そういうときもある
電車が目の前で行ってしまった。仕事で失敗した。身近な人と揉めた。
ヒトとして生きている以上、嫌な気持ちになったり落ち込むことは避けられない。
わたし自身、嫌なことがあると際限なく落ち込み、なかなか気持ちが切り替えられないタイプだったのだけど、最近そうなったときに心の中でよくつぶやく言葉がある。
「そういうときもある」
この言葉には仏教の「無常」という考えが根幹にある。
無常(むじょう)
仏教用語。万物が生滅変化し,常住でないことをいう。「諸行無常」と用いて,三法印の一つ。一般的には,常のないこと,定まりのないことを意味し,「無常の風」などと用いて,人生のはかないことをいう。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
無常という概念を知ったのは朔ユキ蔵作の「お慕い申し上げます」という漫画だ。この漫画は仏教のお寺が舞台で、仏教の教えや考え方が頻繁に登場する。
無常。人の気持ちや体はたえず変化し、常に一定ではいられない。「いいことがずっと続くわけではない」という意味ではあるけど、「悪いことがずっと続くわけではない」という意味でもある。
それまで嫌なことがあると、そんなわけないのに永遠につらい状況が続くのではないかという気がしていた。無常という概念を知るといくらか気持ちが楽になった。「このつらさにもいつか終わりが来るんだ」と。
私は3年ほど前からプロ野球を見るようになった。そうして驚いたのは、プロスポーツ、特にプロ野球は無常に溢れていたことだ。
防御率0点台の大投手がなんの前触れもなく大炎上する。
何年も一軍の舞台に上がれなかったベテラン投手が復活する。
ホームランを量産していたスラッガーが怪我で離脱する。
代走・守備固め中心に出ていた野手の打撃が開花する。
助っ人外国人が退団したり、電撃トレードがあったり、背番号が変わったり、たった1年の間でもガラッと状況が変わる。良くも悪くもだ。
私の推しは中継ぎ投手で、左打者にとても強くチームでも重宝されている。とはいえ、ときには四球を出したり連打を浴びて、1イニング2失点…… なんてこともある。
どんなにすごい選手でも、常にいい結果を残せるわけではない。
推しの結果がよくなかったときも、私は「そういうときもある」とつぶやく。やっぱり推しが活躍できないと凹むけど、「彼の良くない状態もずっと続くわけではない」と思うといくぶん楽になるのだ。
(もしかしたら何日も何ヶ月も、何年も調子が悪いことが続くかもしれないが、終わりはいつかやってくる)
この言葉は魔法じゃない。嫌な気持ちやモヤモヤがスパッと晴れるわけではない。それでも嫌なことがあったとき、落ち込んでしまったとき、つぶやいてみる。
「そういうときもある」と。