聖なるものについての授業
今をさかのぼること、革靴にして3足前、読んだ小説にして968冊前、ビールにして1743リットル前、僕は大学生だった。
そのころ「宗教学」の講義をとっていた。ものすごく熱中していた。古今東西のあらゆる宗教や哲学を、わかりやすく解説してくれて「こんな面白くていいんですか?」という謎のテンションでのめりこんでいた。
教授は、ちょっと背の低い四十くらいの男性だった。ダボついた背広を着ていた印象がある。エレベーターで乗りあわせたときに、沈黙の後に「えっと、浅田君だよね?」と名前をおぼえられていたときは嬉しかった。
その宗教学の授業は、どこの学部生でも受けられる一般教養科目だった。ほかの生徒たちは「だれが真面目に学んでやるものか(楽に単位をもらえる授業だったよな?)」と、だだっぴろい大講義室の後ろで、iPhoneを触るか、となりの異性とキスをするか、居眠りするかしていた。
ともに授業を受けることにした友人(この時期、彼は、キャバクラ嬢として働いている恋人が、遊び人の知人に奪われかけているという事態に悶々としては、しょっちゅう校舎の中庭の看板を蹴っていた)も徐々に遅刻しはじめた。
それでも僕は、その授業がおもしろくてたまらなかった。
教室の最前列の右側で「イスラームという言葉にはすでに〝教〟の意味がふくまれているから、イスラム教という言葉はダブルミーニングになる。イスラームというべきなんだ」という教授の教えやらを阿呆のように書きつけていた。
ほとんどの生徒が教室の後ろでたむろするなか、僕のほかに、最前列で授業を受けている女学生がいた。僕が右前列だったの対して、彼女は中央の最前列だったから、きっと最優秀生徒賞は彼女のものだったと思う。
授業が終わるごとにノートを手に教壇に近づくと、教授に質問した。彼女も同様だった。ただ彼女が質問しているあいだは、僕は参加せずに、遠まきにながめているだけだったし、僕が先に質問しているときも彼女は同様だった。
授業が回を重ねるごとに、教室内の学生たちは、ある種の波にさらされる浜辺の石や砂のように、僕たち二人だけが教室の最前列、ほかのものは後方へと分離していった。本当に、大きな教室の前方にいるのは僕たち二人だけだったのだ。
もちろん当時は、そんなこと気にもとめなかった。授業がどうしようもなく面白かったから。
ただ、ふと授業中に、彼女の横顔が目に入ることがあった。小高い鼻をつんとすまして、その授業随一のまなざしで、黒板に見入っていた。そんなときは、彼女も、なにか宗教やら哲学の深遠なことについて想いをはせているのだろうかと思った。
そんなおりのこと。仏教の〝空〟という思想について講義しているときだった。それ自体はどうでもいい。なにもないがある、みたいな世界観のことだ。
教授は「この世のものは相対性によって作り上げられているから——」と〝空〟について、わかったようなわからないような解説のあとで、ふと動作をとめた。五秒後、なにかを思いついたように黒板に書きつけた。自動的に手が動いて書かされている、という雰囲気もあった。
「なにごとのおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
教授は解説した。そこに何がいるかはわからないけど、その神聖さのあまり涙がこぼれてしまったんだよ、という西行法師の歌だった。これが〝空〟や〝聖性〟の意味なのかもしれないね、というふうな感覚だった。
その800年前の詩人のことばに、僕は、なにかを感じた。
授業のあと、その歌について質問した。すると教授は「あれはね、講座の内容というわけじゃなかったんだ。解説してるうちに、ふと思いついて、ね」といった。僕はその返答をすごく気にいった。他人のなかに、美しい霊感のおりる瞬間を目にしたのだと思った。
それ以来、その歌を、何度も心のなかでつぶやくことになった。いつもの電車を出てホームから階段をおりるときであったり、酔った帰りの夜道に自販機の光をみつけたときであったり、雨の日にチェーンのコーヒーショップに入ろうと傘を閉じたときであったり。
そして今日も、懐かしい風のように、この言葉を思いだした。次の瞬間には、この感覚をどうにか言葉にできないかなと思った。
その宗教学の授業は、どういう風の吹きまわしか──あるいは必然か──前年度に比べて、異例の落第率になった。あの教授は、単位が欲しいだけの生徒を追っ払って、もっと小さな教室で授業をしたかったのかもしれない。さぞ教室の後ろにいた学生たちはおどろいたことだろう。
かくいう僕は最高のA評価をもらった。いつも僕の左側にいた、例の彼女もそうだったと思う。あの授業のことを思いだすたびに、彼女は、いつも難しそうな顔で黒板をにらんでいる。