的微少女がいる。前者に夢みる僕らは後者の実存に縋っていないか?縋っていない?いや縋っている。それが究極の可愛さを持ち合わせた少女だってことに薄々気づいているのなら確信的だ。河川敷でたんぽぽを摘んで掌を真心で浸している絶対的美少女より、シロツメクサを摘んでもなかなか花冠を作れずにいる現実的微少女の方が可愛いだろ。額には汗が滲んでいる。病的なほど白い手を真上にある太陽が照らす。鋭く反射する。僕は彼女の横で三つ葉のクローバーしか見つけられないでいる。彼女は僕の鈍臭いところを少しだけ笑っている。僕も彼女の覚束ない手元を見て少しだけ笑う。そういう、何も完璧じゃないけど確かに完璧な少女がいる。僕はラブリーサマーちゃんを聴いて、そういう女の子のことを考えた。天使でも悪魔でもなくて、ましてや神様なんかでもなく女の子という特権を無自覚に振り翳してしまう、臆病でわがままで、少しだけ強がりな可愛い女の子のことを。
もうすぐアルバムが終わる。僕は詩を書けただろうか。曲を聴きながら文字を打っていると、詩を書けたような気がする。トリップ状態で見る夢の中で、僕は見たこともない仰々しい翼が背中から生えている。そんな詩が書きたかった。アルバムが終わる。細波が聴こえる。翼は折れる?最後まで可愛いを貫いたアルバムが終わる。夢から醒める。肩甲骨には真っ白いガーゼが養生テープで雑に貼られている。翼はあったのだろうか。アルバムが終わった。エアコンの音がする。そういやまだ夏だった。呼吸をする。茹だるような夏を口に含んで。