どこにも行きたくない
今年98歳になった叔母はひとり暮らし。家族と死別したわけではなく、これまで生涯ひとり暮らしだ。だからだろうか、この年齢になってもひとりで暮らしている。ただ、この数年もの忘れがひどく、数分前のことでも忘れてしまう。いや、そもそも憶えないといった方がいいだろうか。認知症の典型的な症状なのかもしれない。昔のことは憶えているがついさっきのことはまったく憶えていないのだ。
そんな姿を見ると当然のごとく、ひとりで暮らしていることが心配になる。火の不始末など何か事故を起こすのではないか、突然体調に異変が起きひとりで苦しむのではないか──。実際、この2〜3年で鍋の空焚きを2回ほどしている。
もちろん、毎日ヘルパーさんに顔を出してもらっているが、ひとりで生きてきた叔母にとってはそれも“余計なこと”として煩わしく感じるようだ。時にはヘルパーさんを部屋に招き入れることを嫌がり、支援してくれる方たちを困らせる。ひとりで暮らせる、何も困っていない。叔母はそう言い張る。でも、最近は部屋の掃除も洗濯もやらず徐々に汚れが目立つようになっているらしい。
そんな叔母のことを、昨日、姉と雑談がてら相談した。もう限界なんじゃないか、施設に入ってもらった方がいいのではないか。そう言う僕に姉は、本人が行きたくないのであれば無理矢理行かせたくない、と。その気持ちはわかるが、まさかのことがあったら…、そんな思いも消せない。
そんな僕に姉がこんなことを打ち明けてくれた。今年の3月に突然他界した父が生きていたころ、ダイニングテーブルの上に何か走り書きのような小さな紙切れを見つけたそうだ。そこには、こう書いてあった。
どこにも行きたくない
亡くなる前の2〜3年、父は急激に自分のことが自分でできなくなり、特にトイレは家族の介助が必要だった。一方で食欲は旺盛で、すぐに腹が減ったと訴え、キッチンにある食べものをつまみ食いした。しかし嚥下機能が低下していたので2〜3回、喉に食べものを詰まらせ呼吸困難で床に崩れ落ちるということがあった。こちらからするとまったく目の離せない状態だった。父の介護を担っていたのは姉と母だが、姉が仕事に行っている昼間は母ひとりだった。夜も頻繁にトイレに行き、昼間も目が離せない。お願いや良かれと思っての指示も聞き入れてくれない。むしろ強く反発する。そんな父の介護に嫌気がさした母は父を入院させることを強く主張した。そんな母の怒りを知っていた父はデイサービスには通ったが、ショートステイはおろか施設や入院は絶対に拒んだ。
父は自宅で過ごすことが好きだった。妻(母)を愛し、家族を大切にし、一生懸命働いて家庭を守ってきた。だから自分の家が好きだったのだろう。
晩年、自分の思いや考えを言葉で表現することが難しくなっていた。時には自分の気持ちや意思を言い表せないことに苛立ちを見せることもあった。文字も書けなくなってきていた。そんな中、走り書きのように残したのが、先の1行だった。
父の最期は突然だったが、家族で看取ることができた。それもどこにも行かせなかったからかもしれない。
今日はちょっと早い小春日和のような穏やかな一日だ。
さて、叔母に会いに行こうか。