「良い声ですね」 ― ほんとのボォイスを響かせる
1.みんなの声
かのじょが働いていた障害者施設には重度の自閉症者が多かったのです。
みんなは、話すことが難しい。
「と、と、と、と、と、と」と、ある障害者がかのじょの所に来て言いました。
??
また、かれは「と、と、と、と、と、と」と言い、息が切れたのか一休みし、また「と、と、と、と、と、と」と。
かのじょはあっと思って、「トイレ?」って聞いた。
かれは、こっくりうなづいた。
ああ、そうか、トイレねってかのじょは笑いながらかれを連れて行った。
たいへんなのよぉ、ってかのじょは教えてくれました。
なにせ息継ぎしないとならないんだもの。
とつぜん、かのじょが首をかしげた。
でも、不思議ね・・どもりもしないでね、「嫌っ」とか「うるさいっ」とすっと言う時もあるわ。
いつもどもるわけじゃないの。どうしてかしら?
むむむむ・・
2.長年悩んでいたんです
お恥ずかしい話ですがと、あるレビュワーが書き込んでいました。
『講師業を仕事にしている私の悩みは、滑舌が悪いことです。
Amazonで「滑舌」で検索し、「最新」の並びにすると、この本が出てきました。
今回もダメだろうなと思いつつもその本を購入して読んでみました。
読み始めて45分後、息を呑んだんです。
・・・深い呼吸をしながら、全身で「響く声」を出す。・・・
ん?全身? そのためには、
・〇〇の力をゆるめる。
・□□を広げる。
・△△を凹ませながら声を出す。
とあります。
さらに、トレーニング方法がイラストで紹介されていて、QRコードから動画で見れますと書かれています。
そして、してみたんです。すると、いや~(照)。。
今までに聞いたこともない自分の声が出てるじゃないですか!」
「実は、滑舌を改善するためのトレーニングは、口周りだけじゃダメだったんです。
しかし、残念なことに…本に書かれていることに意識が向けられていない時は、昔のような声に戻ってしまうんです。
でも、このような時は、この本にも書かれているように「今、ココ」に意識を向けて対応できそうです。
つまり、「今の自分の状態」に意識を向ける。
今度こそは、滑舌を克服できそうなので、これを習慣するために、ふせんに書いて机に貼っています』
この本は、村松 由美子という方が書いた『声の磨き方』という本です。
声が小さい、こもる、低い、早口、滑舌が悪い…
実は、声は何歳からでも劇的に変えられるというのです。
「姿勢を変える。呼吸の仕方を変える。たったそれだけのことで、あなたの本当の声を出せるようになります」と言う。
で、自分の「本当の声」が出るようになると、性格が前向きになるのはもちろん、自然に周りの人から信頼されるようになる。
これが、人生の7割を声の研究に費やし、のべ4万人の方々の「本当の声」を引き出してきた私の結論です、とある。
3.僕はどもりだったんです
しんどいヨガ教室に通うわたしの唯一の理由になってるのが、タカさんでした。
穏やかでなんの虚勢も張らないタカさんはわたしとはまったく違う人種。
もう一緒に居るだけでわたしが、嬉しい。
で、何度か教室に通ううちに、タカさんもだんだん自分のことを話してくれるようになって行った。
ある日、「僕はどもりだったんです」とかれは言いました。
驚いた。まったく気が付かなかった。
確かに以前、「僕は話すのがうまくないんです」と言ってた。
が、まさかそんなハンディをかつて抱えていたとはおもいもよらなかった。
吃音(きつおん)者は周囲からからかわれますから、自分に自信が持てないでしょう。
なんでも主張し管理したがる人間にはなりにくい。
彼が穏やかであるその下には悲しみと苦しみがあったんでしょう。
どうやって克服したんでしょう?
4.わたしのこと
半世紀以上も生きて来て、わたしも「良い声ですね」と言われたことがあります。たった数回ですが。
それは初対面の人で、しかも、わたしがぜひ聞いて欲しいと思った時に、それは起こりました。
じぶんが何を相手に伝えたいかは考えていなくて、ひとえに「声が届け」と念じていました。
言う内容はじぶんの口に任せ、わたしはもっぱら、筐体(きょうたい)としてのじぶんの声の響きを意識していました。
筐体って、入れ物のこと。
この胸、のど、口・・といったものをスピーカーのように感じていた。
スピーカーとしてのじぶん自身の音響を気にしていました。
ぜひにあなたに届けという瞬間でした。
その時、わたしはWhatではなく、自然とHowとWhereに集中していました。
普段の会話で「良い声ですね」なんて言われません。
猫背のわたしはきっとボソボソと言っているのでしょう。
じぶんの声がどう相手に響き渡るかなんて思いもせず、考えだけを伝えようとしています。
だから、わたしはじぶんがぼそぼそでも何でも構わないのです。
でも、十分時間が取れない初対面の人で、とても大事な局面ってあるんです。
そこでは、わたしは響きをなぜか重視した。
そうすると、そんな時はいつも、相手は「良い声ですね」と決まったように言ったのです。
??
「良い声ですね」という言葉は、おそらく、聞き易かったですとか、良く分かりましたという意味も重なっていたでしょう。
でも、わたしは、言う内容に気を使っていなかった。
スピーカーはどんな曲をながしているかなんて気にしません。
わたしも、「今の自分の状態」に意識を向けていたと思います。
良く伝わったということは、ただの音声ではなく、”ボォイス”だった?
5.3つのポイント
村松さんは次のステップでエクササイズをさせます。
1)筋肉をゆるませる
2)姿勢を整える
3)呼吸を整えて声を出す
いえ、相手に心底届いて欲しい時、わたしたちは無意識にこの3つを満たすのです。
また、この3つは、脱力しないと出来ません。
普段は、相手を批判したいとか、わたしを分かって欲しいとか、一緒に楽しみたいとかいう状況でしかないのです。
わたしにそれが起こった時、わたしは相手にこころから聞いて欲しかった。
じぶんの声をはっきり意識していました。
相手に届くよう胸を広げ、背を伸ばし、いくぶん胸を広げ、声が響くよう発話していた。
気張ってはいなくて、じぶんの声を意識し、1声、1声、ちゃんと届くようこころを配っていました。
じぶんで発話した音声を同時にしっかりじぶんの耳で聴いていた。
「良い声ですね」。
生きてきてそんなことはほとんど言われた経験がないのです。
良い声ですねと他者に言われる時はきまって、わたしも植松さんの指摘通りに自然と運用していた。
じぶんのほんとの声を響かせたのでしょうか?
「今、ココ」にいたのでしょうか?
「今、ココ」という表現はじつは何も明確にはしてくれませんが、確かに何か不思議な時空にじぶんを置いた時、起こったようにも思います。
いや、じぶんを俯瞰して声だけに集中するから、不思議な時空が向こうから来たのかもしれません。
6.”ほんとの声”を響かせるには
再度掲げると、著者の植松さんによると、”ほんとの声”を響かせるには3つであるとのことでした。
1)筋肉をゆるませる
2)姿勢を整える
3)呼吸を整えて声を出す
わたしたちは無意識に発話できる。
なので、自分の筋緊張の度合いや、胸の広げ具合、背筋、息の出し方をぜんぜん意識しません。
発話できて当たり前だから、その微妙な振動具合まで見ていない。
自分がどんな姿勢で、どの方向に、どの距離まで届かせたいなんて意識しないのです。
でも、姿勢に集中しないと”ほんと”のボォイスは響かせられないでしょう。
吃音(きつおん)者の場合、1)と3)がうまく出来ていないと思います。
うまく出来ないことを本人はかなり意識してしまう。
自分自身を強烈に意識すると、1)3)の制御がひどくぎこちなくなる。
何重にも意識がからまり、「今、ココ」どころじゃないでしょう。
2)も身体の制御感が崩れるので、むずかしいと思います。
慌てるでしょう。惨めでしょう。悔しい・・。
でも、だからがゆえに、吃音者には自己を見つめる目が開かれるという、チャンスが来るとも言えます。
ふつうなら気づかずに生を送るのですが。
施設の障害者が、どもりをすこしもしないで「嫌っ」とか「うるさいっ」とすっという時、1)2)3)すべてが揃っているでしょう。
かれらだって、ふだん、惨めなのです。悔しいのです。
今夜もヨガの教室は開かれるでしょう。
タカさん、また元気にやってるのかなぁ・・と毎週わたしは思います。
P.S.
おそらく著者が「今、ココ」と言っているのにはわけがあります。
「今、ココ」に在るとき、思考は落ちます。
言葉は思考ですから、何を話そうか、ちゃんと伝わってるかな、とかいう言葉を脳内でささやいてしまう。
でも、自分という音響箱の響き具合だけを気にして調整しているのなら、思考は落とされています。
何を言うか、どんな返事をするかは、瞬時判断でほとんど思考しません。
何を話すかは口に任せ、わたしはひたすらスピーカーの調子を見てたのです。
そして、届け、届けと念じていた。
念じた声が、”ボォイス”となります。
「今、ココ」というのは、発話では意外と簡単に実現できるのかもしれません。
この文章も、何を書くかというより、書いているこの文字があなたにちゃんと届くかだけに注力できたらいいなって思いました。
村上春樹は、何度も文章をきりきりと締め上げ、締め過ぎた所は緩める、と言っていた。
彼は自分を音響システムとして捉えていたのですね。
文章は、文字ではあるのですが、彼にとってそれは”音”。
文字を読んだ読者は、脳内で”音”に変換し響かせるのですから。
ジャズ好きな彼はほんとに、”音”の種族なのでしょう。
届け、届けと念じた村上さんだから、とても分かり易い表現となっています。
あなたの声はとても聴きやすい。
彼は、文章に”ボォイス”を載せていたのでしょう。