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習い事をさせるのは親のエゴなのか
「本当は野球辞めたいんだ。」
あの時の、あの子の言葉が耳に残って消えない。
10歳の子がきっと初めて口にした本音。
あれから数年が経った。
どうか今はあの子が生きやすい環境、生きやすい世界になっていますように。
私は当時、小学校の先生をしていた。
4年生の担任をしていた時、クラスにどうしても気になる男の子がいた。
とにかく授業中おしゃべりが止まらない。
注意されたら「うざい」「死ね」などと暴言を吐く。
カッとなったらすぐ手が出る。
とにかく誰かにかまってほしい。
親の前ではいい子なのに、学校に来ると別人のように暴れ回る。
私は担任として、その子にかなり手を焼いていた。
一筋縄ではいかない。
少しでも拗ねたり、機嫌が悪くなると暴れ出すので授業が成り立たなくなる。
当時、私は全神経をその子に集中させていた。
他の先生に、
「4年生って難しいよね。まだまだ子どもなのに言動だけは大人びていて。ちょうど大人が傷つくようなことをえぐってくる。」
と言われた言葉がすごくしっくりきた。
本当にその通りで。
10歳の彼は、まだまだ子どもでかまってほしいという気持ちが見え見えなわりに、いつも私がちょうど傷つくことをピンポイントで言い放つ。
「先生の授業、面白くない。」
「先生のクラスつまらないから帰りたい。」
とよく言われ、その度にグサッときた。
そのわりに機嫌がいい時は、
「先生大好き!」
と言いながら抱きついてきたこともあった。
私は正直とてもその子に振り回された。
何が彼をこんなふうにさせるのだろう。
私は原因を探ってみることにした。
私はその子に「次の授業の準備するから、先生のお手伝いして!」と頼んで、2人きりになる時間を作った。
教材を運んでもらった。
不思議と私と2人になると、彼はとても素直で大人しくなった。
「毎日習い事の野球、頑張っててすごいね!」
私は褒めた。
以前から野球が好きで、練習をすごく頑張っているのを知っていた。
返事はなかった。
「…本当は俺、野球辞めたいんだ。」
ポツリとつぶやいた。
いつも教室では誰よりも力強い彼が、別人のように弱々しかった。
私は驚いた。
あんなに野球が好きということを言っていたのに。
「野球辞めたいの?辞めて何したい?」
「辞めて、本当はもっと遊びたい。学校が終わったら、普通に友達と遊びたい。」
彼の本音だった。
聞くと、土日は毎週練習か試合。
学校が終わった放課後もほぼ毎日練習。
チームの練習がない日でも、家で練習をしている。
休みはない。
そうだよね、まだ10歳だし。
まだまだ遊びたいよな。
「お母さんには野球辞めたいって言えないの?」
私は聞いてみた。
「言ったことはあるけど、辞めさせてもらえなかった。」
私は胸が痛くなった。
担任として、どうしたらいいのか分からなくなった。
本当はたくさんたくさん我慢していたんだな。
だからこそ、溜まったストレスが学校で爆発してしまう。
なんかとても納得した。
私は保護者とも話をしてみることにした。
ちょうど個人懇談があって、話す機会があった。
私は保護者の方に、学校の様子について彼のいいところを交えながら話した。
そして、野球がしんどそうなこと、もっと遊びたいと言っていたことをやんわり伝えてみた。
お母さんは言った。
「私は強い子になってほしいと思っています。辛くても、野球を通して我慢できる子になってほしいんです。」
私はその後、言葉が続かなかった。
あの時、なんて返せばよかったのか。
今でもときどき考えてしまう。
次の日の放課後、私はたまたまグラウンドの横を通りかかった。
あの子が、野球の練習をしていた。
汗だくで、真っ黒に汚れたユニフォーム。
一生懸命声を出しながらボールを追いかけていた。
私は泣きそうになった。
きっとあの小さな体には、たくさんの我慢が詰まっている。
明日はたくさん褒めてあげよう。
そう決めて、その場を後にした。
あれから6年が経ち、私は教師を辞めた。
そしてあの頃とは離れた地で、2児の母になった。
上の子は言葉が出るのが遅かった。
1歳半になっても言葉が全然出ない。
SNSを見ると、0歳の時からパパママと言葉を発している子がゴロゴロいる。
私は心配になった。
そんな時にたまたまネットで見つけた、幼児教室。
その教室は「言葉の発達を促します!」と謳っていた。
私はすぐに通わせることにした。
初めての習い事だった。
教室では、フラッシュカードや手遊び、知育遊び、色塗りなど色々行われた。
子どもは1歳半だったが、初日は真剣に先生の話を聞いてじっと椅子に座っていた。
私は安心した。
この子、やればできるじゃん。
この調子で言葉増えてくれたらいいな、と思った。
しかし見事に期待を裏切られた。
きちんと椅子に座っていたのは初日だけで、次の回からは一度もじっと座ることはなかった。
同じ月齢の子は、きちんと座って話を聞いているのに。
なんでこの子はじっとできないの。
教室内をうろうろ立ち歩き、そこらじゅうのものを1つ1つ触りに行く。
私はイライラが止まらなかった。
毎回のように教室内を立ち歩くので、追いかけながら他のお母さんたちに、すみませんすみませんと謝って回る。
私は次第に幼児教室に通うのが億劫になっていった。
ある日の教室の日、子がいつものように途中から椅子を抜け出そうとした。
その日はなんとか座らせたくて押さえつけた。
子どもは立ちたいのに押さえつけられて、ぐずった。
だけどどうしても座らせて話を聞かせたい。
子はぐずぐずが止まらない。
私はイライラがピークになった。
なんとかその時間は我慢したが、その帰り道、子どもに言った。
「大人しく座れないならもう行くのやめるよ。」
その日の夕方、公園に遊びに行った。
自由に走り回る子ども。
幼児教室の時より、何倍ものびのびとして楽しそうだった。
私は考えた。
今通っている幼児教室は誰のためだろうか。
言葉を増やしたくて通わせている教室。
だけど、言葉を増やしたいというのは誰の意思だろうか。
全部、私だ。
私が通わせたくて通わせている。
先生の話を聞いてほしい。
じっと椅子に座ってほしい。
全部、親の願い。
だけど、正直子どもは椅子に座るよりも、のびのびと走り回っている方が断然楽しそうだ。
6年前のあの男の子のことを思い出した。
「もっと遊びたいんだ」と言ったあの子。
うちの子はまだ喋れないけど、もし喋れたら「本当はもっと遊びたい」と言うんじゃないかな。
そんなことを考えた。
結局、幼児教室は辞めた。
心配しなくても2歳手前くらいから言葉が出るようになった。
3歳の今ではおしゃべりが得意なおてんばな女の子に育った。
幼児教室が意味なかったとは思わない。
だけど、椅子に座っての知育やお勉強より、うちの子にとって楽しいことは、きっと外で思いっきり遊ぶこと。
そう気付いた。
誰かが言っていた。
「心の豊かさは、子どもの頃にどれだけ楽しい経験があったかで変わる。」
なるほど、と思った。
習い事は、親のエゴなんだろうか?
…そうではない、と信じたい。
どんな親も、子のためを思って通わせているはずだから。
だけど、子どもが本当にやりたいことはなんだろうか。
子の本音はなんだろうか。
今やらせていることは本当に子どもが楽しんでやっていることだろうか。
これを常に探りながら、育児をしていきたいと思う。
いつでも、楽しいことを最優先に。