憲法9条、変える?変えない?その議論いる?
つい10日ほど前は憲法記念日で、憲法改正の議論がSNS上で盛り上がっていた。
ただしその”議論”を見ていると、皆それぞれの前提知識がすれ違っているようで、あまり意見同士が噛み合っておらず、充実した議論と呼べるようなものは少なかったと思う。
もっとも、筆者がSNSで見たその議論というのは憲法9条に関するものが大半であった。しかし筆者は、どちらかといえば財政規律条項や抽象的審査制の導入、95条改正などが話題になってほしいと願っている。
筆者には憲法9条について、改正するメリットもデメリットも、いまいちピンと来ないからである。
なぜか。これにはまず、憲法9条の成り立ちについて触れるべきだと思う。簡単に、憲法9条の原案からの変遷を辿っていく。(都合により一部読点を追加)
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①マッカーサー三原則・第二原則の現代語訳:
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
②GHQ原案・第二章戦争ノ廃棄・第八条:
国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス。陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ。
③日本政府起草の3月5日案・第二章戦争ノ抛棄・第九条:
国家ノ主権ニ於テ行フ戦争及武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄ス。陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サス。国ノ交戦権ハ之ヲ認メス。
④憲法改正草案(政府修正案)・第二章戦争の抛棄・第九条:
国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
第二項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。
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これが、枢密院で可決され、芦田修正が施される前の憲法9条草案の変遷である。1946年の2月~5月に作られたものだ。初めのマッカーサー三原則のものは、かなり具体的かつ厳しい言葉で日本の無力化を謳っている。ただ、その後の段階で、自衛権の存在・行使を明文で否定する文言はなくなっている。全ての国は自国を守る固有の権利を有する、との国際慣習法の考え方が埋め込まれていく過程である。
また、憲法9条の成り立ちでもう一つの大きな山が、衆議院での芦田修正である。芦田修正とは第90回帝国議会の衆議院帝国憲法改正小委員会で、第9条に加えられた修正のことである。以下、この小委員会での芦田修正での変遷を辿る。
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⑤芦田試案1・第二章戦争の抛棄・第九条:日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
第二項 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。
⑥芦田試案2・第二章戦争の抛棄・第九条:日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力は、これを保持せず。国の交戦権は、これを否認することを宣言する。
第二項 前掲の目的を達する為め、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
⑦日本国憲法・第二章戦争の放棄・第九条:
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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以上のような変遷で、現在の憲法9条が成立してきた。ここで気づくことと言えば、マッカーサー原案の時と比べて、完成形の文言には「正義と秩序」「国際平和」など観念的なものが入っていることである。また、「さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。」の箇所は一字一句残っていない。
芦田均の言うところの「戦争抛棄、 軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、 専ラ人類ノ和協、 世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明カニセントシタ」という建前によって、自衛のための戦力保持の可能性は残してきたのだ。
この修正が戦力保持の可能性につながると見たGHQは、9条とは別に66条2項で文民条項を挿入するよう日本政府に指示したほどである。
そしてもう一つ、憲法9条を読む上で欠かせないものがある。9条と似た文言の条約が、既に存在していることである。パリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)と、国際連合憲章である。以下、関係する部分を抜粋する。
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パリ不戦条約(現代語訳)第一条:
締約国は、国際紛争の解決のために戦争に頼ることを非難し、相互の関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、各自の国民の名において、厳粛に宣言する。
パリ不戦条約(現代語訳)第二条:
締約国は、自分たちの間に起き得る、あらゆる論争や紛争が、いかなる性質であっても、またいかなる起源によるものであっても、平和的な手段以外によっては決してその決着や解決を求めないことに同意する。
国際連合憲章(現代語訳)第二条三項:
すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
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特に、当時すでに発効していたパリ不戦条約については、芦田小委員会が参考にしたといわれている。「戦力」の定義や「国際紛争を解決する手段としては」の解釈にも学説によって論争はあるものの、いざという時には、使いやすいような学説が政治に利用されるだけである。
ここで、読者の皆様はどう思われるだろうか。パリ不戦条約や国連憲章のような、同じく戦争の放棄を謳った条約があっても、結局世界史から戦争は消えなかった。
これらの憲法、条約、憲章であってもしっかりと法の抜け道は存在し、パワーバランスによって戦争に巻き込まれる可能性はいつだってあるのだ。
ちなみにパリ不戦条約に関しては、ルーマニア、エストニア、ラトヴィア、ポーランド、トルコ、アフガニスタンなどが加盟しており、現在も有効である。そして、加盟国の過半が集団的自衛権の代表例たるNATOに参加している。書いていて、何ともやるせない。諸行無常というべきかもしれない。だがこれが現実なのである。
よって、突き詰めて考えれば、憲法9条自体には内外に戦争を抑止していくほどの力は持っていない。9条の拘束力はいざという時には案外よわい。これまで70年以上にわたって日本が平和であったのは、世界のパワーバランスと日本外交の成果、これに尽きるのであろう。
以上から筆者は憲法9条について、改正するとかしないとかの議論には、少し不毛さを感じている。
おそらく、憲法改正論議の隠れ蓑に憲法9条が使われるのではないか、そんな気さえするのである。実は、普段は目立たない財政規律条項挿入などの所に本当の論点があるのではないか。そう思えてならないのである。
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