自己肯定感(?)|ルッキズム
いきなりすみません(笑)
最近なんか、すごく見かけるのが、
「私って美しい!」
「生きてるだけでエライ!」
「自分のことを好きになろう!」
みたいなメッセージが流行ってるじゃないですか。
こういうのが「自己肯定感上げ」とか言われてるけど、私はこういうのが自己肯定感だとは
全然思わないんですよね。自己愛とは思いますが。
こういうメッセージを一概に否定できないのは、
やたらと自分が嫌いな人が多いじゃないですか。
私って何も取り柄がない。
私ってブス。俺ってブサイク。
こんな私/俺なんて…
誰にも愛されない…
何の価値もない…
みたいな。
そういう、すごい卑屈な人って、
私の周りにもかなり多いのですけど、
全然ブス・ブサイクじゃないんですよね。
かといって美人・イケメンというわけでもなくて、
ほんとに普通。
(私から見て、ですけどね。)
でも「普通だよ」って言ったら
すごく嫌な顔されるんですよね。
「かわいいよ」「イケメンだよ」って
言ってもらえないと落ち込むらしい。
でも自己評価は「ブス」「ブサイク」。
わけわからない。
「普通」はどこいった?
なぜ美or醜の二択なのか?
私は自分の顔が「普通」だと本気で思ってます。
だって自分だから。一番慣れてるから。
もちろん
「美人」って言われたら嬉しいし、
「ブス」って言われたら悲しいです。
それは自分では「普通」と思ってるからです。
たぶん、とても仲の良い親友とか、家族に対して
「美人」とも「ブス」とも思わない、
そんなこと考えたこともない、という人は
多いと思いますしそれなら共感できる、と
思って貰えそうなんですが、多分それと同じです。
「普通」って言葉が
なんか結構嫌われてるじゃないですか。
「『普通』って何だろう?」みたいな問いもだし、
「『普通』を押し付けないで」という要請もあるし
「『普通』な自分が嫌」「特別でありたい」
みたいな願望も普通になってきて。
ああ使っちゃった、普通。
すっかり嫌われ者の「普通」だけど、
本当はもっと優しい言葉じゃないかなーって思うんですよね。
もちろん「もっと普通にふるまえ!」みたいに、
枠に押し込めようとされるのは本当に嫌だし、
私自身そういう圧力に苦しんできた部類ですけど。
でも、幸せって「普通」からしか得られないと思うんですね。
それは、社会規範から逸脱せずにいよう、という話ではないです。
「好きでも嫌いでもない、普通」
「美しくも醜くもない、普通」
自分をそう思えることが一番幸せだと思いまして。
「私ってスゴイ!」
みたいにマジで自己愛が強くても
別に幸せになれないと思うんですよね。
(もちろん、ときどきは、
「私って天才!?」
って思うときもありますよ。それはまた別です。)
常に「私って美しい」と本気で思い込んだら
それはそれで辛いじゃないですか。
だって周りはそう言ってくれないし。(笑)
自己評価ばかり高いのもつらいはず。
たぶんですけど、
「普通」の自分を受け入れることが、
自己評価:普通 になることが、
「自己肯定感が高い」という状態だと思いまして。
だって、自分の顔を見て
「美しい!」
とか変じゃないですか。自分なのに。
急にしたり顔でお説教してどうしたの?
って感じですが、
私自身すごくなんか
「コンプレックスなさそう」
「いつも自信ありそうでうらやましい」←嫌味(?)
「どうやったら自己肯定感、高くなるの?」
とか言われるもので、
(コンプレックスは別にないが?)
(かといって別に、
I'm a queencard!!ってわけでもないぞ?)
って感じで、
ずっとモヤモヤしてたんですけど、
やっと自分の
「自己肯定感が高くいられる理由」
に、ピンとくる答えが見つけられたので、
記事に書いてみた次第です。