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そうじゃないって、吠える


仕事が嫌で嫌で仕方なかった。

出来る、立派な、一人前のわたしを否定され続けた。悔しいぃ。

が、辛がる自分自身を受け取って来なった気もする。長いですほろほろ。



1.吠える


すこし前、sakuraiさんが吠えた。

電車内に本の広告があったそうです。

本のタイトルは、「それでも犬はあなたといられてうれしかった」。

色々思い出してしまい涙が溢れそうになったという。

その一言で癒されるのは確かだ。けど、でも、押し付けがまし感も感じたという。

で、なんと、「へそ曲がりな私は、絶対に読まない。もう、分かってる。」と結んだ。

わたし、思わず笑ってた。(すみません。ネタ話に使っちゃって)


sakuraiさんは、わたしという境界を侵入し買わせようとするコピーライターの意図を感じたのでしょう。

ピィーという警戒音が鳴った。(ウゥーウーか、パラパラッパラパラッだったかもしれない)

自分を保護する結界が柔らかなハートを守ってる。

そこを素通りさせてしまうと、やばい。自分の内部ががたがたになってしまう。

そうじゃない!、そこじゃない!

そこは渡さない!って吠えたのだと、わたしは勝手に思った。


もっと言えば、「へそ曲がりな私は」と言ってるんだから、自身を1歩離れて見ている。

お涙頂戴に載せられそうになる自分に気が付いていて、

でも、載せられそうになると反発する自分も知ってるんだよーっと。

わたしゃ、そんなの断然気に入らないんだよーって。

じぶん自身をそのままに受け取る女魂を、見た。(ちょっと大袈裟か)


時々、おや?って思う瞬間ってあるのだけれど、その時自分自身を受け取るのかが分岐点になる。

受取らないと、自分が流され分からなくなる。コピーライターの餌食になる、かも。



2.人は生で境界を作る


ウィキペディアによると、フロイトが生まれてから半世紀ほど後、1902年に彼はアメリカの宗教的に厳格な家庭に生まれてる。

ウィスコンシン大学に進学し、父の農園を継ぐために農学を専攻した。

が、おや?って思ったんでしょう。

YMCA活動を通じてキリスト教に興味が移り、牧師を目指すために史学に専攻を変える。

大学を卒業した2ヵ月後に結婚する。

そして、神学校に入学するんだけど、牧師を目指す道に疑問を感じてしまう。おや?って。

で、コロンビア大学教育学部で臨床心理学を学び直し、在学中にニューヨーク児童相談所の研修員になる。

もう、おやって思わなくなった?


卒業後、ロチェスター児童虐待防止協会という所で12年間臨床に携わる。

その中で、従来のカウンセリング理論に疑問を感じ、自らの理論的枠組みを形成し始める。

ほら、この人、おや?って思ったんだ。

オハイオ州立大学、シカゴ大学、ウィスコンシン大学で教授職を得て、教育と研究に従事します。

で、非指示的カウンセリングというのを提唱する。

これがのちに来談者中心療法と称されるようになるわけです。

彼は精神分析には否定的であったそうですが、フロイトの高弟のひとりオットー・ランクからの影響を明言している。

1982年、アメリカ心理学会によるアンケート調査「もっとも影響力のある10人の心理療法家」というのがあった。

彼は第一位に選ばれてる。

フロイトでもユングでもなかったことに驚きます。

彼のカウンセリング論の特徴は人間に対する楽観的な見方にあり、それはフロイトに見られるような原罪的な悲観論とは対照をなすものだとされます。


かれの名は、カール・ロジャーズ。

わたしが青年の頃には、既に有名な人でした。

わたしは理系の学部にいましたが、ちょっと眩しいような、仰ぎ見るような感じで、その名をなぞった覚えがある。

きっと、彼も権威には盲従しなかったでしょう。

始終、そうじゃない!、これじゃない!って吠えては、自分の結界を頼りに進んでいったんだと思う。



3.グルグル苦悩する


ロジャーズは、「ありのままの自分を受け入れると、変わることができるようになる」と言いました。

変われるんだ。。。わたし、驚いた。

これに気がついてる人って意外に少ないと思う。

多くは、変わりたい、ああ成りたいって思っていると思うんです。

カッコイイ人、勉強できる人、お金持ちに成りたいって。

ああ成りたい!って思うということは、現在のじぶんを認めていないことになる。

認めるより先に、おのれに対するダメダメ判断が来ている。

ちょっとは、がんばっているんだけどなぁ・・・と「現在のじぶん」はきっと思ってる。

けど、ご主人さまはそんな声、聴く気も無い。


わたしも、そうじゃない!って思う時がある。

そんな時、わたしは相手に反発しています。

けれど、じぶん自身をそのままに受け取ってるわけではないのです。

相手に対する、不安、嫌気、恐怖、怒りはある。注意は100%、諸悪の原因の相手に向かう。

だから、解釈せずにじっと、掌にじぶんの感情を載せて味わうなんてしない。

「ありのままの自分を受け入れる」って、わたしにはかなり難しい。


ロジャーズは、「ありのままの自分を受け入れると、変わることができるようになる」と言った。

単に形式的な相手への反発だけでは済まない。

お前が悪い!、いや、じぶんが悪い!の2択しかないと、どこにも行けなくなってしまう。

いくら、相手や自分を責めても、新しい光は来ないでしょう。

きっと、じぶん自身の何かを隠している。

たとえば、バカにされてはならない、騙されてはならない、負けてはならないとかが自分をぐぐぐーっと圧迫している、のかもしれない。

そうと認めれない事情があるので、2択の地平線をグルグル回る。



4.地動説、来る


自分自身を1歩離れて見るためには、たとえば、カウンセラーが添うというような手もある。

でも、時間とお金を使ってわざわざカウンセラーの所に行くなんて、かなり億劫だ。

そもそも、カウンセラー自身も生身の人間で悩んだりしてる。

そんな者を信頼なんて出来そうにない。

さらに、人のこころは多層に成っていて、下に行くほど言語化されない。

分かってもらえるんだろうか?自分でもつかめないのに。。

カウンセリングに正解なんてないって言うし。。。


ロジャーズは、最初、ぜんぜん治療がうまく行かなかったんです。もんもんとした。

で、はたと気が付いた。

そうだ、わたしが治す人だという構えが間違ってたんだと。

クライアントを患者と見るのではなく来談者だと、「ありのままの自分を」探す手助けを求めている者だと見方を変えた。

「人は生きながら、本来の自分に戻って行く生き物なんだ」という視座にチェンジしてしまう。

こう言われたら、わたしはからだのどこかからまたエネルギーが湧いてくる気がする。素敵だ。


何かに成る、ではないのです。

成長と可能性の実現を行うのは、その人そのものの性質なんだ、本能なんだと確信したというのです。

環境が整えば、場と支援があれば、人はその人本来の在り方に収束してゆけるという。

これを確信したなんて、すごいっ。

「彼のカウンセリング論の特徴は人間に対する楽観的な見方にあり」と先に書きました。

こうして、フロイト天動説が地動説に転換します。


彼はクライアント中心の療法を説いた。

その人本来の在り方なんて、本人以外に気づきようもないわけです。

本人だってその脚本に気づけず、他者との比較ばかり、世間の目ばかり気にしてる。

苦しむおのれを掌に載せ見るなんて、熱い鉄球ですからね、絶対したくもない。

でも、ロジャーズは1歩進んで、先の言葉を吐いた。

「ありのままの自分を受け入れると、変わることができるようになる」と。

自分本来の道を見つけるには、まず、今立ってる所を受け入れるしかないわけです。

そこに立てば、必ず変われるかは分からない。

でも、そこに立たなければ、ぜったいに変化(成長)は起こらないって。

それは、多くのクライアントと接する中で確信した。


どこかの、誰かの素晴らしい姿なんかから出発してもぜんぜんトンチンカンなのです。

どこに居るのかさえ分からない者は、どこにも行きつけない。

良いも悪いも無く、解釈なんかしないんだと言っている。

解釈が挟まるから、見失っちゃうんだと。

よろよろ、へなへなしているわたしというスタート点自体を受け入れないと、じゃあ、どこに向かうのが自然なのかを本人はわからないだろうと言ってる。

そうじゃない!、これじゃない!ってロジャーズは吠えた。



5.触媒が要る


カウンセラーは、今という現状を受け入れるための触媒になる。

だから、傾聴することに重点を置いたわけです。

「私たちは傾聴していると思っているが、本当の理解、本当の共感を伴って聞くことはとても少ないのです。

けれど、傾聴することは、このとても特別な種の能力は、私が知る中では変化を起こす最強の潜在力の一つです」。

かなり控え目に、傾聴のすごさを言っている。

カウンセラーがすごいのじゃないって。

クライアントを治すのではなく、クライアントが治って行く道の伴走者でしかないと。

クライアントの問題に対する答えは、既にクライアントが知っているのだと。


なぜ、そう言い切れる?

問題を作ったのが自分なら、答えも既に自分が知っていると言うんです。

そもそも、その不安は今の自分を受け入れられないと思った時に始まったんです。

おお、、ごもっとも。

わたしやあなたが、日曜日の夜、あるいは他者のしあわせそうなシーンを見ていて、寂しい不安に襲われる。

なにが原因かと考えるけれど、はっきりしない。

面白いドラマか美味しいもの食べてみているうちに、徐々に薄れて行く。

そして、また寂しい、どうしようもない不安が寄って来る。

その根本原因が、わたし自身が、自分本来に戻って行くことを拒絶しているんだなんて、思いもよらない。。


カウンセラーの役割は答えを与えるのではなく、答えを知っている本人に気づかせることだという。

「今の自分」を受け入れず否定し続けている限り、前には進めない。

すべては、「今の自分」から始まる。

今では有名な彼の説ですが、こう結論付けるまでロジャーズはかなり悩んだと思います。

たぶん、彼こそがやっと「ありのままの自分を受け入れ」た人でしょう。

そうじゃない!、これじゃない!って何度も吠えながら。


ああ、、でも、わたし今に成って総括するんだろ。

かなり、遅すぎて唖然とするほろほろ。


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