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いちいちかわいい ― ネガティブから創造へ
ああ、かわいい人だなって思った。長いですほろほろ。
1.いちいちかわいい
Hannonさんが、「わたしの本棚 『薔薇は生きてる』」を書いていた。
彼女は、「いちいちかわいい」と紹介してた記事を読み、すぐさまその本を購入したそうです。
で、月日は流れ、15年ぶりにそれを再読した。薔薇は生きていたわ、という。
肺結核のため16歳の若さで亡くなった山川彌千枝(やまかわやちえ、1918年 ~1933年)の遺稿集で、Hanonさんは、どれほど彌千枝が「いちいちかわいい」のかを伝えた。
きっと、赤毛のアンのように、あしながおじさんのジュディのように、アンネのことなのです。
わたしゃ、この手の少女に弱いっ。ほろほろ。
「彌千枝は亡くなるまでの最後の2年間、ほとんどの時間を寝たきりで過ごしており、
いつか多くの人に読まれることになるなんて夢にも思わず書いていたと思われる日記には、
不安やいらだち、寂しさや諦めの気持ちもたくさん素直な言葉で綴られていて、それはもう抱きしめたくなるほどのいじらしさ。」
で、Hannonさん、記事の最後でこんなふうにメッセージングした。
「好きな時に好きなように書いたり読んだりできることって、なんて贅沢なことなんだろう。
また近い将来に復刊されて、彌千枝の書いたものが誰かの心を潤してくれたらいいな」。
当時、肺結核は「死の病」。肺細胞が死んで行く。患者は、徐々に溺死してゆく。
息が来ない、わたしの息がという状態ですから、かなり苦しかったでしょう。
結核菌は全身の、脳も含むいろんな臓器も死滅させてゆく。おお・・。
恐怖と絶望が押し寄せる岸辺に彌千枝はいたのです。
けっしてそこからは逃げれない、そういう境遇のにんげんが、わかいい??
必死に生きている様、それでも自由であろうとする魂。
瑞々しい感性が溢れ、健気で、こちらがほろほろするという。
物事を鮮やかに受け止められる者とは何をしているんでしょう?
理屈によらない創造する力と表現、美しさや快さを認知し評価する感覚を持っていた?
彌千枝は才に恵まれていた?
「何時だったか、病気がとてもいやになり、胸が憎らしくてたまらなくなり、こんなものなければ丈夫で病気にもならなかった。
こんなもののためにみんな足や手が犠牲になった。
そう思ってとても憎らしくて肺臓を出して床にたたきつけたくなった。
ところが、隣に先生がたがいらっしゃって、ひそひそ独逸(ドイツ)語で話された。
それは私の事で無いだろうが、私は私の胸の事を話されているように思って、先生方にそんなふうに話される胸が急に可愛そうになった。
そして胸を先生方の目からそらせたいように思ってきっと抱きしめた。」
彌千枝は、見る限りの世界を全力で書き残した。
その可愛さは、Hanonさんの記事を読んでいただきたいです。
彼女も書きながら、ほろほろしている。
2.ネガティブ・ケイパビリティ
ネガティブな出来事にはそれ自体に意味がある。
ほら、善が悪に裏打ちされるように、ポジティブはネガティブと連れ立つ。両者は紙一重にある。
でも、たいがい人はネガティブ黒雲にへたる。
のだけれど、たとえ16歳で生を閉じようとも、魂、精いっぱいに生きるひとっている。
あるいは、魂、薄目に98歳という方も、いっぱいおられる。
「ネガティブ・ケイパビリティ」は、詩人ジョン・キーツが、シェイクスピアの創造の秘訣について語った時に使った言葉だそうです。
「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」を意味する。
未知の問題がもたらす不確かな状況が来て起こる不安、葛藤は、誰にとってもネガティブです。
けど、それでもあえて性急に答えを出そうとせずに、そこに踏みとどまる姿勢を言う。
いっけん、軽度なネガティブでさえ、ひとは黒雲をまとうのを嫌います。わたしも、断然嫌っ。
でも、実は、軽傷の時にこそ、その人の「ネガティブ・ケイパビリティ」の程度がよく分かるでしょう。
たとえば、嫌な職場、不慣れな自分、パワハラ上司・・・という風景はよくありますが、そんな時の処し方が違う。
たとえば、辛さをずっと日記に書き残す、、という方がおられる。やがて、意外な展開が起こる。
不遇の時、毎日トイレ掃除に精を出す。と、やっぱり、意外な恩寵(おんちょう)がやって来る。
実に、この能力のある人には、どこからか助けが来る。
偶然なんでしょうかね?
「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、耐える中から創造的なものを生み出していく力、という考え方だというのです。
キーツは、シェイクスピアにその能力を認めた。
創造というのは、一部の作家や詩人、科学者の専売ではないでしょう。
自分で考え、他責にせずにどう生きるかを産みだして行く、という生き様そのものだと思う。
もちろん、じっと耐えろといいたいんじゃないです。
パワハラ、セクハラといった理不尽さとは戦わないとならない。ヤバイならさっさと逃げないといけない。
でも、その黒雲の空の元で、もう学ぶことはないのか、どういう意味かは判断しないとならない。
意味することを受け取るまでは、じっと見つめるしかないです。
3.自分を愛することの中身
よく自分を愛することが大切だ、と人はいいます。
でも、自分がいかに素晴らしいかを見て、自分を愛するということではないのです。
そんなエゴ・イメージを膨らませるようなことじゃない。
自己愛とは、自分がこの胸と1つに成るということだと思う。
1つに成るのなら、もう自分を愛するということもないのです。
頭と胸とに分離がある限り、わたしたちは苦しむでしょう。ほろほろと言えないままに。
こんなはずじゃないっ、許せないっ、もう我慢できないっ!とエゴが叫ぶ限り、胸とは1つにはなれない。
胸(ハート)は、もっと違う感性の次元に生きてる。
起こった事象は黒雲なんだけれども、それを思考が解釈してしまうと、胸のリアルは分からないままとなります。
解釈しないというこの忍耐力を、キーツは「ネガティブ・ケイパビリティ」と言ったのだと思います。
辛くて、苦しい日々が続く。
と、あなたは瞑想するかもしれない。祈るかもしれない。
ふと、部屋を整理整頓するかもしれない。お香を焚くかもしれません。
あるいは毎日トイレの掃除をするかもしれない。
そんな時、思考を落とし一心に身をその行為に捧げる。
あなたは、解釈したがる自我をちょっと横に置くのです。
わたしたちの胸にとっては、自我に話をさせるよりその行為はとても自然なのです。
瞑想や祈りの行為を通じて、胸に同調して行く。
だから、整理整頓したり掃除したり洗濯するとこころが整う。
そうするうちに、あなたはある「繊細さ」を発達させる。
たぶん、あなたはその成長には気が付かない。
そして、しばらくしたある時、不思議なことに何かの神秘が助けに来る。
おお、、怪しいですかね?
でも、祈りの行為にはたしかに、恩寵(おんちょう)としか言いようのないことが起こり易いのです。
神仏、大嫌いなわたしでさえ、そう思う。
胸が放つ微小な振動メッセージは、自我が騒ぐ限り受け取れません。
受け取ってくれないと、恩寵は助けようもない。
「ネガティブ・ケイパビリティ」が進むと、胸が紡ぐ「繊細」な振動を受けとれるようになるでしょう。
まっ、怪しい話ですね。
でも、確かに何かの助けが起こる。
彌千枝には、何が起こったんでしょう?
4.チョー軽傷の場合
こういった文章書きも、創造の一部でしょう。
わたしの中のどこかが喜ぶから書き続けている。たぶん、この胸です。
でも、才能ある者の曲や絵や文章を見ると、わたしにストレスが起こる。
簡単に自分を変えられないから、わたしはいらいらする。
耐えれないわたしは、たとえば、村上春樹やシェイクスピアの秘密を探ってみる。
凄腕のHanonさんを読んでみる。
なにかお手本が、うまいやり方があるんじゃないか、というわけです。
でも、うまく行かない。ああ、、わたしゃおバカなんだとさらにヘコム。
周囲を眺める中で、わたしは簡単に「模倣」をしてしまうのです。
いや、マネしたら意外と評判が良かったりする。
そしたら、模倣は続きます。
あるいは、過去の作品で好評だったのなら、それを自己模倣する。
あるひとは言いました。「われわれは自ら創造したものよりも、模倣したものを信頼する」と。
模倣がなぜ禁じ手なのかというと、じぶんの胸の声に迫れないからです。
模倣であるなら、別にわたしが書かなくとも、替りはいくらでもいる。
わたしという魂が書くから、わたしの文章なのです。
うまいかヘタかは別として、わたしが生きる証です。
せっかくここに来たんだもの、誰も気にかけてくれなくとも、せめて「わたし」を書き現わしたい。
胸の願いを隠してはいけないでしょう。
隠しごとする者は、ちょっと、かわいくない。
5.なぜ、「いちいちかわいい」のか?
現代語の「かわいい」に該当する古語の「かはゆし(かわゆし)」は、「いたわしい」などといった相手の不幸に同情する気持ちを指したそうです。
やはり、ネガティブに関わる言葉だった。
で、この「かわいい」は、中世からガラリ意味合いを変えてしまう。「愛らしい」に転じて行く。
「かわいい」は、深い愛情を持って大事に想う様に変わる。
惨めなじぶんをかわいい、愛おしいと思えなければひたすら辛いだけでしょう。
黒雲来ても、頑張ってくれてる身なんですから。
でも、じっと掌に載せて見て行かないと、ある程度堪えないと、自己受容は進まない。
これはあってはならないとか、恥ずかしい、惨めだと自分に言うかぎり、ネガティブ・ケイパビリティの芽は育たない。
惨めでも悔しくても、それを受諾しないことには何も始まらない。
瞑想なり祈りによって、すこし自我を横に置く訓練が始まる。
ひたすら日記を書く。あるいは淡々とトイレ掃除をする。
掃除をするというのは、実にじつに偉大な行為なのです。
誰にも出来そうですが、多くのひとは心を込めては出来ません。
でも、心を込めて行く中で、きっとこの世の小さな振動が聞こえるようになって行く。
気が付かなかった自分の世界も見え始め、ある広がりが起こる。
それは、自身が微細な振動にならないと見えてこない風景であり、音。
そして、創造の神が降りて来る。。
創造とはこの世をこの身で生き抜く力のことですが、それは頂くものでしょう。
さあ創造するぞっ、というような自我のものじゃない。
かわいい人がまた苦難の人であり易いのには、ちゃんとワケがある。
艱難辛苦によって、微細な声を素晴らしいレベルで聞き分けて行く人が出て来る。
静かに静かに祈るのです。
一途に願うその姿を、わたしたちは「かわいい」と言う。健気だなぁ~と。
そう、あなたも、いちいちかわいいのですっ。
P.S.(ここから先は補足です、なのに長い)
1)わたしも遺稿集を検索してみた
「先生の聴診器がゴムくさい、カーネーションの花がゆれている」
「ベッドを窓ぎわに寄せて空を見た、私は空の大きいのを忘れていた」
「落ちるよにすばやく鳥の大空を斜めに飛んでゆくすばらしさ」
「ピアノの音きこえなくなったり聞こえたり、ああ、雨がサーと降ってる」
「美しいばらさわって見る、つやつやとつめたかった。ばらは生きてる」
花びらの冷たいなめらかな美しさを捉えた表題歌です。
冷たさこそが植物の生だ、植物の生命の独自性だという。冷たさこそが生きている証だという。
「胸を病む少女なんてステキだわ。ステキだけど、本当の事いうと、ステキどころじゃありゃしない。
悲しい苦しい事だわ。幸福はどこにだって、そうあるもんじゃないわ」
言葉で着飾るようなことはしない、それでいて多感な心境や可愛らしさをも併せ持つ。清涼にして文学的。
少女の生きている喜びを凝縮して言葉にすると「薔薇は生きてる」、になる。
2)歌人でもある母、柳子が言う
「3月31日、午前5時頃に容態が急変し、やつれた顔で「もういやっ」と言った。……堪えに堪えて来たやちえが、初めてさらけ出した本音だったのだ」。
「午後0時頃に知人の矢熊が訪れると「また、なおったら来て頂戴」とゼイゼイしながら言ったが、午後2時40分に死去。
来られるだけの人々が集まって棺に彌千枝を入れた。」
「生れて初めて化粧したる顔、花嫁の如し」。
恋を知らず少女のまま死んでいった子を不憫と思ったんでしょう、母は自分の日記にそう書く。
その母は1939年の甲鳥書林版に寄せた「十余年を経て」で、
「三十歳になったやちえは、この少女の日の手記をまたまた公開される事をきっとかなわないと思うでありましょう。
けれど私は、うれしいのです。
ばらは生きてるということを今ほど強くよろこびをもって感じた事はありませぬ。
私はこの本の出版について、こうしたよろこびをもって、悲痛の中に感謝しているのであります」。
3)文壇の著名人たち
ウィキペディアによると、川端康成はこう言っていました。
「西村アヤ氏の「青い魚」とか、石丸夏子氏の「子供の創作と生活指導」とか、「山川彌千枝遺稿集」とか、その他早熟の少年少女の文集は、私が常に机辺から離したくない本である。
彼女らの心の早熟は、必ずしもめでたくはない。しかし、その早熟の才能は時に子供の露出となって、私の想像を生き生きとさせる。
その幼稚な単純さが、私に与えるものは、実に広大で複雑である。まことに天地の生命に通ずる近道である」。
菊池寛も、「山川彌千枝という十六で死んだ少女の絵と文章の遺稿集である。
断片的なものばかりであるが、読んでいて哀惜の情がしきりに起こるのは、天才的なひらめきが至る所に見えるからだろう」と評した。
ウィキペディアによると、この遺稿集は、1935年(昭和10年)に単行本『薔薇は生きてる』として刊行され、以後も様々な出版社から再版され、五十数版を重ねるベストセラーともなっている。
母にも見せなかった日記。
「私が死んだら燃やしてね」って書いてあるものを書籍化し、現代に至るまで重版され読み継がれているそうです。
美しい日本語の文章を書いた者は、何のドラマもなく人生は終わりを迎える。そして、”永遠の少女”として今なお私たちに語りかける者。
4)レビュワーたちの書き込み
「自然に近い、なんて正直な文章だろう。このような文章を読めたことは至福の悦び。
素直なここまでを書ける人って、なかなか他にはもういない気がする、おるのかな。
悦ばしくない処もあるけど、美しく可愛らしい文章には惹かれるし、
ましてや、この先をもっと読みたかったとか変な悲しみもなく、でも何故かため息や涙も出るほどの悦び。
これは何のため息なのだろう。凝り固まってたものが少し溶かされた想い。
この本は何回もずっと読んでいく。
こんな本読むと、また読める本が狭まってく感じで、困ります(困らないけど)。本の中で言葉は生きてる。」
「彌千枝さんみたいな文章を書こうとすると、どうも嘘っぽくなったり、言葉遊びで終わってしまったり、とにかく嫌な文章になる。
でも、彼女のにはそんなものは微塵もない。
彼女が置かれていた状況を取っ払っても、きっと彼女の文章は生易しいものにはならないはずだ。生きているはずだ。
俺はそんな文章は書けない。」
「少女が、ことばが生きている。生きることの全て、悲しいことも死も辛いことも、嬉しさも喜びも、瑞々しい輝きを湛えている。」
「前向きに生きようと誓いながらも正反対の行動をしてしまい、日記に書くことで自分と向き合って改めようと頑張って。
でもやっぱり負けそうになる自分がいて。
彼女の文章は暗さが全くなく、明るい、希望にみちた軽やかさが印象的です。
彼女の窓越しに感じていた世界が映像のように伝わってきます。
文章に古さがなく、彼女の心情がみずみずしくて愛しい。
自分や友達の誕生日の日が出てくると、私たちが生まれる何十年も前に、確かに彼女は生きていて」
「大きくなつたら、という文章で始まるこの本には、彌千枝さんの喜び、悲しみ、苦しみが詰まっている。
だんだん「つまらない」「淋しい」という言葉が多くなっていく。
誰かが訪ねてきたといっては喜び、母様がいないといっては悲しむ。
怒りたくない、優しくなりたい、いい子になりたいと日記に繰り返し綴っている彼女に、「そんなことで苦しまなくていい。あなたは優しい。」と伝えたくなる。
彌千枝さんは自分の不安をお母さんに伝えていなかったらしい。
それはお母さんに心配をかけたくないという彼女の気遣いなのだろうけど、
死後、彌千枝さんの日記を読んだお母さんはどんなに苦しかったことだろう。
お母さんの書いた文章を読んで涙が止まらない。
「夜淋しいという、「母様いて」というからいいともと言うとお疲れになるからもうちょっとでいいのという。可愛そうに。」」
「二度目の発病後の日記から言葉が変わってゆく。
病気のどうにもならない辛さを知ってしまった少女は徐々に大人びてゆく。
少女の悲哀。体こそ健康であればという切なる願い。自然である、当然であることへの羨望・妬み。
そんな自分を醜いと思う汚い感情は、静かな詩となって紡がれる。
平凡な女の子の凡庸な記録なんかじゃ、なかった。
懸命に病気を受け止めようとするその姿に心打たれました。涙が出ました。
「よい病人になれない人は、よい健康者にもなれまい」こんな言葉本当に向き合わないと出てこない。
書き留めたいことがあまりにもたくさんありすぎるから、全部心の中にしまっておこう。」
彌千枝自ら描いた絵も素直に可愛くてきゅんとするという感想が多い。
それは、天性の物だと言うけれど、どうでしょう?
飾らない本気で切実な文章だよいうのです。
自分の内面を見つめる力がとても高い。
じっとネガティブ・ケイパビリティを育てていった長い療養生活だったでしょう。
そして彼女は声を聞き、「天地の生命に通ずる」才を見せたのか。
恩寵は、彼女の死の後も染めました。