【映画感想・ネタバレ有注意】劇場版鬼平犯科帳 血闘
どーもーasa_swaですー。
突然ですが久々に映画館で映画を見てきました!
「鬼平犯科帳 血闘」
映画館はほんと久々すぎて、いつ以来か記憶を遡ってみたのですが、多分マイルスデイヴィスの半生を描いた映画をちっちゃいとこで見て以来。5年は経ってると思う。
そもそも映画を見る習慣がなくて「単館?シネコン??違うの???」レベルなもので…本当に映画好きな人に見つかって袋叩きにあうんじゃ…(震)と怯えつつも、流石に行かないといけないやつすぎましたわ。
だって鬼平犯科帳だよ?
ほんとは公開初日に行きたかったけど、どうにか行けてよかった。
そんなわけで映画ど素人のネタバレ有感想ですがよろしければ。
ーーーーー 以下ネタバレ有感想
映画館到着とともに慣れてないの丸出しで不審者マックスハート、不審者どっか〜ん状態。
もう劇場入り口のパンフ見ただけで泣きそう。鬼平犯科帳は元々大好きでテレビシリーズも見てたのですが、中村吉右衛門お頭が鬼籍に入られてから「生きてる間に再開するのかなぁ…」と思ってたので、ロビーにパンフ並んでるの見た段階でマジで涙ぐんだ。
入口のスタッフのちゃんにいに「チケットお願いします!」て声かけたら「案内まだやから待っとれや」とのこと(´・ω・`)
とりあえず空き時間でいそいそとグッズを購入。
戦利品がこちらです。まさか人生初アクスタがママタルトで2回目が火盗改のみなさんになる人生だとは思わなかったよ…
以降ネタバレありなので、未鑑賞・ネタバレ厳禁の方は閲覧お控えください。
一切責任取れません。
まず、全体的な感想として、結論、よかったです。
原作の凄みももちろん知っていますが、それを知ったうえでの新鮮さ、のめり込める感、原作に対するリスペクトや作り手の丁寧な作り込み、作品に対する真摯な姿勢、すべて感じられる作品だった。
中村吉右衛門お頭バージョンがすごすぎたので、もちろん比較して色んな違いはあるし、そこに色んな意見があるのも理解できるけど「このメンバーでまた新しい色の鬼平を見せてくれるんだな」とワクワクできる映画でした。このメンバーの鬼平もめちゃくちゃ愛せると思う。
おまさたん
とにかくメインヒロインのおまさがかわいい。
パンフからかわいい。
本当にかわいい。
マジでかわいい。
最終的な結論としてかわいい。
YURIMARIの頃からかわいいけど今もかわいい。
梶さん版のおまさが素晴らしいのと中村ゆりさん版のおまさを受け入れるのがすうっと両立できました。
梶さん版のおまさはカリスマ性のある美人オブ美人という印象で、ピンチになっても最悪ハイキックでどうにかできそうなイメージ。
対して、中村さん版のおまさは、度胸も座ってて1番の信頼を寄せられてるんだけど、どこか儚さとあどけなさも残ってて、でも人の闇を見てきた大人の部分が絶妙なバランスでもう最高。
きっと鶴(たづがね)のおとっつぁんが亡くなられたあと、男の都合に振り回されながら自分で賽をふる権利だけは必死に握りしめて、歯を食いしばってきたんだろうなぁ…という感じのおまさたん。
百戦錬磨で大人の女の微笑みを浮かながらも少女時代から持ってる銕さんへの純粋な気持ちを胸に秘めている、ていう背景が解釈一致すぎる。
実はYURIMARI好きだったので、こんなスクリーン映えする素敵な女優さんになっているとは…!て感じでした。
映画ファンの中ではもちろん十分評価されているんだろうなという女優さんだと思うけど、あんまり映画もドラマも見ないもので…あのゆりちゃんが…!と、とにかくびっくりした。
久栄さんとの対比も切なくてねえ…最後に網切のをばっさりいったお頭が「俺も人殺しには違えねえ…」ってつぶやくお頭に思わず手を伸ばそうとして、でもぎりぎりのところで届かずに我に返って伸ばした手を引っ込める。その後はお頭に対する思慕もありつつ密偵としてお頭の一番近くで一番の信頼を得ながら絶対に触れられない位置にいるおまさたんの切なさ…
対してその次のシーンでなんかキャッキャウフフしながらお頭をぺちぺちする久栄さん。それぞれ自分なりの形で好きな人を支えるっていう2人の女性の対比も見ごたえあったなぁ。まあ正直久栄さん最強なんですけどね。早くこのメンバーの鬼平で大滝の五郎蔵おやびんとか狐火の勇五郎とか出てこないかなぁ。
彦十父っつぁん
解釈一致キャスティングで言えば彦十とっつぁんこと火野正平さんさいこー。網切の父ちゃんこと土壇場のとこに銕っつぁんと2人で殴り込みに行くとこなんて、WORSTで河内鉄生と村田将吾が2人で敵対チームに会合にいくところかと。
最近腰痛でご静養なさってるとのことだけど、もしかしてお馬さん追いかける全力疾走シーンもだいぶご無理なさってたのかなぁ…彦十とっつぁん役に関しては猫八師匠がお亡くなりになられてから中々固定できなかったので本当にご自愛切望。
殺陣
殺陣も迫力あってひきこまれたー!
テレビでやる時代劇のチャンバラって個人的には様式美のイメージがあります。やっぱり、主役の強さをアピールする必要があると思うので、達人同士の型にのっとった組み手みたいな。
それもそれで美しくて嫌いじゃないです。
でも今回の鬼平映画の殺陣は実際の捕物としてのリアルさの満足感がすごかった。本当に歯向かう悪党を全力で捕縛する容赦ない力技って感じ。
定番あるあるで仮面ライダーの怪人はなぜ変身中に攻撃しないのかっていうのがあるけど、実際火付盗賊改方が相手にしてるのって、んなこと知らねぇよって外道ばっかりだと思うんですよね。そういう外道を相手にしてるっていう殺陣だった。Dead or Aliveって感じのリアルなやーつ。
鬼平エピソード0〜1.0くらい
後に納得するんですが、この頃は酒井さんとか沢田さんとか、お頭とまだ完全な信頼関係ではない設定なんですね。みんなで出陣準備しているときに「お頭昔は超遊んでたらしいぜ」みたいな噂話を揶揄の色もちょっと滲ませつつ話しているシーンで、「はてさて今回のお頭はどうなることやら…」感を持っている印象でした。つまり、火付盗賊改方はチームとして成熟していない状態ということを表しているシーンなのではないかと。
ということはお頭もまだこの時点では“鬼”前夜ということになります。
この映画の劇中の鬼平って悪党を切り捨てるときにちょっと泣きだしそうにも見えるのが印象的だったんですよね。悪党とはいえ、命を奪うことに対する哀しみが憤怒と同程度に交じっている感じ。
おりんさんとの会話でも「俺もお前も同じ人間じゃねえか」ってセリフがあったとおり、お頭は身分の差を超えて人間同士としてフラットな見方ができるところが魅力。だからこそ網切のを斬ったときも「俺もお前と同じ人殺しには違えねぇ」っていうセリフにつながる。
先代鬼平との比較になってしまいますが、吉右衛門お頭は“鬼”として覚悟を決めた長谷川平蔵だからこそ、完全に憤怒の表情が前面に出ていた印象です。不動明王みたいな感じ。
でも今回映画の幸四郎お頭は鬼になる前段階だからこそ、悲哀の表情にもなるし、チームもまだ成熟していない。いわば、このメンバーでの火付盗賊改方エピソードゼロ~1.0という状態というのが色々つながるシーンだなぁ…としみじみ噛み締めてしまった。
網切の甚五郎
今回鬼平映画って個人的にもう1人の主人公は網切の甚五郎だったんだろうなと解釈しています。全体的にこの人の描かれ方がお頭と対になっている感じ。
若い頃無頼放蕩を尽くした2人が一瞬だけ交差して、片や火付盗賊改方長官に。片や急ぎ盗きの首魁に。でも1歩間違えば長谷川のお頭も網切のように身を堕としていただろうし。それからおりんさん曰く、元は殺さず犯さず金なきところからは盗らずを守っていた網切だってどこかで陽の当たる場所に行くチャンスがあったかもしれない。
ほんのちょっとのボタンの掛け違いで長谷川のお頭と網切の甚五郎は真逆になっていた可能性もある。そう考えると、お頭が網切を切り捨てるシーンっていうのは、人=網切を斬った=網切を人間として見ていたということでもあるし、自分の中にいる闇堕ちしたverの本所の銕との決別でもあるし、仕事として人(悪党)を斬る・捕らえる・屠る鬼と化す覚悟を決めたシーンでもあったと解釈できるのではないかと思いました。
網切の甚五郎考察でいうと、今回鬼平で池波御大が仰られていた「人間いいこともすれば悪いこともする」を1番体現していたのは網切の甚五郎だったと思う。
初見の方とかだと網切の甚五郎って、矛盾しているというか一貫性のない人物に見えるかもしれない描かれ方をしてるんですよね。例えば、長いこと仕えてくれて情も交わしていたおりんさんをばっさり切り捨てる冷血さ、サイコパスな側面を描くシーンがあります。
対して、若かりし本所の銕に殺された父親に駆け寄って悲しんだり、父の仇を取るために鬼平に執着する情の深さもあるという極端にアンバランスな人物像です。ある意味長谷川平蔵に人生狂わされたというか、本所の銕が長谷川平蔵として真っ当になり、本所の銕としてのけじめをつけてお頭になっていくっていう、長谷川平蔵に過去の業を突き付ける役割。
人一倍人間としての情があるからこそ「親の仇を取る」ために長谷川のお頭にあそこまで執着しているってことだと思います。親の怨みを晴らしたい、(いいか悪いかは別として)親への義理とか情で動いているっていう点で一貫している人物。
父親のほうの土壇場のも手を差し伸べた先輩の優しさにシマ荒らしとか因縁つけて女性の尊厳を躊躇なく踏みにじるひでえ商売してたけど、情や義理を感じられる人間に成長する程度には子どもに情をかけてたんだろうなぁ…それだけ情をかけられて育って情の厚さを持っている人間が外道に堕ちる不条理さも鬼平of鬼平って感じ。
長谷川のお頭
ていうか長谷川のお頭かっこよかったわー。どこがかっこよかったかって、フェイスラインが五角形で顎が平ためになってたとこ。顔の角度とか映り方とか笠紐の結び方とかで顎のラインをシャープに見せないのがよかった。
個人的な極論ですが、実をいうと、時代劇に最近の若い俳優さんが出てると現実に引き戻される瞬間があって、萎えることがあります。瞬間的に「あ、これは現代の俳優さんが時代劇をやってるんだ」という認識に引き戻されてのめり込めなくなっちゃうことがあるんです。なぜなのか、自分で色々考えた結果、顎のラインという結論になりました。
「時代の変化にともなう男前、イケメンの定義」の変化とも言える話です。顕著なのは、仮面ライダーの主役の変遷だと思うので、初代ライダーから歴代ライダーの変化を見てみるとわかりやすいかも。
時代とともに段々細身でユニセックスな感じに変化してる気がします。特にシャープなあごのラインなんてほんと現代人って感じ。
もちろんそれはそれで造形美を楽しめることもあるんだけど、江戸時代の骨太な武士を演じるとなるとリアリティがなさすぎて私はのめり込めないんですよね~。繊維質豊富な食生活送ってた江戸時代の侍がそんな、あごの筋肉退化してるわけないやんって思っちゃう。
江戸時代の人なんて今ほど柔らかいメニューなかっただろうから、噛む力とか食いしばる力は鍛えられてただろうし。特に長谷川のお頭なんて中肉中背であれだけの剣の達人ということは、体幹とか腸腰筋もめちゃくちゃ鍛えられてたんだろうなぁ。極端な話、時代劇の主役を張る人は、フェイスラインが五角形タイプで、それこそ不動明王のような体形の骨太な人であってほしい。
それこそ中村吉右衛門verのお頭を見慣れているせいもあり、新しいお頭役の幸四郎さんもそういう骨太なヴィジュアルの鬼平を見せてくれてすごいうれしかった。見てよかった。やっぱりこの新しい鬼平愛せる。
あと、顎で思い出したんですけど、やっぱりご親戚なんだなぁって思ったのが、声質ですかね~。お頭が威厳のある声で号令をかけたりするときに、ちょいちょい先代と同じ声に聞こえるときがあって「やっぱり親戚だから骨格とか声帯とか似てるんだなぁ」としみじみしたり。多分歌舞伎ファンの方とか播磨屋ファンの方とかが見ると、親戚の子どもが立派に成長したのを見てる感を味わえるんだろうなぁと。
鷺原の九平
鷺原の九平もよかった。やっぱ殺さず犯さずをちゃんと守っている本格派の一本筋の通った盗賊って鬼平の見どころですよね。用心深くて小心者だけど、でも、いざとなったら仲間(おまさたん)の命を助けるためにお頭に啖呵きるとこよかった。刀や武器は持っていないけど、懸命に必死に生きてる1人の人間としての矜持から爆発する魂の叫び感がよかった。
今後期待シーン
他にも酒井祐介が山田純大さんは解釈一致すぎるだろとか、早く大滝のが出てきて今のメンバーでの密偵たちの宴見たいとか、一本饂飩の話どうなるとか、沢田さんと同門の百合系盗賊の頭とか…ずっと妄想が止まらないです。とりあえず鬼平映画以来サントラ買って聞き込んでひと通り落ち着いた後、今はジプシーキングスの公式YouTubeの再生回数ずっとぶん回してる毎日を繰り返してる。
あと、推してるコンテンツは集客力があると企業さんに思ってほしいのでできる範囲でタイアップとか踊る主義だけど、流石に堅揚げポテトのゆず塩レモンとブラックペッパーはうますぎんか?