【番外編】 武者修行 前編
その男は、金に困っていた。
むかしから男はコミュニケーションが苦手であった。自室でひとり、落ち着いて会話をイメージすることはできた。しかし、人と対面すると頭が真っ白になり、支離滅裂な思考・発言をしてしまう、いわば極度のアガリ症だった。
この体質により、男は同じ職場で長くはたらくことが困難であり、接客などうまくいくはずもなく、レジに立ってからものの数十分で解雇されたこともあった。
また、会話のなかでささいな間違いを流すことができず、指摘して反感を買うことも日常茶飯事だ。怒る上司に対して、正論を主張しつづけて殴り飛ばされたこともあった。
男には責任感が人一倍強いという長所がある。
以前こんなことがあった。ある真夏日、男は配達のアルバイトで寿司を運んでいた。地図で配達先の住所を調べるのだが、いつまで経ってもたどり着かない。そうしているうちに3時間以上が経過していた。男が到着したころに寿司がどうなっていたかは想像に容易いが、それでも職務をきちんとこなして届け倒したのだ。寿司は腐っても精神は腐らない、それほどまでに男は責任感が強かった。
素晴らしい判断力を持つ彼であるが、興味のないことはまったく覚えられないという短所もあった。二度三度会うだけでは人の顔もまともに覚えられず、何度も名前を尋ねることがしょっちゅうあった。家の鍵穴と自販機の小銭口を間違え、自販機に鍵を挿してしまったことさえある。そういったことを重ね、人々は次第に男から離れていった。また、男自身も、一般社会から遠ざかっていった。
そんな男にも相談する相手がいた。名をPという。Pはいつか宗教をひらくという野望をもつ奇特な人物である。そのため、男は日常のアドバイスをどんなことでもPに求めた。その彼に対し、Pも丁寧に教えていた。
あるとき、某SNS上で住み込みの雀荘店員募集について話題が上がっていた。その店は名古屋で新規オープン予定で、月の休みは7日、報酬は10万円というフレコミであった。
Pがこの募集を目にしたとき(学生ならまだしも、こんなものをやるのは"あの男"くらいだ)と思った。そんな折、Pは男から "人生がかかった相談" を持ちかけられた。
「名古屋で麻雀の打ち子の住み込みバイトをやろうと思うんですが」
打ち子とは、雀荘における人数合わせのような存在だ。待遇はゲーム代の返還に加え、時給を設けている店もある。彼の予定している店の待遇は決して良いとは言えず、平たくいえば奴隷制度の復活であった。
「この待遇なら同じ時間だけコンビニで働いたほうが幾分マシだ。麻雀をするにしても、東京により待遇の良い雀荘がいくつもある」と、Pは答えた。
いつもPのアドバイスを素直に受け入れてきた男だったが、このときだけは珍しく反発した。
「でも、本走で四、五万は浮くだろうから、それを転売資金にすればお金を増やせます」
「住み込みで打ち子をやれば、少なくともフリー雀荘に打ちにいかなくなるのは確実です」
「それに、一日中麻雀をすれば牌に慣れるので、麻雀も強くなります」
男は都合のいい話を並べ始めた。結果的にこれらは一つも叶わなかったのだが、このとき彼の気持ちの中ではすでに名古屋行きは決定しており、背中を押してほしいだけだったのだ。Pもそれに気が付いたので、男を引きとめることを諦めた。
「僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」
Pは早く会話を終わらせたかったため、ネットで拾ったフレーズをそのままコピペして彼を満足させた。
「ありがとうございます。打ち子でも転売でも成功して、半年くらいで戻ってきます。」と、男は叶わない夢を語った。
Pは「ないな」と思った。
数日後、男は希望を持って名古屋へ旅立った。
*
男が新居に到着したころ、Pのもとにメッセージが届いた。
Pが0日ドロップアウトを期待してヒアリングを行なった結果、どうやら男と入れ替わりで別の従業員が退出する予定だったのが、手違いで滞在期間が一日重なってしまったらしい。
「はぁ・・・。こんなことでこの先うまくやっていけるのだろうか。僕は成功できそうですか?」
「成功できそうよ」
「とりあえず麻雀で勝つしかないよな・・・」
「勝つしかないわよ」
「とりあえず明日から頑張ります」
「頑張るのよ」
Pは面倒くさくなったので、そのままオウム返しであしらうことにした。
【 番外編 武者修行 強制送還編 】