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不安も恐れもやり過ごす

今朝の寝起きも変な夢で目が覚めました。(といっても印象だけで詳しく内容は覚えていませんが)布団の中でドキドキしている自分がいます。もちろん、ドキドキはワクワク系ではなく何かに対する不安や恐れの表れです。このままもう一度寝るよう試みるか、それとも起き上がるか。ちょっと迷いつつ身体を起こし歯を磨き湯を沸かしました。ちょっとだけスマホを覗き、テレビで大谷の打席を見て、白湯を飲んで、何も考えないようにしてジョギングの支度をして部屋を出ました。今日は“あれやこれや考えずにとにかく行動する”ことをしてみようと思っていました。
いつもの河川敷までジョギングで5分。土手にある健康器具で15分。そして川沿いを少し歩いて帰路へ。今日は月曜日だから既に出勤途中の人が歩いていました。どうも出勤姿を見ると苦しくなります。こんなに毎日働かなければいけないのか、と思ってしまうのです。だから日曜日の朝や連休は大好きです。反感を買うかもしれないけどコロナ禍で静かになった街は好きでした。駅のショッピングセンターも19時で閉店しひっそりとしていました。あの頃、急に仕事がなくなりやはり怖かったけど、反面、他にもそういう人がたくさんいるんだと思うと、なんだかホッとする自分がいました。

話が逸れました。
ジョギングから帰宅して入浴、朝食、そして朝ドラ。
昨日はこの後また横になってしまいそのまま動けなくなってしまいました。結局、午前中は抗不安剤で仮眠をとって終わり。午後からなんとか動き始めたのでした。では、朝ドラが終わった時点で動き出して仕事を始めたらどうだっただろうか。そう考えて今日はすぐに部屋を出て今ドトールにいます。そして朝イチのnote。
鬱が再発してからnoteに書くことが増えました。やるべき仕事への助走のような意味もありますが、今の自分を言葉にしてみることも良いのではないかと思っています。実は前回の再発がいつでその時どのように乗り切ったのか、思い出せないのです。大きな再発は確か2019年か、いやコロナ禍だったか。
とにかく、過去に何度も発症しても今こうしてここに生きていられる。この事実は重いと思うのです。そう、今回も必ず乗り越えられると思うために。

今日はとにかく考えるより先に動いてみる。
不安や恐れの兆しを感じてもやり過ごす。
それで、頓服を飲まずに過ごせるだろうか。
そう過ごせますように。

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