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個性は最後に残るモノ ― 我の落とし方について


1.ヘボな記事

甘ければどんなチョコでも良いというわけにはいきません。

チョコバーの味がミント味でしたら、全員が「スキ」としないのは当然です。

わたしのミント味打率ですが、記事は1割で推移しています。

がんばってるなって、わたしは思っています。

ただ、わたしがバッターボックスに立ってボールを打とうとする時、からだにまだ”リキミ”がある。

玉を打ちたいという想いが強すぎる気がする気がします。

正直に言えば、もう少し打率を上げたいです。(1割5分へ)

わざわざ球場まであなたが見に来てくださったんですから。

せっかくこの胸に来てくれた、この子の想いを世に伝えれないじぶん自身が腹立たしくもあります。



2.ヘボな役者


映画の『幸せの黄色いハンカチ』ですが、山田洋次監督が高倉健を主演に描きました。共演に倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおり。

失恋して自暴自棄になった鉄也は、新車を買って北海道へ傷心の旅に出る。

そこで鉄也は一人旅をしていた朱美のナンパに成功し、さらに2人は海岸で勇作という男と知り合う。。。


演劇や映画では、「リアリティが無い」という言い方があります。演技が「嘘っぽい」。

演じている役者が、笑わせてやろう、泣かせてやろう、かっこよく見せようと意図してしまうんです。

そのストーリーの登場人物の感情ではなくて、演じている役者の感情を出してしまう。すると、見ているこちらに違和感が起こります。

脚本の登場人物が、「泣かせてやろう」とか「笑わせよう」なんて思うはずはなかったのですから。

だから、”嘘っぽい”なぁとシラケてしまう。


六本木に会社があって通ってた頃、毎朝、役者たちのスタジオの前を通りました。

役者の卵たちが、早朝から玄関に出て待つんですね。付近のゴミ拾いもしてました。

やがて有名どころの俳優が豪華な車で乗り付けます。

車内から手をやぁとすこし上げる程度で地下駐車場へ入ってしまいます。

卵たちは「おはようございます」と元気にあいさつし、深々と頭下げ続ける・・。

たったそれだけのために、朝早くからじっと待ってた。


数人いつも玄関の道に出ていたのですが、お互い話はしません。知り合いだろうに、しない。

みんな競争相手だったんですね。

すこしでも、先輩に目を掛けてもらおうと必死だったんじゃないでしょうか。

そこを通りながら、わたし毎回なんだか、違うんだけどなぁと思いました。

サラリーマンのわたしは、「役者の勝負はそこじゃないだろう」って思った。


卵時代は、いい役者になりたいっ、有名になりたいって必死なのは分かります。

サラリーマンのようにそこに居れば給料出るわけじゃないですから。

どんなチャンスもつかもうとするでしょう。

そして、時々、個性を出さないとだめだ、なんていう忠告を先輩からされる。

有名になる俳優にはどれにも個性がある、あるから人気が出たという式になってる。

よしっ!おれも個性を出すっ!

でも、役者が”がんばる”と、ろくなことは無いと思います。


先の映画で、武田さんは、女をひっかけようとする青年をリアルに演じています。

後の「金八先生」に比べると、脚本に忠実でした。

映画の経験なんてほとんどゼロだったから、全力で向かったのだと思います。(それにヘタな役者は使わない、山田監督でした)

でも、金八先生では、彼の考え=脚本になってしまっていました。

演者が自分の考えをくどくんです。鉄也節、炸裂。

感動させたいという武田さんの意思が前面に出ていたと思います。

あれ以来、わたしは武田さんに脚本を精いっぱい演じる、ということを期待しなくなりました。

かならずしも、有名な役者=名優、ではないでしょう。(『幸せの黄色いハンカチ』、素晴らしかったのに・・)



3.個性を出すという意味をはき違える

「書」の大家を、テレビで見たことがありました。

とても高値で作品が売買される方でした。名前はもう憶えていません。

三筆(空海とかの有名どころ)を手本に、毎日、膨大に練習していました。

個性について、問われ答えられました。

「僕はお手本をそのままに再現しようとします。なるべくそのものと成るように、いつも練習します。

僕の作品を素敵だとか個性的だと評価してくださる人もいるんですが、わたしは、なるべく個性を出さないように努めています。

どんなに消しても消しても、どうしても最後に残るのが個性というものでしょうから。」


欲や恐れは、卵にも有名どころにもあると思います。

しかも、有名になればなるほど、欲と恐れのシーソーに乗るでしょう。

で、この「書」の大家は、若い時にこの”我(が)”に苦しんだと思うんですね。もう死んじゃおうかぐらいまで。

で、ある日、虚栄も見栄も諦めて、すとんと書いてみた。もう最後のつもりだったでしょうか。

するすると書をしたためた。

それをみて、ああそうか!って思ったんじゃないでしょうか。

個性は出すものじゃないんだなって。

既にここに在るものだった!。

世界に現れ出たいと願う”ほんとのわたし”。それはもうここに在った。

在ったのにそれを邪魔してたのが、皮肉なことに自分自身だったと。


きっと若かった彼は偉大なる”気づき”をしたと思います。

だから名人は、儀式として”我”落としをする。いやになるほど、マネばかりをとことんする。

彼だってエゴがうだうだ言うんです。

だから、毎日、我を絶対レベルで落とす。

必死になって落として落としてピュアになるまで消して行く。。。

彼には、いつまでも三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)が必要だったでしょう。

個性は最後に残るモノ。

それをどうお届けするかということなります。



4.ヘボな親

名優は、笑いをとろうとする気持ちが湧いてきても、その感情を抑えることに集中できると言います。

ここがアマとプロの違いになるかと思います。


親が子に説教する。こう在れと。

でも、その脚本は聞いている相手のために書かれていないのが第1の問題です。

あんまり熟慮してないんです。言うこときかせる、ただ子を処理したいだけでした。

第2に、自作自演に酔う、かなりヘボな俳優なのです。

脚本なんかどっかに行ってしまい、感情そのままを言えば、子(聴衆)に伝わると思うほどにプロじゃない。

子と供に生きるということに真剣じゃないですね。片手間の演技。

ということで、親の言うことに「リアリティが無い」から、子はとうぜん聞きません。


上司が部下に、夫が妻に押し付ける際も、同じことが起こってるでしょう。

部下、妻、子は、「俺のもの」ではなくて、ほんとは「お客さん」なんですね。

なぜって、お客さんが「ああ、ほんとにそうだ」と気づいてくれて初めて、彼にリターンが返って来るという構図ですから。

たいせつな「おきゃくさん」だと思わず、傲慢にも怒りを吐き出す対象にしちゃってる。

傲慢ヤロウだというのが第3の問題です。

かなりヘボな役者が、いい加減な脚本を元に我(が)丸出しで押し付け、済まそうとする。

こりゃ、最悪の劇場なわけです。誰だって逃げ出す。


先の映画のレビューを見ると、感動しなかった、つまらないという人もいました。

先に評価が定まっている人は素直には見れないのかもしれません。

評価はネガティブにしておき、自分を引き立てたいのかもしれません。

そんなふうに、観客も我が立ってしまうのです。

先ず、俳優が先に落とさずに、観客にそれを期待するのは筋違いですね。


たぶん、個性が個性がと騒ぐわたしたちは、脚本自体をあまり信じていないのです。

リスペクトが無いと、他人作った脚本は信じれないです。

それほどに他を想うという、謙遜の力、つまり、自己への誇りも無いのです。。



5.再度、ヘボなNote記事

とうぜん、このNoteで発信するという話になるんですが、自分に願いや想いがあるから書けるんです。

ポイントは、願いや想いを我(が)で汚させないということになります。

わたしは、この汚染への徹底拒否を守れているんでしょうか?


書いたわたし自身の評価は良いのに、あまり「スキ」反応が無いという記事が多くあります。

で、よくよく考えてみると、そういう記事は、わたしがわたしのために書いていました。

書き手のわたしは、じぶんの我を落とそうとはしていません。

辛い想い、嬉しい想いを世界に出したいぃーという、それが1stにある。

でも、我(が)が出過ぎると、読み手は引けるの法則もあるわけです。


いいじゃんって、わたしは思うのです。

わたしがこの脚本家なんだし、「わたしはここで喜ぶ」って決めたんだもの。わたしはじぶんの脚本を信じてる!

そう、思いません?

いいえ、「わたしはここで喜ぶ」って決めた脚本自体が間違っていました。

”わたしがプロの脚本家だったら”、そんな直接的な表現は絶対にさせないのです。

なんと、わたしはプロであることを拒否していた。

へボ脚本家、ヘボ書き手を行いたいのです。確信犯かもしれません。


書き手だけが盛り上がり、読み手は「お客さん」に格上げされていません。

そのような記事では、わたしはじぶんこそが「主役」だとしています。

つまり、書き手は「あなた」に手を伸ばしてはいなくて、じぶんのことだけ心配し「自閉」している。

とうぜん、この役者はかなり鼻につく・・。

いや、わたしだって、”にんげんだもの”。

ねぇ、たまには我がまま言いたい、自閉もしたいっ!

わたしは憧れているプロ野球に居たたまれず、こうして安堵する元の草野球にするすると戻っていた。

驚くことに、我への汚染拒否をみずから否定していたのです。



6.ヒットが生まれたワケ

冒頭の映画『幸せの黄色いハンカチ』には、脚本の元となった歌がありました。

ポップスグループ、トニー・オーランド&ドーンが1973年にリリースした楽曲が『幸せの黄色いリボン』です。

カーペンターズの歌う『シング』と、No.1を争いました。

軽快なリズム、そして、なんて優しいんでしょう。

再会に向かってお話が紡がれて行く。男のこころが揺れる・・。

今から思うと大ヒットしてとうぜんじゃんとなるんだけど、ほんとはそうじゃなかったのです。


我が聖典、Wekipediaによると、こんなふうに惨憺たる状況だったといいます。

「幸せの黄色いリボン」を発売する前まで、ドーンのシングルは6曲連続でビルボードHOT100の20位以内に入れないでいました。

ドーンのメンバーだったトニー・オーランドたちは、グループ解散を考えていた。もう、だめかな・・。

プロデューサーから新曲「幸せの黄色いリボン」を聞かされたときも、最初、トニーはレコーディングする気もなかった。

まあ、、ふつうの良い曲だね、、、程度。

だから、トニーは、他のミュージシャンに「幸せの黄色いリボン」を歌わないかと勧めたんだけど、みんなからも断られた・・。

仕方無い。。。結局、ドーンが歌うことになりました。


トニーは、この曲を歌うとき、「ミュージシャンのボビー・ダーリンだったらどう歌うのか」と考えて、歌ったというのです。

ボビー・ダーリンは、歌手、作曲家、俳優。激動の人でした。

長くは生きられないと分かっていたダーリンは、若い頃から音楽によって励まされてきた人。

ロサンゼルスで心臓の手術を受けた後、37歳で死去してしまいます。

トニーは、その人を想い歌ったのでした。そしたら、爆発的なヒットに。。


ここから言えることは1つだけです。

名人が三筆をひたすらなぞるように、トニーは彼だったらどう歌うのかと一心に想って歌ったというだけなのです。

我をどう消すのかをドーンと書家は教えていす。もちろん、我(が)を消すほどにいつも練習します。

記事を書く時、彼ならどう書くんだろうかとお手本を持てた人はさいわいかと存じます。

隠されていたゴールデン・ルールをようやく見つけました。



P.S.

いいえ、あなたのお話は我が既に消えていて、読み終わったわたしはいつもこころホカホカさせて頂いています。

ただ、1つ注文あります。もっと書いてくださいませ。

寡作なあなたさま。


P.S.のおまけ

ドーンの歌の元ネタとなった話はこうでした。

刑務所を出所した男が故郷に帰ろうとしていました。

男は出所前に手紙を出し、「もし、自分の帰りが望まれるなら、木の幹に黄色いリボンを結んでおいてほしい」と頼んでいた。

男は汽車に乗って故郷の近くまで来るんだけど、勇気がなくて、車中で知り合った男に木を見てもらう。

木の幹にはたくさんの黄色いリボンが結ばれていた。。。

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